2015年10月17日

 矢田部式部盛治(もりはる)

 三嶋大社護持と民心の安定に捧げた生涯
 第66代三嶋大社神主
 矢田部式部盛治(もりはる)

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 文政7(1824)年3月3日、掛川藩主・太田摂津守家老橋爪弥一右衛門の3男として生まれる。幼名岩吉。幼い頃より藩校徳造書院に学び、国学と算術と武術に励む。しばしば非凡な才能で人々を驚かせたが、特に槍術は宝蔵院流十文字槍に秀で、藩内の若者で彼の右に出る者はないとまでいわれた。
 天保14(1843)年、19歳の時、三嶋神社神主、矢田部伊織盛正の養子となり、名を式部盛治と改めた。嘉永3(1850)年、26歳で三嶋大社神主となる。そのわずか4年後の安政元(1854)年、東海大地震(安政地震)が起こり、三嶋大社は神殿を始め30有余の建造物が悉く倒壊した。盛治は早速幕府に造営を請い、募財のため東奔西走したが内憂外患の当時の情勢下、それは困難を極めた。しかし、盛治はいたずらに焦ることなく、粘り強く再建に向かった。神主、社家、三島宿民一丸となっての悲願達成への努力がついに実を結び、着工から13年の歳月を費やし、明治2(1869)年、新社殿が竣工した。それは街道筋に類を見ないほどの立派で勇壮なものであった。
 盛治は救世愛民を主義とし、震災風水害の度毎に救済事業に力を入れた。物価の暴騰甚だしく世相騒然となった慶応元(1865)年6月、三島宿で米屋数軒が打ち壊されるという事件が起こった。この時盛治は破格の値段で米を売り窮民の救済にあたったことは、今なお古老の語り草となっている。
 明治元(1868)年、官軍東征の折には、遠州に報国隊、駿河に赤心隊という神官を中心とする盟約がなされた。盛治はこれに呼応して伊豆の神官約70人を結集し伊豆伊吹隊を結成。自らその盟主となり、明治天皇東行を護衛し、人心の安定に力を尽くした。このため三島宿は騒乱の兵火を免れることができた。
 一方、盛治は、三嶋大社北東に位置する紙園原一帯の開発にも注目し、農民の長年の念願であった沢地川から水路をひき、10町歩に及ぶ水田開発に成功した。明治2(1869)年2月、村民総出の工事が始まり、盛治は陣頭指揮に立った。長さ250mの掘り抜きトンネルを含め、全長およそ500mの掘割用水路はわずか4カ月間で完成した。特筆すべきはこの工事にかかる費用は全て矢田部家で立て替えられたことである。死の直前、盛治は息子の盛次を枕元に呼び、「祇園原用水の工事費は、全部矢田部家で返すために、生活を切り詰めてやってきた。盛次、お前もどのような苦労をしてでも残りの金をしっかり返してくれ」と言い残したという。盛次は父の遺志を受け継ぎ、正月に餅もつけないほど貧乏になっても、借りたお金を返すために努力して、とうとう全額返した。この盛治の生き方に心打たれた人々は、「お殿様」と敬い親しみ、約100年後、三嶋大社境内に「矢田部式部盛治像」を建立した。
 明治4(1871)年、三嶋大社は*官幣大社に指定される。この朗報に接したのも束の間、同年9月14日、死去。享年47。波乱に満ちた時局下、絶えず民心の安定に心を配り、大社造営の悲願を達成した盛治は、新政府からの度々の招致にも拘わらず、三嶋大社護持に全生命を捧げた。
 *官幣大社 社格のひとつ。大社、中社、小社、別格官幣社の別がある。taisya

明治以後は宮内省から幣帛(へいはく・神に供える麻布の称)を供進した神社をいう。主として皇室尊崇の神社および天皇、皇親、功臣を祀る神社。第2次大戦後この制度は廃止された。
 出典= 『三島市誌・中巻』『群像いず』永岡治著(静岡新聞社発行)『矢田部式部盛治』伊藤三千夫著(矢田部盛治大人偉業顕彰会発行)『郷土につくした人々2大空にかけるゆめ』(静岡教育出版社発行)


