2013年01月24日
沼津西高フェンシング部:鈴木穂波(18)
沼津西高フェンシング部:鈴木穂波(18)「世界選手権切符つかむ」来月ジュニアW杯
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沼津西高フェンシング部3年の鈴木穂波(18)が、11日に都内で行われたJOCジュニアオリンピックカップ(JOC杯)フェンシング大会のジュニア(19歳以下)女子エペで7位に入り、全日本ジュニアの海外遠征メンバーに選ばれた。2月3日にスウェーデンで開かれるジュニア・ワールドカップ(W杯)を目前に、「結果を残して、世界選手権への切符をつかみたい」と闘志を燃やしている。
JOC杯には、大学生を含む88人が出場した。準々決勝で敗れたが、海外遠征枠の8人に入った。高校生は鈴木を含め2人。「優勝が目標だったので悔しいが、試合内容には納得できた」と振り返った。
ジュニアW杯には約200人が出場する。一つでも多く勝ち上がってポイントを獲得し、国内ランキングが3位以内になれば、4月にクロアチアで開催される世界ジュニア選手権への出場権が獲得できる。
中学2年の時、北京五輪をテレビで見てフェンシングに興味を持った。「競技人口が少ないので、今から始めても五輪に出られるかもしれない」と沼津市内の道場の門をたたいた。
高校の部活動を引退した今は道場で練習に励む。「欧州の選手は体格がよくレベルも高い。足を使って自分のタイミングで攻撃を仕掛けたい」と戦術を描く。
同校で指導に当たった金子尚江教諭は「間合いの取り方が上手。実力を出せば上位に食い込める」と、世界の舞台を目指す教え子にエールを送る。
《静新平成25年1月24日(木)夕刊》
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沼津西高フェンシング部3年の鈴木穂波(18)が、11日に都内で行われたJOCジュニアオリンピックカップ(JOC杯)フェンシング大会のジュニア(19歳以下)女子エペで7位に入り、全日本ジュニアの海外遠征メンバーに選ばれた。2月3日にスウェーデンで開かれるジュニア・ワールドカップ(W杯)を目前に、「結果を残して、世界選手権への切符をつかみたい」と闘志を燃やしている。
JOC杯には、大学生を含む88人が出場した。準々決勝で敗れたが、海外遠征枠の8人に入った。高校生は鈴木を含め2人。「優勝が目標だったので悔しいが、試合内容には納得できた」と振り返った。
ジュニアW杯には約200人が出場する。一つでも多く勝ち上がってポイントを獲得し、国内ランキングが3位以内になれば、4月にクロアチアで開催される世界ジュニア選手権への出場権が獲得できる。
中学2年の時、北京五輪をテレビで見てフェンシングに興味を持った。「競技人口が少ないので、今から始めても五輪に出られるかもしれない」と沼津市内の道場の門をたたいた。
高校の部活動を引退した今は道場で練習に励む。「欧州の選手は体格がよくレベルも高い。足を使って自分のタイミングで攻撃を仕掛けたい」と戦術を描く。
同校で指導に当たった金子尚江教諭は「間合いの取り方が上手。実力を出せば上位に食い込める」と、世界の舞台を目指す教え子にエールを送る。
《静新平成25年1月24日(木)夕刊》
2013年01月23日
村山のどか選手(沼津市立高3年)
第61回静新・SBSスポーツ賞
奨励賞 村山のどか選手(全国高校柔道選手権女子70㌔級優勝、沼津市立高3年)
思い切り勝負し頂点
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全国高校柔道選手権大会女子70㌔級で念願の初優勝を飾った。「相手が全国大会常連の強豪選手だと分かっていた。負けることも覚悟して、思い切り戦えたことが勝利につながった」と話す。
兄の影響で、4歳の時に柔道を始めた。小学5年で全国大会初出場。中学1年から高校2年まで、県大会で個人優勝を続けた。だが、全国大会では頂点に立てなかった。「全国でも勝ちたい」。その気持ちを原動力に、練習に打ち込んだ。
