神経質な制度と国民性
- 2021/12/06
- 20:32
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2021-12-6(月)
私がこの一年、ブラック企業、失業、ニート、各種制度の申請と経験した上で気づいたことがあります。
“役所の申請書って神経質だな” ということです。
例えば、申請書類に以下のような文言があったとします。
“三親等以内の親族の危篤、死亡、及び忌引き”
三親等って誰かすぐにはわかりませんよね。
で、ググると思います。『母 親等』『三親等 どこまで』とかって。
面倒なのは申請者だけではありません。受理するほう、つまり行政だって同じです。
確認する業務が発生するのです。
これって、非常に効率が悪く無駄だと思いませんか。
これを改善するひとつの方法が、“全認可+抜き打ち検査” です。
上の三親等の例なら、とりあえず、何親等に関係なく受理します。
で、実際に給付金なんかも支給してしまいます。
そこから、抜き打ちで全数検査を実施します。
もともと三親等までの決まりですから、三親等を超えていた場合は返還を求めます。
これなら、常に三親等のチェックをする必要がなく効率的でしょう。
ここで、三親等などと神経質に決まっていることが悪いのではありません。
むしろ、明文化された規則があることは公平ですし、無駄を減らすことにもつながります。
常に全数をチェックする業務が無駄なのです。
では、なぜこんな無駄なことが平然とおこなわれているか、です。
私の考えですが、日本人の国民性が関係していると思います。
例えば、上の三親等を超えて申請し、給付金を受けた人が2人いるとします。
2人の違いは、申請の時期が早いか遅いかです。
そして、後から申請した人が、たまたま検査に引っかかって “返還を命じられた” としましょう。
この人はきっとこういいます。
「あいつもやったのに何で俺だけ。あいつにも返させろよ」
日本人の考え方として、“自分が損してでも、他人の得をなくしたい” というのがあるそうです。(ちょっと陰湿ですよね)
自分が給付金を受け取れるかはぶっちゃけどうでもよくて、他人が受け取るのが盛大につまらないのです。
こういう国民性ですから、政治を通して、行政もこのように変化した結果が、今回のような無駄だと考えられます。
少し難しく考えると、性悪説と性善説の違いもあります。
性悪説は、そもそも規則を破って受け取る人がいることを前提とし、常に全数検査。
性善説は、みんなが規則に従っていることが前提ですから、全認可です。
私は、規則を破って受け取ることを “不正受給” というのも少し言いすぎだと思います。
「犯罪者だから、命をもって償え」というのは他人に厳しすぎます。
「あなたは本来、給付金を受け取る権利はなかった。誤って受け取ったものは返さなければならない」くらいでいいのではないでしょうか。
もう少し、他人に寛容になりたいものです。
閲覧ありがとうございました。