【グランドワーク三島:ボランラリーニュース№57号「みしま歴史旅その20」より】
  

Posted by パイプ親父 at 10:35Comments(0)歴史上の人物

2015年10月14日

西岡昭夫さん死去

西岡昭夫さん死去
 コンビナート闘争で理論的支柱

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 石油化学コンビナート進出計画で、反対闘争を理論的に支えた教員グループの一人で、その後も行政の環境政策などの問題を指摘し続けた西岡昭夫さんが十日、入院先の静岡医療センターで死去した。八十八歳。自宅は下香貫牛臥三〇〇五の一。
 一九二七年九月、戸田村に生まれ、旧制沼津中学(現沼津東高)から陸軍士官学校へ進んだ。敗戦後、中央気象台附属気象技術官養成所(現気象大学)、東京理科大を卒業後、静岡県の高校教師となった。
 沼工在職中、沼津市、三島市、清水町へのコンビナート建設計画が発表されると、石油化学コンビナートが喘息などの公害を招いた四日市に行き検証。沼津への進出反対運動の先陣を切った。
 計画を疑問視する国立遺伝学研究所の松村清二博士を中心とする地元研究者で構成する松村調査団に加わり、国が委嘱した黒川真武博士を中心とする産業公害調査団、いわゆる黒川調査団と相対した。
 この計画で西岡さんは、牛臥海岸への東京電力火力発電所について、沼工の生徒や保護者の協力を得て、こいのぼりによる風向、風力などの調査資料を基に、黒川調査団の矛盾点を指摘。
 さらに松村調査団は、沼津地区の気流の特異性などを挙げて黒川調査団を論破。加えて沼津医師会や漁業者、市民の強力な反対運動もあり、国は計画を断念した。これは後に、日本で初めての住民運動として沼津の名前を全国に知らしめた。
 その後、三島北高、韮山高で教えたが、韮山高在任中、心筋梗塞を発症し五十九歳で退職。その後、研究の道に入り、名古屋大と宮城教育大で講師を務めた。
 その傍ら、地元の問題として、富士山裾野への富士サファリパーク進出や愛鷹山麓へのゴルフ場開設、柳沢へのゴーカート場建設、千本松原内へのサイクリング施設建設、志下地区水産加工場からの廃液による塚田川水質汚染など多くの環境問題に取り組み研究。
最近では、沼津駅付近鉄道高架事業、ごみ焼却含む新中間処理施設整備事業に対する問題点を指摘するなど一貫して環境保護の立場から、沼津朝日新聞紙上を通して様々な提言をし続けた。
環境保全と労働安全の分野で社会的不正義をなくすために熱意ある取り組みをしている個人、団体の活動を顕彰する「田尻賞」第1回で表彰を受けた。
 葬儀・告別式は十三日、妻の和子さんが喪主となって行われた。
【沼朝平成27年10月14日(水)号】
  

