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幌内を散策しました


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私の生まれ故郷、幌内 (ほろない) 町に行ってきました。

幌内は、炭鉱で栄えた地区で、1987年のJR幌内線廃止、1989年の幌内炭鉱閉山からは衰退の一途をたどっています。

私の家族が幌内から引っ越したのは、私が幼稚園児のときで、正直、当時をほとんど覚えていません。

その後も私の祖父母がしばらく住んでいたので、学校が休みのときにはよく遊びにきたものです。私のきょうだいと、いとこたちで山や川に出かけたのがホントに懐かしいです。

そんな祖父母は施設に入り、私や私の家族が幌内に来ることはほとんどなくなりました。

我が家跡地

私の家があったところで、今は更地になっています。

幌内

右には、昔、商店の廃墟 (はいきょ) があり、放置してあったラムネ瓶からビー玉を取って遊びました。

私が生まれる前は、廃墟ではなく営業している商店だったそうです。

幌内メインロード

メインストリート。以前はあった郵便ポストが無くなっていました。

1994年の写真を見ると、地元のよさこいソーランチームがこの道で練習をしていたようです。今は、もちろんありません。

パン屋廃墟

ここはたしかパン屋さんだったはずです。昔、ソフトクリームをもらったことがあります。

石蔵跡地

ここには、パン屋さんの大きな石蔵がありました。

私が言うことをきかないと、私の親に「めんこにしないと、あの牢屋 (ろうや) に入れるよ」とおどされ、怖かったです。

幌内

私の家と、祖父母の家を結ぶ道です。

昔、2歳か3歳の頃、夜な夜な家を抜け出して祖父母の家に行ったものです。なぜかタオルをお守り代わりに。

以前は、私の家を含み4軒ほど家がありましたが、今はありません。

幌内

左は太田さん (金物屋) です。昔は、花火や虫とり網・カゴをよく買いました。

空き家

この建物は、私の曽祖父が建てたそうです。なぜか潰れずに残っています。

幌内

ここにはまだ住人がいます。
右は市営住宅の廃墟。昔は3世帯ほど住んでいました。

医院廃墟

医院の廃墟。昔から廃墟でしたが、もっと昔は営業していたそうです。

畑跡地

私の祖母が畑をやっていたところです。私もよく手伝いました。
この奥には、銭湯の廃墟があります。怪しい大きな平屋もありましたが、いつの間にか消えていました。

青木ロード

青木 (昔の市長) が作った無駄な道路。倒木で通れないそうです。

炭鉱ブロアー施設と奔幌内方向

炭鉱の謎施設があるところです。換気設備の建物だと思いますが、詳細は不明です。

一昨年 (2020年) の春には獣道がありましたが、夏のアクセスは難しいです。

施設の詳細を知っている人がいればコメントがほしいです。

ここを下って行くと、奔幌内 (ぽんぽろない) という地区につながっています。

今はほとんど無人ですが、私の父が子どもだった頃は、“くみふ” という、現在の派遣社員みたいな人たちが住む長屋があったそうです。くみふの人たちは、劣悪な労働環境のため、1週間程度で辞めていったといいます。また、その子どもたちも、1週間で転校することになりました。

今とは違い、派遣でも子どもを持てたのですね。

都会に住んでいるとあまり感じませんが、田舎に来ると、すごいスピードで確実に衰退しているのがわかります。

私が働かないで済むようになったら幌内に戻っても、と思いましたが、ちょっと難しそうですね。この先、お店や交通機関がどうなるかわからないので。

閲覧ありがとうございました。

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プロフィール

しゅう

Author:しゅう
1991年北海道三笠市生まれ。プロフィール

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