昨年12月にフランスで開かれたジュニア国際大会では準優勝。それでも「優勝したかった」と悔しさをにじませる。4月からは筑波大生。世界を見据えて、「技の種類を増やしたい」と意気込む。
三島市谷田。18歳。
《静新平成25年1月23日(水)「受賞者の横顔」》
奨励賞 村山のどか選手(全国高校柔道選手権女子70㌔級優勝、沼津市立高3年)
思い切り勝負し頂点
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全国高校柔道選手権大会女子70㌔級で念願の初優勝を飾った。「相手が全国大会常連の強豪選手だと分かっていた。負けることも覚悟して、思い切り戦えたことが勝利につながった」と話す。
兄の影響で、4歳の時に柔道を始めた。小学5年で全国大会初出場。中学1年から高校2年まで、県大会で個人優勝を続けた。だが、全国大会では頂点に立てなかった。「全国でも勝ちたい」。その気持ちを原動力に、練習に打ち込んだ。
昨年12月にフランスで開かれたジュニア国際大会では準優勝。それでも「優勝したかった」と悔しさをにじませる。4月からは筑波大生。世界を見据えて、「技の種類を増やしたい」と意気込む。
三島市谷田。18歳。
《静新平成25年1月23日(水)「受賞者の横顔」》
2013年01月19日
大相撲の元横綱大鵬、納谷幸喜さんが死去
大相撲の元横綱大鵬、納谷幸喜さんが死去
2013.1.19 16:03 [有名人の訃報]
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大相撲の第48代横綱で同じく名横綱の柏戸と「柏鵬時代」と呼ばれる黄金期を築いた元横綱大鵬の納谷幸喜さんが19日午後3時15分、東京都内の病院で死去した。72歳だった。
納谷さんは北海道弟子屈町で生まれ、16歳のときに二所ノ関部屋に入門。昭和31年秋場所で初土俵を踏んだ。早くから将来を嘱望され、同35年初場所では、19歳の若さで新入幕を果たした。
20歳5カ月で幕内優勝など数々の最年少記録を塗り替えて、昭和36年秋場所後に、柏戸とそろって横綱に推挙。このとき、21歳3カ月で、当時の最年少昇進の記録だった。
「剛の柏戸」に対し、「柔の大鵬」といわれ、得意の左四つになってからジワジワと相手を追い詰める安定した取り口で、多くの記録を作った。幕内優勝32回、2度の6連覇、45連勝など相撲史に残る大記録を次々に打ち立て、双葉山とともに「昭和の大横綱」と評された。
また、当時の子供たちに人気のある代名詞として「巨人、大鵬、玉子焼き」という言葉もあったほど、広く国民に親しまれた。
柏戸とのライバル対決に多くのファンが手に汗を握ったが、昭和46年夏場所で引退。優勝30回を記念して、現役の昭和44年9月に贈られた一代年寄「大鵬」を襲名した。親方としては元関脇巨砲らを育てた。また、昭和55年から8期16年にわたり、日本相撲協会の理事を務め、名古屋場所部長などの要職に就いた。
脳梗塞(こうそく)の後遺症などで、平成8年2月に理事を辞任。以降は相撲教習所所長として新弟子の教育などにあたっていた。
2013.1.19 16:03 [有名人の訃報]
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大相撲の第48代横綱で同じく名横綱の柏戸と「柏鵬時代」と呼ばれる黄金期を築いた元横綱大鵬の納谷幸喜さんが19日午後3時15分、東京都内の病院で死去した。72歳だった。
納谷さんは北海道弟子屈町で生まれ、16歳のときに二所ノ関部屋に入門。昭和31年秋場所で初土俵を踏んだ。早くから将来を嘱望され、同35年初場所では、19歳の若さで新入幕を果たした。
20歳5カ月で幕内優勝など数々の最年少記録を塗り替えて、昭和36年秋場所後に、柏戸とそろって横綱に推挙。このとき、21歳3カ月で、当時の最年少昇進の記録だった。