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2015年10月08日

梶田隆章氏ノーベル賞:物理学賞

梶田隆章氏ノーベル賞:物理学賞
 ニュートリノ質量発見
 故戸塚氏(富士出身)と研究

梶田隆章
【梶田隆章氏(がじた・たかあき)1959年3月9日、埼玉県生まれ。県立川越高、埼玉大卒。81年、東京大大学院の小柴昌俊氏の研究室に進み、カミオカンデ実験に加わった。86年大学院博士課程修了。東京大理学部助手、東京大宇宙線研究所の助手、助教授を経て99年教授。スーパーカミオカンデの建設に携わり、観測時はデータ解析責任者として日米の研究者を率いた。98年6月、岐阜県高山市の国際会議で「ニュートリノ振動の発見」を発表した。08年4月から東京大宇宙線研究所所長。99年仁科記念賞。56歳。(共同)】
 【ストックホルム共同】スウェーデンの王立科学アカデミーは6日、2015年のノーベル物理学賞を、重さがないと考えられていた素粒子「ニュートリノ」に質量があることを見つけた梶田隆章・東京大宇宙線研究所長(56)ら2人に授与すると発表した。宇宙の謎に挑んだ日本のニュートリノ研究が最高の栄誉に輝いた。5日に医学生理学賞に決まった大村智北里大特別栄誉教授(80)に続く連日の受賞。
 日本人連日の受賞
 梶田氏らの発見は、宇宙の成り立ちを説明する長年の理論に修正を迫る歴史的な成果とされている。梶田氏はノーベル財団との電話インタビューで「本当に驚いている。信じられない」と話した。
 日本人受賞者は、計24人となる。物理学賞は、青色発光ダイオード(LED)を開発した天野浩名古屋大教授(55)=浜松市出身=ら3人が独占した昨年からの連続受賞で、日本の物理学の実力を示す快挙。梶田氏は、02年に物理学賞を受賞した小柴昌俊東京大特別栄誉教授(89)の教え子で、一つの研究チームから2度の受賞は日本で初めて。梶田氏は、富士市出身の研究者、故戸塚洋二氏とともに研究していた。
 ニュートリノは、宇宙に存在する最も基本的な粒子の一つで、どんな物質もすり抜けるため謎が多い。梶田氏は岐阜県飛騨市の観測装置スーパーカミオカ.ンデで、地球の大気で生じる「大気ニュートリノ」を観測。「ミュー型」という種類の二ュートリノが飛行中に「タウン型」に変身する振動という現象を見つけ1998年に発表。振動現象はニュートリノに質量がある証拠とされる。
 同時受賞は、カナダの鉱山の地下で同様の実験をしたカナダ・クイーンズ大のアーサー・マクドナルド名誉教授(72)。

うちゅうの謎 新たなドワ開く
 宇宙の成り立ちに大きな影響を与えたとされる素粒子ニュートリノは、どんな物質もすり抜けるため「幽霊粒子」と呼ばれる。私たちは実感できないが、地球上でも大量のニュートリノが常に体を通り抜けている。身の回りにあるのに観測は難しく、一時は光より速いという実験結果があったほど謎が多い。ニュートリノが質量を持つとの発見は宇宙の謎に新たな扉を開いた。
 小柴昌俊さんが超新星爆発で出たニュートリノを初めて検出して開拓した研究分野を、梶田隆章さんらがさらに発展させ、幽霊粒子の正体に迫った。
 ニュートリノには「電子型」「ミュー型」「タウ型」と3種類ある。梶田さんが見つけたのは、ニュートリノが飛んでいる間に別の種類に変身してしまう「振動」という不思議な現象だ。変身するのは質量を持つ証拠とされる。
 ニュートリノはスイスの理論物理学者が1930年に存在を予言したが、50年代まで見つからなかった。質量もゼロと考えられていた。宇宙には膨大な量のニ・ユートリノが存在するため、質量があれば大きな引
力が発生し、宇宙の膨張にブレーキをかけるかもしれない。宇宙を満たす「暗黒物質」の正体である可能性も取り沙汰され、梶田さんらの発見は反響を呼んだ。

