論理と偽の仮定
論理学で、
「AならばBである」
という文で、Aがありえない場合は、Bに何をもってきても文は真になります。
数学で、
「1=0」
という式が正しいという仮定からは、どんな等式も正しいと証明できるようです。
どちらも考え方としては同じで、偽の仮定からはどんな答えも導き出せるということ。
それでは物理学で
「摩擦が存在しないと仮定して以下の問題を解け」
という前提が書かれていた場合はどうなるでしょうか。摩擦が存在しないという条件は真ではないので偽の仮定ですが、ならば続くものが何であっても真になるかというと、そうでもなさそうです。
数学の幾何でも、大きさを持たない点や幅の無い線などを使いますが、そんなものは実際には存在しません。そうすると、そこからどんな答えも導き出すことが出来るのでしょうか。
通常の会話が、必ずしも論理学の規則に沿っていないというのは不思議ではないのですが、物理学や数学でさえ論理学的には無意味ともいえる「ありえない仮定」を設定した上での議論を行っているのはなんか不思議です。