言葉の花綵190

 抗議しなければならないときに沈黙するという罪を犯すと、人は臆病になる。(エイブラハム・リンカーン)

 良い市民に生まれる人はいない。民主主義に生まれる国はない。(コフィ・アナン)

 自由なる人々よ、この言葉を忘れるな。我々は自由を得るかも知れない、しかし一度それが失われると取り戻す事はできぬ。(ジャン=ジャック・ルソー)

 自分の言うこと、すること、話す相手、創造や愛、友情の表現、そのすべてが記録される世界に僕は住みたくない。(エドワード・スノーデン)

 hostinato rigore 厳密な秩序の美しさ (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 退屈させたら失敗です。(鳥飼玖美子)

 種子を粉にひいてはならぬ。(『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』 ゲーテ)

 壁を作るよりも、話し合える大きなテーブルを作ろうよ。(カルロス・サンタナ)

 反ユダヤ主義は、自らの不幸と苦悩の原因を究明する力のない国民大衆の意識の低さの表れである。無知な人々は、自らの大きな不幸の原因が国家機構や社会制度にではなくユダヤ人にあると見る。(『人生と運命』 ワシーリー・グロスマン)

 私はただの人間を愛す。私を愛す。私の愛するものを愛る。徹頭徹尾、愛す。(『デカダン文学論』 坂口安吾)

 ただこれ強制に服する根性というものは、己れ以下の弱者に対しては、ただこれ強制する根性なのだ。この一人二役ぐらい文化に距りあるものはないのである。(『風流』 坂口安吾)

 原子バクダンを発見するのは、学問じゃないのです。子供の遊びです。これをコントロールし、適度に利用し、戦争などせず、平和な秩序を考え、そういう限度を発見するのが、学問なんです。(『不良少年とキリスト』 坂口安吾)

 革命だの、国家永遠の繁栄のため、百年千年の計のため我々がギセイになる、そういうチョットきくと人ぎぎのいい甘ッチョロイ考え方がナンセンス、又罪悪であり、人間はギセイになってはならぬ。自分一人好きこのんでギセイになるなら話は別だが、個人としての自我とは別に、社会人としての我々は誰のギセイになる必要もない。(『新カナヅカイの問題』 坂口安吾)
by sabasaba13 | 2019-06-06 06:26 | 言葉の花綵 | Comments(0)
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