2011年04月30日
華麗なロイヤルウエディング
華麗なロイヤルウエディング
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(産経webnews)
2011年04月26日
荒川邦夫(あらかわくにお)さん
県漁連会長に就任した
荒川邦夫(あらかわくにお)さん(沼津市)
3月に開かれた定例理事会で、第11代県漁業協同組合連合会長に就任した。任期は2013年5月まで。戸田漁協組合長。沼津市在住。69歳。
ー就任の抱負を。
「日本は国土の約11倍の漁場を有する海洋国家。その中で本県は遠洋、近海、沿岸と多様な漁が盛んで、国内漁業の中心地といえる。会長として各方面で指導、監督する役割を果たしたい」
ー今後、漁業界が取り組むべき課題は。
「現代の環境に合わせ、船舶検査の在り方や耐用年数などを見直すべき。安心で安全な漁船を造りやすくするために、規制緩和が必要。漁船にかかわる法改正を、国に対して訴えていく」
ー東日本大震災による本県漁業への影響は。
「県内の漁港などに直接的な被害は出ていない。現地で復興に向けて求められるのは、港と船の早期再建だろう。魚が水揚げされなければ、流通や加工も始まらない。同じ漁業者として静岡からも支援を検討したい」
◇
「若者に魅力的な漁業をつくっていきたい」と意気込む。
(静新平成23年4月26日「この人」)
荒川邦夫(あらかわくにお)さん(沼津市)
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ー就任の抱負を。
「日本は国土の約11倍の漁場を有する海洋国家。その中で本県は遠洋、近海、沿岸と多様な漁が盛んで、国内漁業の中心地といえる。会長として各方面で指導、監督する役割を果たしたい」
ー今後、漁業界が取り組むべき課題は。
「現代の環境に合わせ、船舶検査の在り方や耐用年数などを見直すべき。安心で安全な漁船を造りやすくするために、規制緩和が必要。漁船にかかわる法改正を、国に対して訴えていく」
ー東日本大震災による本県漁業への影響は。
「県内の漁港などに直接的な被害は出ていない。現地で復興に向けて求められるのは、港と船の早期再建だろう。魚が水揚げされなければ、流通や加工も始まらない。同じ漁業者として静岡からも支援を検討したい」
◇
「若者に魅力的な漁業をつくっていきたい」と意気込む。
(静新平成23年4月26日「この人」)
2011年04月24日
大賀典雄氏死去 81歳
大賀典雄氏死去 81歳
元ソニー社長、沼津市出身
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元ソニー社長で、クラシックの東京フィルハーモニー交響楽団の会長・理事長も務めた大賀典雄(おおが・のりお)氏が23日、死去した。81歳。沼津市出身。
「静新平成23年4月24日(日)」
ソニー:元社長の大賀典雄氏、死去-81歳、葬儀は近親者のみ
4月24日(ブルームバーグ):元ソニー社長で音楽家としても著名な大賀典雄(おおが・のりお)氏が23日午前9時14分、多臓器不全で死去した。81歳だった。葬儀は近親者のみで、社葬は後日行う。
ソニーが23日、ホームページで発表した。大賀氏は東京芸大音楽学部に在学中、創業者の井深大、盛田昭夫両氏に見込まれ、在学中に嘱託契約を結び、1959年に入社。82年社長就任、95年会長。2003年に名誉会長、06年から相談役。
ソニー製品の品質、機能、デザイン、宣伝の向上に努め、数々の製品を送り出し、「SONY」を世界的なブランドに育てた。小型光ディスクの開発では陣頭指揮を執り、演奏時間をベートーベンの「第9」が収まる75分、直径12センチとすることを主張、現在のCD音楽ソフトの土台を築いた。
ハードとソフトを「車の両輪」として68年にCBSソニーレコードを設立、78年には年間売上高・利益で業界1位に育てた。
音楽家としては日本音楽芸術振興会の理事長に就任、若手音楽家の育成、音楽芸術活動の普及に尽力した。01年に勲一等瑞宝章、フランス、ドイツなど世界各国からも勲章を受章した。
ストリンガー会長兼社長は「これまでの日本企業が成し遂げられなかったハードとソフトの両事業に着目し、成功に導いた類まれな経営者だった。ソニーが世界的なエレクトロニクス&エンタテインメント企業に変貌を遂げたのは、大賀さんの多大な功績」とのコメントを発表した。
大賀典雄ソニー元社長が死去 異色の経営者
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配信元:産経新聞
2011/04/23 23:55更新