指導者に恵まれ花開く
 小柴さんに続く栄誉
 ノーベル物理学賞に決まった梶田隆章さんは、2002年に同賞を受賞した小柴昌俊東京大特別栄誉教授(89)の門下生。小柴さんや後継者の戸塚洋二さん(08年に死去)ら指導者に恵まれ、地道で粘り強い「実験屋」の才能が花開いた。
 小柴さんは「梶田は大学院生のころから詳しく調べ、スーパーカミオカンデでもずっと1人で続けていた。戸塚という良いボスに応援され、ニュートリノ振動の発見に最大の寄与をした」と教え子の業績をたたえる。
「あまり目立たな静かな子どもだった。クラスのリーダーはやりたくないというタイプ」と言う梶田さん。物理に興味を持ち始めたのは高校時代で、自然法則をシンプルに「きれいな式で表せることが魅力だった」と振り返る。
 埼玉大では「あまりまじめに勉強する方じゃなかった」が「素粒子の実験的な研究をしたい」と、東大大学院の小柴研究室のドアをたたいた。このころニュートリノ観測装置「カミオカンデ」は試作段階。研究室の紹介資料にも書いておらず、梶田さんはニュートリノの存在自体を知らなかった。
 指導を受けた小柴さんのことを「若いときはもっと怖かったそうだが、やはり怖かった。研究について妥協しない。先生が駄目だと言うものは考えを曲げてもらえなかった」と話す。
 ニュートリノの観測データに「振動」の兆候が表れていることに気付き1988年に論文を発表したが「計算が間違っているのでは」と冷たい意見も聞こえた。10年間かけて検証を重ね、間違いないとの確証を得た。「跳びはねはしないが、それに近い感動だった」と、控えめに振り返る。
 98年、岐阜県高山市で開かれた国際会議で「振動の証拠」と発表。万雷の拍手でたたえられた。100人を超えるスーパーカミオカンデの研究チームを強力なリーダーシップで率いた戸塚さんは、発表を梶田さんに任せた。「一言『やれ』と。ありがたかった」
 梶田さんは10年、小柴さんが弟子の死を惜しんで創設した「戸塚洋二賞」を受賞した。
 「戸塚先生の名前を付けた賞をもらえたのは特別なこと」と話す。そこにノーベル賞という世界最高の栄誉が加わった。


 弟子の快挙に「よかった」
 梶田隆章さんの恩師で、2002年にノーヘル物理学賞を受賞した東京大特別栄誉教授
小柴昌俊さんは6日、東京都内の自宅で梶田さんから電話でノーベル物理学賞受賞決定の報告を受け、「おめでとう、よかったね。いずれはもらうと思っていたけど」とたたえた。
 梶田さんからの電話は、スウェーデンの王立科学アカデミーの発表直後の午後6時50分ごろ。梶田さんはうれしそうな様子だったといい、小柴さんは「最初に知らせてきたんでしょう」と弟子の快挙を喜んだ。梶田さんについて、小柴さんは「私が始めたヵミオカンデの実験に、最初から飛び込んできた」と、振り返った。
 小柴さんの弟子には、梶田さんの先輩に当たる戸塚洋二さんがいた。小柴さんは戸塚さんについて間われると「死んじゃったから、どうこう言つてもしょうがないじゃない」と言葉少なだった。
 カミオカンデの研究仲間も喜び
 梶田隆章さんが研究に取り組み、素粒子「ニユートリノ」に質量があることを見つけた観測装置スーパーカミオカンデ。岐阜県飛騨市の施設では、研究仲間らが「やったー」「待ちに待った受賞だ」と喜びを爆発させた。
 施設の会議室には約20人が集まり、受賞者発表の様子を映したモニターを見入った。梶田さんの名前が読み上げられると驚きの声が上がり、すぐに祝福ムードに。全員で万歳三唱した。
 大学院時代から梶田さんと研究し、カミオカンデの建設にも一緒に携わった東京大宇宙線研究所の中畑雅行教授(56)は「頭の回転が速く、自分も非常に学ぶことが多かった。ノーベル賞に匹敵する研究だと分かっていた」と喜びを隠しきれない様子。関谷洋之助教(38)は「過去数年間、受賞が期待されて肩すかしを食らってきた分、大変うれしい。一層モチベーションを上げて、宇宙の始まりに迫る研究に取り組んでいきたい」と興奮気味に話した。