「剛の柏戸」に対し、「柔の大鵬」といわれ、得意の左四つになってからジワジワと相手を追い詰める安定した取り口で、多くの記録を作った。幕内優勝32回、2度の6連覇、45連勝など相撲史に残る大記録を次々に打ち立て、双葉山とともに「昭和の大横綱」と評された。
また、当時の子供たちに人気のある代名詞として「巨人、大鵬、玉子焼き」という言葉もあったほど、広く国民に親しまれた。
柏戸とのライバル対決に多くのファンが手に汗を握ったが、昭和46年夏場所で引退。優勝30回を記念して、現役の昭和44年9月に贈られた一代年寄「大鵬」を襲名した。親方としては元関脇巨砲らを育てた。また、昭和55年から8期16年にわたり、日本相撲協会の理事を務め、名古屋場所部長などの要職に就いた。
脳梗塞(こうそく)の後遺症などで、平成8年2月に理事を辞任。以降は相撲教習所所長として新弟子の教育などにあたっていた。
2013年01月16日
詩吟愛好家 柿迫芳信さん(沼津市)
詩吟愛好家 柿迫芳信さん(沼津市)
新春吟詠の準備に奔走
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沼津市若葉町の柿迫芳信さん(69)は、詩吟歴32年。職場の先輩に誘われ、「渋々始めた」が、練習を重ねるうちに「すっかりはまった」と笑う。
約200人の愛好家でつくる岳心流沼津愛吟国風会の常任理事を務める。月3回、仲間と稽古に励む。
弁慶が義経を守ろうと勧進帳を披露する場面に節を付けた「安宅の関」は「大好きな歌」の一つ。沼津ゆかりの若山牧水の和歌も好んで吟じる。「当時の情景に思いをはせながら歌っている」
20日には、福祉へのチャリティー新春吟詠の集いを同市内で開く。実行委員長として詩吟愛好家の妻玲子さん(69)とともに準備に奔走する。
自宅に造った茶室で抹茶もたしなむ。地域の魅力を発掘する「金岡地区有識者会議」の副会長を担うなど「家にはほとんどいない」(玲子さん)日々だ。
《静新平成25年1月16日(水)夕刊「はりきり人生」》
新春吟詠の準備に奔走
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沼津市若葉町の柿迫芳信さん(69)は、詩吟歴32年。職場の先輩に誘われ、「渋々始めた」が、練習を重ねるうちに「すっかりはまった」と笑う。
約200人の愛好家でつくる岳心流沼津愛吟国風会の常任理事を務める。月3回、仲間と稽古に励む。
弁慶が義経を守ろうと勧進帳を披露する場面に節を付けた「安宅の関」は「大好きな歌」の一つ。沼津ゆかりの若山牧水の和歌も好んで吟じる。「当時の情景に思いをはせながら歌っている」
20日には、福祉へのチャリティー新春吟詠の集いを同市内で開く。実行委員長として詩吟愛好家の妻玲子さん(69)とともに準備に奔走する。
自宅に造った茶室で抹茶もたしなむ。地域の魅力を発掘する「金岡地区有識者会議」の副会長を担うなど「家にはほとんどいない」(玲子さん)日々だ。
《静新平成25年1月16日(水)夕刊「はりきり人生」》
2013年01月09日
居山哲也(30)本気の遊び
出会い求め駆け回る
「本気の遊び」真っ最中
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2012年12月のタ暮れ。沼津市幸町にある「いせや本店」店主の居山直行(63)は、菓子箱に懸け紙を付ける作業を続けながら、見慣れた外の風景に目をやった。
西武沼津店が閉店するー。街の一大ニュースに、直行も危機感を持った。
「まちに元気がない。この先どうなるかは怖い」直行は3代店主に就いた90年代から、世の中が変わり始めるのを感じたという。かつては企業が手土産用の菓子を大量に注文したが、時代と共に少なくなった。少子化で、結婚式場の引き出物としての需要も減った。
コンビニエンスストァの増加で、「ついで」に菓子が買えるようになった。だからこそ、わざわざ買いに来てもらえる価値のある和菓子と、もてなしで迎えたい。
「地元第一」の考えは変わらない。徒歩や自転車、車で来てくれるお客さんが支えだ。
