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人生に逃げ道を


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2021年も残すところわずかとなりました。
コロナ禍だからか私が老けたからか、あっという間の一年だった気がします。

幸せだった子ども時代がどんどん遠くなる悲しさと、社会・人生のリタイアが近づく嬉しさの両方を感じるこの頃です。

前回の記事はバチあたりなほどポジティブな内容だったので、今回は少しネガティブなお話にします。

2021年は、不特定多数の人間を狙った不思議な事件が多かった印象です。

一般的な事件の犯人は、『名探偵コナン』の犯人のように逃げ切りを目指すものですが、最近の事件では違います。

捕まっても堂々としているのです。(むしろ捕まるのが目的か)

「誰でもよかった」
「目立つ事件を起こしたかった」
「死のうと思ったが死ねなかった」

こんな犯人の手にかかった被害者には気の毒さを感じますが、一方で、どこかうらやましさも感じてしまうのが正直なところです。

こういう事件の犯人に対して、部外者が放つ言葉 (いわゆる冷笑) が「死ぬならひとりで死ね」でしょう。

確かに、事件を起こさず、ひとりで勝手に電車に飛び込んでいてくれれば被害はありません。

ですが、それができないから事件を起こして、日本の誇る “死刑制度” を利用するのではないでしょうか。

さらに、「死ぬならひとりで死ね」という人のいる社会に対する攻撃であるようにも感じます。これまた日本人のお家芸である特攻です。

事件まで起こすような死にたい人間に「死ぬならひとりで死ね」なんて言ったら、暴れるのわかるでしょうに。

ここ十年、社会がギスギスしています。

日本経済の目に見える衰退と埋められない格差・階層、そこにコロナ禍と絶望している人が多いのが原因でしょうか。

良くなる見込みなんてゼロですから、諦める気持ちは痛いほどわかります。

もちろん、事件を起こすのには賛成できませんが。

ここで “安楽死制度” です。

人間、自分で死ぬことはなかなかできません。

と言いながら、日本では年間2万人 (30分に1人) が自殺で亡くなっています。

これは、自殺願望のある人の氷山の一角です。
この下には、自殺に踏み切れない人,自殺に失敗した人,逆に攻撃的になる人がたくさんいるはずです。

安楽死というのは、そういう人たちの手助けをする制度です。

考えてみると、自分で勉強できない人のために学校があります。
自分で治療できない人のために病院があります。

自分で死ねない人のために安楽死施設があっても悪くないと思いませんか。

私の希望になりますが、利用者の限定はすべきではないでしょう。

例えば、“難病の患者限定” とか “末期がんで余命宣告されてる限定” とか “○○歳以上限定” ではいけません。

人権的に言うと、“命の選別” に当たるからです。
つまり、“長く生きられない人なら安楽死させてもいい” は差別的なのです。

正直、私はこの逆、“若くて健康な人ほど、長く苦しんで生きる” と考えます。

ですから、若くて健康な人ほど、優先して安楽死させてあげるのがいいと思います。

安楽死は、“生きていたくないけど自殺できない人” にとって、最後の人助けです。

最近の不思議な事件の犯人は、まさに “生きていたくないけど自殺できない人” でしょう。

安全な場所から「死ぬならひとりで死ね (冷笑)」 なんて言わず、“どうしたら死ねるか” を一緒に考えてあげるべきではないでしょうか。

犯人になる人だって人間なのですから、社会全体が親身になって死に場所を用意してあげれば、成仏してくれるはずです。

この手の事件は、ガソリンや刃物の規制ではなく、安楽死制度の実現でしか解決しません。
逆に言うと、安楽死によって防げる事件です。

私?

私の親もまだ生きていますし、リタイアの希望も残っているので、現時点では安楽死は選びません。

いよいよ親がいなくなって、リタイアの目標も破れたら、満を持して安楽死を希望します。

ですから、今から安楽死制度の整備をお願いしたいのです。

少し遅くなりましたが、みなさん。良いお年を。

閲覧ありがとうございました。

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プロフィール

しゅう

Author:しゅう
1991年北海道三笠市生まれ。プロフィール

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