「戸塚先生功績大きい」
 ノーベル賞 梶田さん笑顔の会見
 戸惑いながらも喜び
 この世界は何でできているのか。宇宙を飛び回る小さな素粒子「ニュートリノ」を調べ、謎に迫った梶田隆章・東京大宇宙線研究所長(56)に6日、ノーベル物理学賞の知らせが届いた。「頭が真っ白」と笑顔を見せつつ、亡くなった先輩研究者をたたえた梶田さん。前日の医学生理学賞に続く快挙に、各地で祝福の声が上がった。
 午後8時半すぎ、東京都文京区の東京大本郷キャンパスで始まった記者会見。カメラのフラッシュが続く中、梶田さんは戸惑いながらも笑顔を見せ、ニュートリノ研究を「人類の知の地平線を拡大するような分野」と表現した。
 黒っぽいスーツに水色のネクタイを着けた梶田さんは安倍晋三首相からの電話を受けながら会見場に現れた。「何を話していいか分からない状況」と戸惑いつつ、妻に受賞を報告したと明かした。
 ニュートリノの質量を捉えた観測装置「スーパーカミオカンデ」では、故戸塚洋二・元高エネルギー加速器研究機構長=富士市出身=と苦労を共にした。梶田さんは、戸塚さんが共同受賞者にふさわしいと高く評価。「戸塚先生のお力があったので(スーパーカミオカンデを)建設できた。功績は大きい」とたたえた。
 一番苦しかった出来事を問われると、2001年にスーパーカミオカンデで起きた事故を挙げ、「本当にショックを受けた」と明かした。そのときも、戸塚さんのリーダーシップで乗り越えたと振り返った。
 「気さくで緻密な人」
 県内関係者、快挙祝福
 梶田隆章さんの共同実験グループの一員、静岡福祉大の岡沢裕子教授(宇宙線物理学)によると、梶田さんは気さくさと緻密さを備えた人。「実験が思うように進まない時、一緒にたこ焼き屋でも始めようか、とユーモアを交えて励ましてくれた」と振り返り、「厳しい目で根気よく問題解決される方」とたたえた。
 2009年、梶田さんは焼津市のディスカバリーパーク焼津・天文科学館が開催したニュートリノ企画展に協力した。同館事務長だった池ケ谷憲司さん(61)は「ニュートリノのような日の当たらない世界を子供たちに紹介させてもらい、ありがたい、と言ってくれたことを覚えている」。
 富士市出身の物理学者戸塚洋二氏=享年66歳=の兄、戸塚一さん(84=同市富士岡=は自宅で梶田さんの受賞を知った。「突然テレビで洋二の名前も出て驚いた。本人の受賞はかなわなかったが、後継者が研究を続けてくれて弟も喜んでいると思う。証明してくれた梶田さんに、おめでとうと言いたい」と話した。
【静新平成27年10月7日(水)朝刊】
  

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2015年10月06日

梶田隆章氏ノーベル賞受賞

物理学賞に梶田氏:ノーベル賞 ニュートリノ質量を実証
毎日新聞 2015年10月06日 18時54分(最終更新 10月06日 19時00分)

梶田隆章さん
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 スウェーデンのカロリンスカ研究所は6日、今年のノーベル物理学賞を梶田隆章・東京大宇宙線研究所長(56)ら2人に授与すると発表した。授賞理由は「ニュートリノ振動の発見」。素粒子のニュートリノに質量があることを実証した功績が評価された。
 日本からの受賞は、5日の大村智・北里大特別栄誉教授(80)に続き2日連続。米国籍の南部陽一郎氏(08年物理学賞)、中村修二氏(14年同)を含め24人となる。
 授賞式は12月10日にストックホルムで開かれ、賞金800万スウェーデンクローナ(約1億1500万円)が贈られる
  

