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神経質な制度と国民性


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2021-12-6(月)

私がこの一年、ブラック企業、失業、ニート、各種制度の申請と経験した上で気づいたことがあります。

“役所の申請書って神経質だな” ということです。

例えば、申請書類に以下のような文言があったとします。

“三親等以内の親族の危篤、死亡、及び忌引き”

三親等って誰かすぐにはわかりませんよね。

で、ググると思います。『母 親等』『三親等 どこまで』とかって。

面倒なのは申請者だけではありません。受理するほう、つまり行政だって同じです。
確認する業務が発生するのです。

これって、非常に効率が悪く無駄だと思いませんか。

これを改善するひとつの方法が、“全認可+抜き打ち検査” です。

上の三親等の例なら、とりあえず、何親等に関係なく受理します。
で、実際に給付金なんかも支給してしまいます。

そこから、抜き打ちで全数検査を実施します。

もともと三親等までの決まりですから、三親等を超えていた場合は返還を求めます。

これなら、常に三親等のチェックをする必要がなく効率的でしょう。

ここで、三親等などと神経質に決まっていることが悪いのではありません。

むしろ、明文化された規則があることは公平ですし、無駄を減らすことにもつながります。

常に全数をチェックする業務が無駄なのです。

では、なぜこんな無駄なことが平然とおこなわれているか、です。

私の考えですが、日本人の国民性が関係していると思います。

例えば、上の三親等を超えて申請し、給付金を受けた人が2人いるとします。
2人の違いは、申請の時期が早いか遅いかです。

そして、後から申請した人が、たまたま検査に引っかかって “返還を命じられた” としましょう。

この人はきっとこういいます。
「あいつもやったのに何で俺だけ。あいつにも返させろよ」

日本人の考え方として、“自分が損してでも、他人の得をなくしたい” というのがあるそうです。(ちょっと陰湿ですよね)

自分が給付金を受け取れるかはぶっちゃけどうでもよくて、他人が受け取るのが盛大につまらないのです。

こういう国民性ですから、政治を通して、行政もこのように変化した結果が、今回のような無駄だと考えられます。

少し難しく考えると、性悪説と性善説の違いもあります。

性悪説は、そもそも規則を破って受け取る人がいることを前提とし、常に全数検査。

性善説は、みんなが規則に従っていることが前提ですから、全認可です。

私は、規則を破って受け取ることを “不正受給” というのも少し言いすぎだと思います。

「犯罪者だから、命をもって償え」というのは他人に厳しすぎます。

「あなたは本来、給付金を受け取る権利はなかった。誤って受け取ったものは返さなければならない」くらいでいいのではないでしょうか。

もう少し、他人に寛容になりたいものです。

閲覧ありがとうございました。

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プロフィール

しゅう

Author:しゅう
1991年北海道三笠市生まれ。プロフィール

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