記事本文 元ソニー社長の大賀典雄(おおが・のりお)氏が23日午前9時14分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。81歳。静岡県出身。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妻、緑(みどり)さん。後日、社葬を執り行う。
大賀氏は、東京芸術大学卒業後、ソリスト(独唱者)など音楽家として活躍。ドイツ留学後の昭和34年、29歳でソニー創業者の井深大、盛田昭夫両氏から誘われ、同社に入社した。36年にデザイン室長と宣伝部長を兼務し、「SONY」のロゴマーク策定を手掛けるなどブランドの認知で先頭に立ち、ソニーを国際企業として飛躍させることに貢献した。
39年に取締役、57年に社長に就任。映画会社の米コロンビア・ピクチャーズを買収し、音響・映像機器のハードと、音楽や映像コンテンツ(情報の中身)などのソフトを両輪とした事業を推進した。
財界では経済団体連合会副会長に就任、電機業界団体トップも務めるなど業界発展にも力を入れた。
平成15年にソニー取締役を退任したが、カラヤンら音楽家との交流を続け、後年は指揮者として世界の著名楽団と競演するなど精力的に活動。病気療養で滞在した長野県軽井沢町に音楽ホールがなかったことから退職金を寄付し、「軽井沢大賀ホール」が建築された。
大賀典雄氏
ソニーの飛躍指揮 沼津で「タクト」、交流
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「哀惜」 23日死去したソニーの大賀典雄氏は、同社を家電製品を製造する電機メーカーから、ソフトウエアも併せ持つ複合企業へと変身させた。「ハードとソフトは車の両輪」として、社長在任中の13年間に音楽や映画などのソフト事業に参入し、ソニーの飛躍を指揮した。
大賀氏は、入社直後から商品ごとにばらばらだったデザインや広告を見直し、「SONY」のロゴのデザインも手掛けるなど、当時の日本では先駆的なブランド戦略を推進。洗練された企業イメージの確立に貢献した。さらに、CDをオランダ電機大手フィリップスと共同開発し、レコードに代わる記録媒体の規格統一を陣頭指揮。特にCDの収録時間をめぐって、約75分あるベートーベンの「交響曲第九番」など主要なクラシック楽曲を1枚に収めることを要求し、約60分を主張したフィリップスを押し切ったことは有名だ。
CD開発の理解者だったオーストリアの名指揮者カラヤンとは公私ともに親密で、カラヤンの最期をみとったことでも知られる。ベルリン国立芸術大学を首席で卒業し、ベルリンフィルなどで指揮者、音楽家としても活躍した。
出身地の沼津市でもオーケストラの公演を度々開いて自ら指揮を執ったほか、市ゆかりの著名人として地元のPRにも協力するなど、郷里の発展に寄与した。
沼津市の千本で育った大賀氏は幼いころから声楽家を目指し、沼津市立第二小、旧制沼津中(現県立沼津東高)から音楽の道に進んだ。ソニーの会長時代に理事長に就任した東京フィルハーモニー交響楽団を率い、沼津市内では2002年と04年にタクトを振るったほか、地元の子供たちとも交流を深めた。
1992年には同市の魅力を広く紹介する「燦々(さんさん)ぬまづ大使」に就任するなど、地域振興にも一役買った。浜松市には大賀氏が先祖から受け継いだ土地約1800平方㍍を寄贈。現在は農園と公園を併せた「鴨江いきいき菜園」として整備されている。
沼津東高の後輩にもあたる栗原裕康沼津市長は「世界的に名の通った偉人でありながら、故郷への愛をもって地元のために活動してくださった。訃報を聞き、大変残念に思う」と話した。
◇
大賀氏は23日午前9時14分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妻緑(みどり)さん。後日、社葬を執り行う。
「静新平成23年4月25日(月)」
元ソニー社長、沼津市出身
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元ソニー社長で、クラシックの東京フィルハーモニー交響楽団の会長・理事長も務めた大賀典雄(おおが・のりお)氏が23日、死去した。81歳。沼津市出身。
「静新平成23年4月24日(日)」
ソニー:元社長の大賀典雄氏、死去-81歳、葬儀は近親者のみ
4月24日(ブルームバーグ):元ソニー社長で音楽家としても著名な大賀典雄(おおが・のりお)氏が23日午前9時14分、多臓器不全で死去した。81歳だった。葬儀は近親者のみで、社葬は後日行う。
ソニーが23日、ホームページで発表した。大賀氏は東京芸大音楽学部に在学中、創業者の井深大、盛田昭夫両氏に見込まれ、在学中に嘱託契約を結び、1959年に入社。82年社長就任、95年会長。2003年に名誉会長、06年から相談役。