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2015年10月06日

大村智氏ノーベル賞受賞

大村智氏ノーベル賞
大村1

医学生理学賞 熱帯病特効薬を開発
伊東で発見 微生物から生成
【大村智氏(おおむら・さとし)1935年7月12日、山梨県韮崎市生まれ。山梨大を卒業後、都立墨田工業高定時制で5年間教師を務めた。東京理科大大学院修士課程を経て、63年に山梨大助手。東京大で薬学博士、東京理科大で理学博士を取得し、75年に北里大教授。2001年に北里生命科学研究所長、07年に名誉教授、13年に北里大特別栄誉教授。1989年上原賞、97年コッホ・ゴールドメダル、2014年カナダ・ガードナー賞の国際保健賞など受賞。文化功労者、80歳。(共同)】
 【ストックホルム共同】スウェーデンのカロリンスカ研究所は5日、2015年のノーベル医学生理学賞を、アフリカなどで寄生虫が引き起こす熱帯感染症に大きな治療効果を挙げた特効薬を開発した大村智.北里大特別栄誉教授(80)ら3人に授与すると発表した。途上国を中心に年間3億人に投与され、人命を救う薬の発見が最高の栄誉に輝いた。
 日本人のノーベル賞受賞は2年運続で23人目。医学生理学賞は12年の山中伸弥京都大教授(53)以来となる3人目の快挙で、日本オリジナルの研究成果が高く評価された。
 大村氏は共同通信の電話インタビューに「微生物のすごい能力を何とか引き出そうとしてきた。何か一つでも人のためになることができないか、いつも考えてきた」と喜びを語った。
 受賞が決まったのは大村氏と米ドリュー大のウィリアム・キャンベル博士、中国中医科学院の屠ゆうゆう博士の計3人。大村氏とキャンベル氏は同じテーマの共同受賞で、屠氏は抗マラリア薬の発見が授賞理由となった。
 大村氏は、伊東市のゴルフ場の土壌で見つけた細菌の作り出す物質が、寄生虫に効果があることを発見。1973年から米製薬大手メルクと共同研究し、その物質をもとに薬剤「イベルメクチン」を開発した。
 この薬は、重症の場合に失明することもある熱帯病のオンコセルカ症(河川盲目症)や、リンパ系フィラリア症(象皮症)の特効薬となり年間3億人が使用。世界保健機関(WHO)は、2020年代にいずれも撲滅できると見込んでいる。
 日本でもダニが原因の疥癬(かいせん)症や、沖縄に多い糞(ふん)線虫症などの治療に威力を発揮している。
 授賞式は12月10日にストックホルムで開かれ、賞金800万クローナ(約1億2千万円)の半分が屠氏に贈られ、もう半分を大村氏とキャンベル氏が分ける。

 貧しい人々失明から救う
 世界の保健衛生の向上

 大村智・北里大特別栄誉教授(80)が見つけた化学物質をもとにした抗寄生虫薬「イベルメクチン」は、アフリカや南アジア、中南米などで寄生虫による失明の危機におびえる人々を救った。最も貧しい地域の人々に「革命的な治療法」をもたらし、世界の保健衛生を向上たらしに大きく貢献した。
 失明をもたらすこともあるオンコセルカ症(河川盲目症)は、ブユなどが媒介するミクロフィラリアという寄生虫が原因だ。大村さんはこの寄生虫を殺す化学物質をつくる微生物を、伊東市にあるゴルフ場の土の中から見つけた。
 1㌘の土には1億種類を超える微生物がいるとされる。大村さんは「ほしい物質をつくる微生物が必ずいる」との信念で数千もの微生物コロニーを培養。共同受賞が決まったウィリアム・キャンベル博士が、製薬大手メルクで有望物質を抽出し、特効薬が開発された。
 年1回飲むだけで効く手軽さも手伝い、オンコセルカ症は2020年代に撲滅される見通しだ。皮膚が硬く変形するリンパ系フィラリア症(象皮症)や皮膚の病気の疥癬(かいせん)など、寄生虫が原因となる多くの病気に有効。年間3億人が服用しているとの試算もある。大村さんは微生物がつくる有用な化学物質を500種類近く発見。20種類以上が薬などとして使われている。