**
息子の哲也(30)は、外を向いている。創業の地は沼津。伝えたい和菓子にまつわる物語もここにある。でも、商品を買ってくれる人が地元にいるとは限らない。都内の百貨店とも取引を始めた。
「新しいことができないと、ここに居続けることもできない」と哲也は言う。現状維持では、自分の代で商売をやっていくのは難しい。「親の世代は『いい時代』を知っているから動けない。僕が動けば、何か変わるかも」直行の応援もある。
**
この先、責任を持って自分が経営に携わり商品を作る立場になったら、人と関わって仕事を創る今のやり方を、同じように続けていくことはできないだろう。
作家や芸術家、パティシエと一緒にイベントや商品の企画を練る。それができるのは、今は、店を背負わず身軽なままでいられるから。いわば「本気の遊び」をしているようなもの。「誰か」とやる仕事と、「自分」でやる仕事とは違う。
さまざまな機会に、異業種の多くの人と出会った。仕事と遊びの境なく付き合えて、刺激をもらえるいい関係。
「遊び」の時間が終わっても、人の縁はきっと生かせる。
自分らしい和菓子作りを追求したい。いつか、看板商品も作ってみたい。思い浮かべるのは、誰かが喜ぶ顔。「期待して箱を開け、菓子を食べた人が、がっかりするようなシチュェーションは絶対に嫌」。頭の中は、新しい菓子のイメージであふれている。(敬称略)
(この章は社会部.大滝麻衣、柳沢桃子、写真部・浅井貴彦が担当しました)
《静新平成25年1月9日(水)幸せのカタチ「出会い求め駆け回る」》
「本気の遊び」真っ最中
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2012年12月のタ暮れ。沼津市幸町にある「いせや本店」店主の居山直行(63)は、菓子箱に懸け紙を付ける作業を続けながら、見慣れた外の風景に目をやった。
西武沼津店が閉店するー。街の一大ニュースに、直行も危機感を持った。
「まちに元気がない。この先どうなるかは怖い」直行は3代店主に就いた90年代から、世の中が変わり始めるのを感じたという。かつては企業が手土産用の菓子を大量に注文したが、時代と共に少なくなった。少子化で、結婚式場の引き出物としての需要も減った。
コンビニエンスストァの増加で、「ついで」に菓子が買えるようになった。だからこそ、わざわざ買いに来てもらえる価値のある和菓子と、もてなしで迎えたい。
「地元第一」の考えは変わらない。徒歩や自転車、車で来てくれるお客さんが支えだ。
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息子の哲也(30)は、外を向いている。創業の地は沼津。伝えたい和菓子にまつわる物語もここにある。でも、商品を買ってくれる人が地元にいるとは限らない。都内の百貨店とも取引を始めた。
「新しいことができないと、ここに居続けることもできない」と哲也は言う。現状維持では、自分の代で商売をやっていくのは難しい。「親の世代は『いい時代』を知っているから動けない。僕が動けば、何か変わるかも」直行の応援もある。
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この先、責任を持って自分が経営に携わり商品を作る立場になったら、人と関わって仕事を創る今のやり方を、同じように続けていくことはできないだろう。
作家や芸術家、パティシエと一緒にイベントや商品の企画を練る。それができるのは、今は、店を背負わず身軽なままでいられるから。いわば「本気の遊び」をしているようなもの。「誰か」とやる仕事と、「自分」でやる仕事とは違う。
さまざまな機会に、異業種の多くの人と出会った。仕事と遊びの境なく付き合えて、刺激をもらえるいい関係。
「遊び」の時間が終わっても、人の縁はきっと生かせる。
自分らしい和菓子作りを追求したい。いつか、看板商品も作ってみたい。思い浮かべるのは、誰かが喜ぶ顔。「期待して箱を開け、菓子を食べた人が、がっかりするようなシチュェーションは絶対に嫌」。頭の中は、新しい菓子のイメージであふれている。(敬称略)
