幌内を散策しました
- 2022/08/24
- 23:02
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私の生まれ故郷、幌内 (ほろない) 町に行ってきました。
幌内は、炭鉱で栄えた地区で、1987年のJR幌内線廃止、1989年の幌内炭鉱閉山からは衰退の一途をたどっています。
私の家族が幌内から引っ越したのは、私が幼稚園児のときで、正直、当時をほとんど覚えていません。
その後も私の祖父母がしばらく住んでいたので、学校が休みのときにはよく遊びにきたものです。私のきょうだいと、いとこたちで山や川に出かけたのがホントに懐かしいです。
そんな祖父母は施設に入り、私や私の家族が幌内に来ることはほとんどなくなりました。
私の家があったところで、今は更地になっています。
右には、昔、商店の廃墟があり、放置してあったラムネ瓶からビー玉を取って遊びました。
私が生まれる前は、廃墟ではなく営業している商店だったそうです。
メインストリート。以前はあった郵便ポストが無くなっていました。
1994年の写真を見ると、地元のよさこいソーランチームがこの道で練習をしていたようです。今は、もちろんありません。
ここはたしかパン屋さんだったはずです。昔、ソフトクリームをもらったことがあります。
ここには、パン屋さんの大きな石蔵がありました。
私が言うことをきかないと、私の親に「めんこにしないと、あの牢屋に入れるよ」とおどされ、怖かったです。
私の家と、祖父母の家を結ぶ道です。
昔、2歳か3歳の頃、夜な夜な家を抜け出して祖父母の家に行ったものです。なぜかタオルをお守り代わりに。
以前は、私の家を含み4軒ほど家がありましたが、今はありません。
左は太田さん (金物屋) です。昔は、花火や虫とり網・カゴをよく買いました。
この建物は、私の曽祖父が建てたそうです。なぜか潰れずに残っています。
ここにはまだ住人がいます。
右は市営住宅の廃墟。昔は3世帯ほど住んでいました。
医院の廃墟。昔から廃墟でしたが、もっと昔は営業していたそうです。
私の祖母が畑をやっていたところです。私もよく手伝いました。
この奥には、銭湯の廃墟があります。怪しい大きな平屋もありましたが、いつの間にか消えていました。
青木 (昔の市長) が作った無駄な道路。倒木で通れないそうです。
炭鉱の謎施設があるところです。換気設備の建物だと思いますが、詳細は不明です。
一昨年 (2020年) の春には獣道がありましたが、夏のアクセスは難しいです。
施設の詳細を知っている人がいればコメントがほしいです。
ここを下って行くと、奔幌内 (ぽんぽろない) という地区につながっています。
今はほとんど無人ですが、私の父が子どもだった頃は、“くみふ” という、現在の派遣社員みたいな人たちが住む長屋があったそうです。くみふの人たちは、劣悪な労働環境のため、1週間程度で辞めていったといいます。また、その子どもたちも、1週間で転校することになりました。
今とは違い、派遣でも子どもを持てたのですね。
都会に住んでいるとあまり感じませんが、田舎に来ると、すごいスピードで確実に衰退しているのがわかります。
私が働かないで済むようになったら幌内に戻っても、と思いましたが、ちょっと難しそうですね。この先、お店や交通機関がどうなるかわからないので。
閲覧ありがとうございました。
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