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奔別散策 (幾春別から奔別炭鉱)


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2020-5-7(木)

まず、みなさまに謝らなければなりません。
なんと私、ゴールデンウィークに帰省してしまいました。

安心と安全ということを最重要視して、もっと取り組んでおくことは、取り組んでおくことに対しての認識の甘さと弱さがあったことに対して、反省と後悔をしております。取り返しのつかないことをしました。みなさま、コロナちゃん様、鈴木知事、安倍総理。本当に申し訳ございません!(ユッケ社長風)

よし。

ということで、昨今のコロナ禍に鑑み、より人のいない地域、消滅集落を探索しました。

第一回目は、“奔別 (ぽんべつ)” です。

奔別は、アイヌ語の “ポン・ペッ”(小さい・川) が由来の、パ行から始まる珍しい地名で、奔別炭鉱があった土地としても有名です。

炭鉱の全盛期には、この奔別と隣の幾春別 (いくしゅんべつ) に1万5,000人が暮らしていたらしいです。

現在は、三笠 (みかさ) 市全体でも8,200人ほどです。

毎年、この時期には、奔別炭鉱の施設公開がされていますが、今年はコロナの影響で中止だったようです。

さて、炭鉱めぐりは、この時期がベストとされます。

草が大きく育つ前なので歩きやすいこと、ヒグマやスズメバチ,マダニの活動がゆるいことなどが理由です。

いちおう、注意事項を。

  • (遭難など) 必ず2人以上で行動する
  • (熊除け) 音の出る爆竹やラジオ,鈴を持っていく
  • (マダニ) 虫除けスプレー,長袖,長ズボンが有効
  • (エキノコックスなど) 沢の水は飲まない
  • (靴) 動きやすいものを。踏み抜きに注意

では、奔別探索に出発です。

国土画像情報(一部編集)

※国土画像情報 (カラー空中写真) 国土交通省より抜粋.(一部を編集)

1976年の奔別と幾春別の地図です。グラウンドを有する学校らしい建物や炭鉱住宅の平屋がたくさんあります。

中央やや下には幌内 (ほろない) 線・幾春別駅があります。

現在はすべて廃校、平屋のほとんどは廃墟、幌内線は廃止されています。三廃。

幾春別神社

幾春別神社から奔別方向を望む。以前の活気はない。

更科そば

更科 (さらしな) さん(そば屋)。コロナ(?)で休業中。

幾春別市街地

幾春別の市街地から奔別炭鉱を望む。かつての活気は皆無だ。

奔別炭鉱

奔別炭鉱。引き続き、炭鉱会社の私有地にある。
鉄骨の建造物が竪坑 (たてこう) 、左奥はホッパーと呼ばれる施設。

月見坂

月見坂 (つきみざか) 。この坂の上に小学校が2つもあったらしい。ここをバスが走っていたというから驚きだ。

奔別炭鉱竪坑

竪坑がよく見える。

月見坂から奔別炭鉱

夏なら、木の葉や (ささ) が茂って見えなかっただろう。

さて、奔別炭鉱は1900年に開鉱、操業を終了した71年までに、2,650万トンの石炭が採掘されたそうです。※1.

60年に操業した竪坑は、高さ51メートル,深さ735メートル,内径6メートルの規模を誇り、当時は “東洋一” と呼ばれたみたいです。※1.

※1『三笠ジオパーク』,三笠市より.

私の祖父母,母も、奔別炭鉱の閉山の影響を受けました。炭鉱で働いていた祖父ですが、閉山後は内地で働かざるを得なかったのです。

長くなったので、ここで切ります。

次回は、旧幾春別小学校と奔別小学校のお話だよ。

閲覧ありがとうございました。

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プロフィール

しゅう

Author:しゅう
1991年北海道三笠市生まれ。プロフィール

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