(この章は社会部.大滝麻衣、柳沢桃子、写真部・浅井貴彦が担当しました)
《静新平成25年1月9日(水)幸せのカタチ「出会い求め駆け回る」》
2013年01月08日
居山哲也(30)受け継がれる歴史
受け継がれる歴史
和菓子の力信じ攻める
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江戸時代に流行した歌舞伎の演目「伊賀越道中双六」。日本三大あだ討ちの一つで、「沼津」の段が特に有名だ。登場人物の「平作」は当時から人気があり、沼津市内には「平作」の名を冠した茶屋がいくつもあった。
沼津市幸町の和菓子屋「いせや本店」には、創業当時からの銘菓「平作もなか」がある。「沼津」の上演時期には都内の劇場で販売された。演目を得意とする、中村歌六さんの属する播磨屋が使ってくれたこともある。
**
和菓子屋の息子、居山哲也(30)の頭には、店と和菓子にまつわる歴史がすり込まれている。小さい頃に家族から聞いた話を持ち出すと、相手は必ず和菓子に興味を持った。そのたびに、あらためて自分でも勉強した。いつしか、和菓子が人と話すときの大事なツールになっていた。
「和菓子は、いいもの」。哲也は何度も口にする。かつて物事を議論する場だった茶席や、結婚式など「ハレの日」に、和菓子は欠かせない存在だった。加えて、和菓子自体にストーリーがある。受け継がれてきた物語を基にして、いろいろなことが考えられる。それが強みだ。
今、その和菓子が日常から消えつつある。
**
哲也が11歳の時に祖父健四郎が他界した。
昔、店の周りは花街で、男の人が「おもたせ」に買う習慣があったー。祖父から聞いた話を今でも覚えている。亡くなった後、部屋から和菓子作りや経営に関するメモが出てきた。子供ながらに興味深くめくった。
店の再生を考えた時、あらためて健四郎の仕事について調べ直した。
「古来からある菓子業界。しかし、新しい時代を切り開くという姿勢の点では、当社もベンチャービジネスなのです」健四郎の言葉は、今も新鮮に映る。
自動餅つき機を自社開発し、組合や協会をつくって材料の仕入れ難に立ち向かった祖父。「攻め」の姿勢に、自分の理想を重ねた。
**
昨年秋、「平作もなか」の包装を一新した。リニューアルは、「一番大事」な歴史を持つ和菓子から始めたかった。
米を表す白色の箱に、歌舞伎の衣装に使われる藍色の商品名。シンプルなデザインで、もなかを引き立たせた。菓子の由来をしたためた同じテーマカラーのしおりも添えた。
口溶けの良い皮に、たっぷりの粒あん。歴史も詰まったもなかを、もっと多くの人に食べてもらいたい。
《静新平成25年1月8日(火)幸せのカタチ「受け継がれる歴史」》
和菓子の力信じ攻める
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江戸時代に流行した歌舞伎の演目「伊賀越道中双六」。日本三大あだ討ちの一つで、「沼津」の段が特に有名だ。登場人物の「平作」は当時から人気があり、沼津市内には「平作」の名を冠した茶屋がいくつもあった。
沼津市幸町の和菓子屋「いせや本店」には、創業当時からの銘菓「平作もなか」がある。「沼津」の上演時期には都内の劇場で販売された。演目を得意とする、中村歌六さんの属する播磨屋が使ってくれたこともある。
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和菓子屋の息子、居山哲也(30)の頭には、店と和菓子にまつわる歴史がすり込まれている。小さい頃に家族から聞いた話を持ち出すと、相手は必ず和菓子に興味を持った。そのたびに、あらためて自分でも勉強した。いつしか、和菓子が人と話すときの大事なツールになっていた。
「和菓子は、いいもの」。哲也は何度も口にする。かつて物事を議論する場だった茶席や、結婚式など「ハレの日」に、和菓子は欠かせない存在だった。加えて、和菓子自体にストーリーがある。受け継がれてきた物語を基にして、いろいろなことが考えられる。それが強みだ。
