久しぶりにニュース系をまとめる。
ツイートでもいいのだが、政治系はやはり本国においては忌避されるし、見たい人が見れるここにこそっとまとめておく。
サイバー/ハイブリッド戦争とも言われるが、切り札すぎて動けない公の物理の陸海空よりも、仮想化された民のネット・金融企業の方が実質的に強力だよなあhttps://t.co/IMrAZFKMVf
— AOKI Takashige (@aochan_0119) 2022年3月2日
グーグルのおすすめニュースに下記が出てきた。くだらないし支持しないのでリンクは殺しておく。
佐藤優「もしもアメリカがトランプ大統領のままなら、ロシアのウクライナ侵攻は起こらなかった」 「ロシアが軍事介入するなら、アメリカも軍を送る」と脅せたはず
PRESIDENT Online
個人的には意見が異なる。
確かにトランプであれば牽制できたであろうことは認める。
ただそれでは冷戦時代と構図が変わらず、人類史としての成長が感じられない。
今はトップが弱腰だからこそ、国際的に民主化と結束がさらに強まったと感じられる。
これにより確かにウクライナ側は実害を被ってしまうが、残念で高圧的な物言いを承知で、人類の歴史の成長に必要な犠牲に思える。
そういう意味では非常に尊い。
バイデン大統領、あるいは岸田総理もリーダシップは開戦以前から疑問視されてきた。
単純な国力としては弱体化しているが、だからこそ一票(一国)の格差が弱まった。
だからこそイギリスやフランスが、以前より存在感を増している印象もある。
アメリカの強力なリーダシップにより世界の警察としての国際秩序維持はありがたかったが、軍備負担やイデオロギー、影響力など様々な要素で不平等だ。
一見、後退に思えるが、新時代への前進のための準備段階だと、私は考える。
多くの王権が倒れ、各国の民主主義は西側で概ね浸透したが、国連の常任理事国にしろ国際秩序はいびつだった。
今回の拒否権の履行などについても、戦後70余年で根本的な制度として停滞していたものを見直す機会になったのはプラスだ。
そういう意味でウクライナにとどまらない世界的な民主化を、他でもない共産圏の寵児のプーチンが進めてしまったのは皮肉だ。
新型コロナ: 仮想オフィスで雑談、スタートアップのエクステンシブル: 日本経済新聞
こういうサービスが流行っている。
弊社はSLACKすら未導入で、こうしたツールによるコミュニケーション文化の見直しは弱い。
しかしリモートワークの流れが不可逆になった今、誰が生き残るかという問題はありつつも、こうしたサービスが普遍化していくだろう。
というのも私自身の経験はないが、超デジタルネイティブ世代のZ世代以下は仲のいい人と寝る間含め電話を繋ぎっぱなしという話を散見する。
同世代でも恋人同士とかではたまに聞いていたが、中高生は友達同士でやる人もいるらしい。
確かにここまでネットサービスや通信品質が高水準になれば、技術的にも人間的にも理解はできる。
そういう世代を鑑みても、時間はかかっても、これらが「標準化」されるのは必然的な流れだ。
上記の記事では収益性の問題かビジネスが主戦場だが、サービスシナジーや利用頻度などユーザー視点で見れば、学校などの若者向けのコミュニティこそ相応しそうにも思える。
Beat TikTok足り得るかもしれない。
まあここまで日常が切り抜けるようになれば、最終的には仮想現実か、生配信の方向性しか現状の蓋然性の延長からは想像できない。
要はD2C(Direct to Custmor)の話だ。
確かにネットにおいて、そうしたサービスが増えてきた印象もある。
アマゾンや楽天の掲載は、チャネルが増える一方、手数料のマージンが差し引かれるため、開発力さえあれば忌避されるのは当然の流れだ。
これを見越してか、両社とも固執せず、別事業で事業継続を既に模索しているのはさすがだ。
私も既に書いたが社内研修にて、Webアプリの開発演習をした。
さすがに決済まわりまで手は回っていないが、こうした部分は別途サービスでコスパ良く構成されているのだろう。
そういう意味ではAWSを通して、アマゾンは事業継続していると言えるのかもしれない。
また自社でサービスを持つことで、これまでプラットフォームに握られていた顧客や勾配に関する情報、ビックデータの収集、活用が簡単になる。
これによりマーケのさらなる高度化を通して、我々顧客への還元を期待したい。
CADは設計のDXで合理化が図れるほか、データをメタバースにそのまま転用できる。
もっとも若干の色付け等は必要だろうが。
中学受験の塾代、3年で「250万円」 世界と隔たる暗記型: 日本経済新聞
馬鹿な話だ。
教育関係者と親というプレイヤー両方ともだ。
前者は本質的な目が必要だ。
もっともその評価が難しいところではあろうが。
これはもう割とどうにもできないというか、話が尽きないところでもあるし、既に昔ベースながら書いたので、そこに任せよう。
今回の主題は後者だ。
バカなゲームだからといってそれに乗る必要はない。
親が子にいい将来を送らせたいのは当然だが、それに教育は必須ではない。
持論だが。
もちろん教育水準が高いことは望ましい。
しかしこの教育は国語、数学、理科、社会、英語、その中でも特に予め作られた問題を、ここでは意味しない。
これでは受験に受かっても、社会で応用できないからだ。
だからこそ、多くの大学で重視される教養が重要なのだ。
これは通塾ではむしろ相対的に低下する能力だ。
私がもし幼少時代をやり直せるなら、ピアノを通した音楽や、立体工作が好きだったのでレゴや木彫り職人のようなところでの体験授業などを多く受けたい。
個人の嗜好で芸術分野に偏り気味だが、要はそうした人間的深み、あるいは子供ということを加味すれば、世界の広さを体験させるべきだ。
そういう意味ではやはり博物館、美術館も有用だ。
最近のマイブームのバックグラウンドには、こうした人生経験に対する反動・カウンターの側面も否定できない。
英語なんかは弊害が如実に出ている。
塾で教わったからといって、それが受験用に局所最適化されているせいで、本来的な目的である英語でのコミュニケーションができないのだ。
英語をやってもいいが、塾で問題集や単語帳を開くのではなく、ネイティブと英会話すべきだ。
また塾に類似して、目先の効率を重視、すなわちエンジニア就職を見越してか、プログラミング教育も流行っている。
ロジックを若いうちに掴んでおくのは合理的な側面があるが、型にはめ過ぎないことが肝要だ。
基礎だけ教わったら、あとはPCを自費で買って、好きにさせればいい。
そこでゲームでも、アプリでも作らせてしまえばいい。
ことこの分野に限って言えば、このような能力さえあれば、高卒でも戦える。
まあプログラムの高度化には、大学数学のバックグラウンドを持っておくべきだろうが。
しかしその専攻も別に東大などの上位校である必要性はないわけだ。
センスさえあれば、いくらでも逆転できるから、教養というセンスを以下に磨くかだ。
ロジックは皮肉にも赤本がある意味いい思考訓練になるかもだが。
要は子供の創造力を殺さないことこそが最も肝要な教育方針なのだ。
教育の根本的な目的を見失わないことだ。
嘆かわしいことに、学校ですら、その態度は危なくなっているが。
子供も持っていないし、持論だが。
あと塾が格好の金儲けだし、子供自身がレッドオーシャンで苦しむよと。