 大自在
 「ほしい物質を作る微定物が必ずどこかにいる」。常にこのことが頭にあったのだろう。30代で当時、北里研究所の研究員だった北里大特別栄誉教授の大村智さん(80)は、伊東市の名門ゴルフ場川奈ホテルGCの近くから採取した土を、研究室に持ち帰った▼1974年、この土から寄生虫に効果がありそうな化学物質を作る微生物が見つかった。共同研究相手の米薬品大手の動物実験で、物質の効果が裏付けられた。これをもとに動物用の抗寄生虫薬「イベルメクチン」が開発され、世界的ヒット商品となる▼さらにアフリカや中南米の人々が失明する大きな要因だった熱帯病「オンコセルカ症」にも有効と判明した。年に1回飲むだけで効く。他の病気と合わせると年間3億人がこの薬を服用しているとの試算もあるそうだ▼スウェーデン・カロリンスカ研究所は、2015年のノーベル医学生理学賞を大村さんに授与すると発表した。日本人の医学生理学賞は12年の山中伸弥京都大教授以来3人目。日本オリジナルの研究成果が今回も高く評価された▼高校教諭から研究者となった。都内の工業高校定時制で、手に油を付けたまま授業を受ける生徒を見て心を動かされ、昼と土日は大学院で学び研究の面白さに引き込まれたという▼発見、命名した476種類の化学物質は、頭文字がAからZまでそろう。26種類が薬などとして使われる。特許は国内外250件以上。「自分が偉い仕事をしたとは思っていない」。すべて微生物がやっただけと会見ではにかむ。こん姿もまた誇らしい。(2015・10・6)

伊東の土、栄誉の礎
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 「微生物の力を借りているだけ。私が賞をもらっていいものか」。ノーベル医学生理学賞受賞が決まった北里大特別栄誉教授大村智さん(80)は5日午後8時半ごろ、東京都港区の北里大で記者会見。総立ちの学生から大きな拍手が起こり、フラッシュを浴びると「こんな賞をいただいていいのかな」とはにかんだ笑顔を見せた。
 「微生物の力」強調
 異能の人、謙虚に喜び
 威張らず、声を張り上げず、謙虚な人柄を感じさせる静かな語り口。「微生物が:」「先輩たちが」と何度も感謝を表した。明るいグレーの上着にネクタイ、細い金縁の眼鏡。なかなか緊張がほぐれず、マイクを手に「初めてなのでどうしていいのか分からない」とつぶやくと、ようやく笑顔になった。
 受賞決定の知らせは予想外だったようだ。午後4時半には帰宅する予定だったが、秘書が帰ろうとしない。「予感がしたのか、待つように言われた」ところに、スウェーデンからの国際電話が鳴つたという。最初に報告した。人を問われると「心では今はなき家内。研究者として一番大変なときに支えてくれた」と答えた。長女の育代さん(42)には「びっくりした。まさか取れると思っていなかった」と電話で報告したという。喜びを語るうちに表情が緩み、口調も滑らかになった。
 自分の研究人生を「何か役に立つことはないかと絶えず考え、人の役に立つことをやりたいと思っていた」と振り返る。「めちゃくちゃ本を読んだ。全体の流れをいつもつかんで研究を進めた」と自負ものぞかせた。

 土採取から特効薬
 寄生虫が原因の熱帯病の特効薬となる物質「エバーメクチン」を作り出す微生物がいたのは、伊東市川奈のゴルフ場で採取した土の中だった。「年間2千~3千株もの土を採取する」という大村智・北里大特別栄誉教授は会見で「いつでも土が.採取できるよう、今でも財布の中にはビニール袋がある」と"臨戦態勢"を強調した。
仲間と訪れたそのゴルフ場で土を採取したのは1970年代の半ば。研究を重ね、エバーメクチンの発見.開発に至ったのは土の採取から約5年後だった。採取、培養、分析の繰り返しという地道な作業が実を結んだ。
 膨大な作業は、「1人でできる研究ではない」。仲間に恵まれて一いた環境に大村教授は感謝の言葉を繰り返した。