今、その和菓子が日常から消えつつある。
**
哲也が11歳の時に祖父健四郎が他界した。
昔、店の周りは花街で、男の人が「おもたせ」に買う習慣があったー。祖父から聞いた話を今でも覚えている。亡くなった後、部屋から和菓子作りや経営に関するメモが出てきた。子供ながらに興味深くめくった。
店の再生を考えた時、あらためて健四郎の仕事について調べ直した。
「古来からある菓子業界。しかし、新しい時代を切り開くという姿勢の点では、当社もベンチャービジネスなのです」健四郎の言葉は、今も新鮮に映る。
自動餅つき機を自社開発し、組合や協会をつくって材料の仕入れ難に立ち向かった祖父。「攻め」の姿勢に、自分の理想を重ねた。
**
昨年秋、「平作もなか」の包装を一新した。リニューアルは、「一番大事」な歴史を持つ和菓子から始めたかった。
米を表す白色の箱に、歌舞伎の衣装に使われる藍色の商品名。シンプルなデザインで、もなかを引き立たせた。菓子の由来をしたためた同じテーマカラーのしおりも添えた。
口溶けの良い皮に、たっぷりの粒あん。歴史も詰まったもなかを、もっと多くの人に食べてもらいたい。
《静新平成25年1月8日(火)幸せのカタチ「受け継がれる歴史」》
2013年01月07日
居山哲也(30)息子のプライド
居山哲也(30)
息子のプライド
店の再生「自分がやる」
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1人でJR三島駅のホームに立つ日が、月に何度あるだろう。東京、名古屋、奈良ー。和菓子屋の息子である居山哲也(30)は、新たな仕事のパートナーを見つけてはどこにでも足を運ぶ。
哲也は、父親の直行(63)が社長を務める沼津市幸町の老舗和菓子屋「いせや本店」の4代目。早朝から、店舗裏の工場に入る。贈答品として人気のもなかにまんじゅう。季節によっては赤飯やおはぎ。一通り、和菓子を作る。
ここまでが和菓子屋本来の仕事。その後、店を出て、もう一つの仕事の相手先に向かう。
同世代の作家、茶人に声を掛け、展示会や茶会を企画する。器や場に見合ったオリジナルの和菓子を提供する。パティシエやシェフと一緒に和菓子を作り、デザイナーと組んで菓子そのものの形や包装を考えて商品化する。それが、自分流の仕事。和菓子を使って何ができるか、常に考える。
**
店に帰れば、まだ「勤め人」。でも、経営は気になる。
2012年、店の「再生」を目標に掲げた。直行から、過去の決算書を出させるのには苦労した。親は、あくまで「親」。経営の話をまともにできるようになったのは最近
のことだ。
現実は想像以上に厳しかった。見て見ぬふりはできない。「逃げられるやつはすごい」 逆に、エンジンがかかった。
**
12年5月。従業員に退職を促した。このままでは立ち行かなくなるのではないかー。すぐにでも変える必要があった。年上の職人を、まだ30歳の自分が「切る」苦しさ。本当は嫌われ者にはなりたくなかった。
「自分がやらなきゃ、誰がやる」。何もしないのは簡単だ。でも、楽な選択肢は取らなかった。言葉を選び、店の状況を一人一人に説明した。
これが30歳ー。
東京から戻り、店に入って7年。家業に対し、迷いもあった。「でも、この家に生まれたことに意味がある。どうせなら、何か探したい」。和菓子屋の息子としてのプライドに突き動かされた。
実家が中小企業を営む同世代は多い。どこも経営は苦しい。離れていても、子供は親や地元のことが気にかかる。家業を継ぐのがすごく大事なことだと今は思える。
どう捉えるかは自分次第。「こんな時代なのに、とは言わない。僕がやる」
《静新平成25年1月7日(月)「幸せのカタチ」息子のプライド》
息子のプライド
店の再生「自分がやる」
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1人でJR三島駅のホームに立つ日が、月に何度あるだろう。東京、名古屋、奈良ー。和菓子屋の息子である居山哲也(30)は、新たな仕事のパートナーを見つけてはどこにでも足を運ぶ。
哲也は、父親の直行(63)が社長を務める沼津市幸町の老舗和菓子屋「いせや本店」の4代目。早朝から、店舗裏の工場に入る。贈答品として人気のもなかにまんじゅう。季節によっては赤飯やおはぎ。一通り、和菓子を作る。
ここまでが和菓子屋本来の仕事。その後、店を出て、もう一つの仕事の相手先に向かう。
同世代の作家、茶人に声を掛け、展示会や茶会を企画する。器や場に見合ったオリジナルの和菓子を提供する。パティシエやシェフと一緒に和菓子を作り、デザイナーと組んで菓子そのものの形や包装を考えて商品化する。それが、自分流の仕事。和菓子を使って何ができるか、常に考える。
**
店に帰れば、まだ「勤め人」。でも、経営は気になる。
2012年、店の「再生」を目標に掲げた。直行から、過去の決算書を出させるのには苦労した。親は、あくまで「親」。経営の話をまともにできるようになったのは最近
のことだ。
現実は想像以上に厳しかった。見て見ぬふりはできない。「逃げられるやつはすごい」 逆に、エンジンがかかった。
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12年5月。従業員に退職を促した。このままでは立ち行かなくなるのではないかー。すぐにでも変える必要があった。年上の職人を、まだ30歳の自分が「切る」苦しさ。本当は嫌われ者にはなりたくなかった。
「自分がやらなきゃ、誰がやる」。何もしないのは簡単だ。でも、楽な選択肢は取らなかった。言葉を選び、店の状況を一人一人に説明した。
これが30歳ー。
東京から戻り、店に入って7年。家業に対し、迷いもあった。「でも、この家に生まれたことに意味がある。どうせなら、何か探したい」。和菓子屋の息子としてのプライドに突き動かされた。
実家が中小企業を営む同世代は多い。どこも経営は苦しい。離れていても、子供は親や地元のことが気にかかる。家業を継ぐのがすごく大事なことだと今は思える。
どう捉えるかは自分次第。「こんな時代なのに、とは言わない。僕がやる」
《静新平成25年1月7日(月)「幸せのカタチ」息子のプライド》
2013年01月06日
ホセ・ムヒカ大統領(77)
ホセ・ムヒカ大統領(77)
ウルグアイ 清貧大統領 世界で評判
報酬の大半を寄付 公務の合間に畑仕事
元ゲリラ闘士「刑務所で人生学んだ」
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南米の小国ウルグアイの中道左派、ホセ・ムヒカ大統領(77)の清貧ぶりが世界で評判を呼んでいる。豪華な大統領公邸には住まず、報酬の大半を寄付し郊外の農場で生活。元ゲリラ闘士の経歴を感じさせない好々爺(や)ぶりで国民の人気も高い。
ムヒカ氏が暮らすのは首都モンテビデオ中心部から車で20分ほどの農場だ。ウシが草をはむのどかな光景が続く農村地帯。建物や人影はまばらで"公邸"の前にはパトカーが1台止まっているだけだ。
大統領の報酬月額25万ウルグアイペソ(約115万円)の9割近くを社会福祉基金に寄付するムヒカ氏の資産は、自宅農場と1987年製のフォルクスワーゲン(VW)ビートル1台のみ。クレジットカードや銀行口座を持たず、公務の合間にトラクターに乗って畑仕事と養鶏をして暮らしている。
粗悪な麻薬が少年犯罪を招いているとしてマリフアナ合法化法案を提出し、議論を呼んだ。同性婚合法化法案も成立間近で、先進的な政策を進める。ウルグアイでは国民の多くがカトリック教徒で、政権支持率は4割弱まで落ちたが、ムヒカ氏自身の好感度は5割前後を維持。「ぺぺ」の愛称で国民に親しまれている。
外交筋によると、大統領公用車は日本メーカーの乗用車で、指定席は要人が普通使う後部座席ではなく助手席。「服装や外交儀典を気にしない気さくなおじいちゃん」(同筋)の印象だ。
「ドイツ人が1世帯で持つ車と同数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるだろう」。ムヒカ氏が評判を呼ぶきっかけとなったのは昨年6月の国連持続可能な開発会議(リオ+20)でのスピーチだった。国連加盟国193力国の最後、各国の参加者が去った後に登場した。