 「とても光栄」
ゴルフ場関係者
 伊東市の川奈ゴルフ場の土壌で見つかった細菌からの発見が、大村智氏のノーベル賞受賞につながり、同ゴルフ場の関係者らは「とても光栄なこと」と喜びの声を上げた。
 1978年から同ゴルフ場で働き、93年から約20年間グリーンキーパーの貴任者を務めた本家保治さん(67)は「大村さんはゴルフ好きと聞いた。川奈ゴルフ場でプレーしたことが大発見につながったのであればうれしい」と声を弾ませた。

研究に厳しく「偉大」 美食家の」面も
 ノーベル医学生理学賞を受賞した北里大特別栄誉教授の大村智氏(80)は2007年と13年に静岡市駿河区の県立大で特別講義を行った。20年来の付き合いがあり、大村氏を大学に招いた県立大薬学部の菅敏幸教授(医薬品製造化学)は「とても偉大」と敬意を表した。
 菅教授によると、13年の講義で大村氏は教職員や学生約180人を前に、今回の受賞につながった研究内容について、最新データを示しながら分かりやすく解説した。講義後、「ノーベル賞受賞という悲願を達成してください」と声を掛けたら笑顔が返ってきたと、菅教授は振り返る。
 研究に対してはまじめで厳しい一方、美食家で、学生や教員と一緒に酒を飲みに行くことを好む気さくさを持ち合わせていたという。
 ほろ酔い気分で細菌学者の北里柴三郎や野口英世について、「今ならノーベル賞が取れた」と熱く語ることもあった。菅教授はそう思い返しながら、大村氏についても「もっと早く受賞してもいい研究だった」と力を込めた。

 「誠実な人柄」 木苗県教育長

大村3
 ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった大村智・北里大特別栄誉教授(80)は2013年1月県▽天大学院で特別講義を行ったことがあり、当時の学長だった木苗直秀県教育長は5日、「大村氏は誠実な人柄。世界的にも有用な研究で、近いうちに受賞すると思っていた。受賞を祝福したい」と語った。
 大村氏は「天然物有機化学の研究40余年」と題した特別講義で、抗寄生虫薬イベルメクチンの開発などについて解説し、当時の木苗学長や学生、教職員と意見交換した。
【静新平成27年10月6日(火)朝刊】
  

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2015年10月02日

 勧山さんの叙勲祝う 沼津

献眼運動で功績 沼津
 勧山さんの叙勲祝う 視力回復の女性が花束
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 日本アイバンク運動推進協議会の量局顧問を務める沼津市の真楽寺前住職の勧山弘さん(96)の叙勲受章を祝う会が30日夜、市内で開かれた。
 同協議会や県アイバンクの役員、勧山さんが所属する沼津ライオンズクラブ(LC)をはじめ各地区のLC会員、同寺の信徒ら約260人が集まり、献眼運動の先駆者の功績をあらためてたたえた。
 角膜の提供を受け光を取り戻した函南町出身の渡辺小百合さん(東京)は勧山さんに花束を贈った後、失明を告げられた時の絶望感、視力が回復した時の喜び、献眼者への感謝の気持ちを語った。
 勧山さんは1964年、通夜で故人の眼球摘出手術を目にしたのをきっかけに献眼運動を始め、LCを軸に全国に活動の輪を広めた。今春、半世紀にわたる功績に叙勲が贈られた。勧山さんは謝辞を兼ねた講話で「1人の献眼で失明者2人に光が戻る。こんな素晴らしいことはない」と訴えた。
【静新平成27年10月2日(金)朝刊】
  

Posted by パイプ親父 at 06:15Comments(0)素晴らしい