聴衆がほとんどいない中「世界の70億~80億人が西洋と同じ消費生活をできるだろうか」「貧乏な人とは無限の欲があり、いくらモノがあっても満足しない人のことだ」と主張。インターネットで英訳や日本語訳が出回り評判になり、英BBC放送などは「世界最貧で最高の大統領」と紹介する番組を制作した。
実はムヒカ氏は60年代、極左ゲリラ組織を結成。銀行襲撃や政治家誘拐で14年間服役した「元闘士」だ。だが、人口約340万人の農牧国のリーダーとして外国企業誘致を進める姿にかつての過激派の面影は全くない。
「生きていられるだけで人生は素晴らしいじゃないか一。ムヒカ氏は昨年12月、訪問先のペルーで共同通信と会見し「刑務所で人生を学んだ。耐えることを覚えた」と満面の笑みで振り返った。ウルグアイ大統領には連続再選禁止規定もあり「もう年寄りだ。任期が終われば引退するよ」と穏やかに語った。(モンテビデオ共同)
《静新平成25年1月6日(日)朝刊》
ウルグアイ 清貧大統領 世界で評判
報酬の大半を寄付 公務の合間に畑仕事
元ゲリラ闘士「刑務所で人生学んだ」
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南米の小国ウルグアイの中道左派、ホセ・ムヒカ大統領(77)の清貧ぶりが世界で評判を呼んでいる。豪華な大統領公邸には住まず、報酬の大半を寄付し郊外の農場で生活。元ゲリラ闘士の経歴を感じさせない好々爺(や)ぶりで国民の人気も高い。
ムヒカ氏が暮らすのは首都モンテビデオ中心部から車で20分ほどの農場だ。ウシが草をはむのどかな光景が続く農村地帯。建物や人影はまばらで"公邸"の前にはパトカーが1台止まっているだけだ。
大統領の報酬月額25万ウルグアイペソ(約115万円)の9割近くを社会福祉基金に寄付するムヒカ氏の資産は、自宅農場と1987年製のフォルクスワーゲン(VW)ビートル1台のみ。クレジットカードや銀行口座を持たず、公務の合間にトラクターに乗って畑仕事と養鶏をして暮らしている。
粗悪な麻薬が少年犯罪を招いているとしてマリフアナ合法化法案を提出し、議論を呼んだ。同性婚合法化法案も成立間近で、先進的な政策を進める。ウルグアイでは国民の多くがカトリック教徒で、政権支持率は4割弱まで落ちたが、ムヒカ氏自身の好感度は5割前後を維持。「ぺぺ」の愛称で国民に親しまれている。
外交筋によると、大統領公用車は日本メーカーの乗用車で、指定席は要人が普通使う後部座席ではなく助手席。「服装や外交儀典を気にしない気さくなおじいちゃん」(同筋)の印象だ。
「ドイツ人が1世帯で持つ車と同数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるだろう」。ムヒカ氏が評判を呼ぶきっかけとなったのは昨年6月の国連持続可能な開発会議(リオ+20)でのスピーチだった。国連加盟国193力国の最後、各国の参加者が去った後に登場した。
聴衆がほとんどいない中「世界の70億~80億人が西洋と同じ消費生活をできるだろうか」「貧乏な人とは無限の欲があり、いくらモノがあっても満足しない人のことだ」と主張。インターネットで英訳や日本語訳が出回り評判になり、英BBC放送などは「世界最貧で最高の大統領」と紹介する番組を制作した。
実はムヒカ氏は60年代、極左ゲリラ組織を結成。銀行襲撃や政治家誘拐で14年間服役した「元闘士」だ。だが、人口約340万人の農牧国のリーダーとして外国企業誘致を進める姿にかつての過激派の面影は全くない。
「生きていられるだけで人生は素晴らしいじゃないか一。ムヒカ氏は昨年12月、訪問先のペルーで共同通信と会見し「刑務所で人生を学んだ。耐えることを覚えた」と満面の笑みで振り返った。ウルグアイ大統領には連続再選禁止規定もあり「もう年寄りだ。任期が終われば引退するよ」と穏やかに語った。(モンテビデオ共同)
《静新平成25年1月6日(日)朝刊》