ソニー製品の品質、機能、デザイン、宣伝の向上に努め、数々の製品を送り出し、「SONY」を世界的なブランドに育てた。小型光ディスクの開発では陣頭指揮を執り、演奏時間をベートーベンの「第9」が収まる75分、直径12センチとすることを主張、現在のCD音楽ソフトの土台を築いた。
ハードとソフトを「車の両輪」として68年にCBSソニーレコードを設立、78年には年間売上高・利益で業界1位に育てた。
音楽家としては日本音楽芸術振興会の理事長に就任、若手音楽家の育成、音楽芸術活動の普及に尽力した。01年に勲一等瑞宝章、フランス、ドイツなど世界各国からも勲章を受章した。
ストリンガー会長兼社長は「これまでの日本企業が成し遂げられなかったハードとソフトの両事業に着目し、成功に導いた類まれな経営者だった。ソニーが世界的なエレクトロニクス&エンタテインメント企業に変貌を遂げたのは、大賀さんの多大な功績」とのコメントを発表した。
大賀典雄ソニー元社長が死去 異色の経営者
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配信元:産経新聞
2011/04/23 23:55更新
記事本文 元ソニー社長の大賀典雄(おおが・のりお)氏が23日午前9時14分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。81歳。静岡県出身。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妻、緑(みどり)さん。後日、社葬を執り行う。
大賀氏は、東京芸術大学卒業後、ソリスト(独唱者)など音楽家として活躍。ドイツ留学後の昭和34年、29歳でソニー創業者の井深大、盛田昭夫両氏から誘われ、同社に入社した。36年にデザイン室長と宣伝部長を兼務し、「SONY」のロゴマーク策定を手掛けるなどブランドの認知で先頭に立ち、ソニーを国際企業として飛躍させることに貢献した。
39年に取締役、57年に社長に就任。映画会社の米コロンビア・ピクチャーズを買収し、音響・映像機器のハードと、音楽や映像コンテンツ(情報の中身)などのソフトを両輪とした事業を推進した。
財界では経済団体連合会副会長に就任、電機業界団体トップも務めるなど業界発展にも力を入れた。
平成15年にソニー取締役を退任したが、カラヤンら音楽家との交流を続け、後年は指揮者として世界の著名楽団と競演するなど精力的に活動。病気療養で滞在した長野県軽井沢町に音楽ホールがなかったことから退職金を寄付し、「軽井沢大賀ホール」が建築された。
大賀典雄氏
ソニーの飛躍指揮 沼津で「タクト」、交流
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「哀惜」 23日死去したソニーの大賀典雄氏は、同社を家電製品を製造する電機メーカーから、ソフトウエアも併せ持つ複合企業へと変身させた。「ハードとソフトは車の両輪」として、社長在任中の13年間に音楽や映画などのソフト事業に参入し、ソニーの飛躍を指揮した。
大賀氏は、入社直後から商品ごとにばらばらだったデザインや広告を見直し、「SONY」のロゴのデザインも手掛けるなど、当時の日本では先駆的なブランド戦略を推進。洗練された企業イメージの確立に貢献した。さらに、CDをオランダ電機大手フィリップスと共同開発し、レコードに代わる記録媒体の規格統一を陣頭指揮。特にCDの収録時間をめぐって、約75分あるベートーベンの「交響曲第九番」など主要なクラシック楽曲を1枚に収めることを要求し、約60分を主張したフィリップスを押し切ったことは有名だ。
CD開発の理解者だったオーストリアの名指揮者カラヤンとは公私ともに親密で、カラヤンの最期をみとったことでも知られる。ベルリン国立芸術大学を首席で卒業し、ベルリンフィルなどで指揮者、音楽家としても活躍した。
出身地の沼津市でもオーケストラの公演を度々開いて自ら指揮を執ったほか、市ゆかりの著名人として地元のPRにも協力するなど、郷里の発展に寄与した。
沼津市の千本で育った大賀氏は幼いころから声楽家を目指し、沼津市立第二小、旧制沼津中(現県立沼津東高)から音楽の道に進んだ。ソニーの会長時代に理事長に就任した東京フィルハーモニー交響楽団を率い、沼津市内では2002年と04年にタクトを振るったほか、地元の子供たちとも交流を深めた。
1992年には同市の魅力を広く紹介する「燦々(さんさん)ぬまづ大使」に就任するなど、地域振興にも一役買った。浜松市には大賀氏が先祖から受け継いだ土地約1800平方㍍を寄贈。現在は農園と公園を併せた「鴨江いきいき菜園」として整備されている。
沼津東高の後輩にもあたる栗原裕康沼津市長は「世界的に名の通った偉人でありながら、故郷への愛をもって地元のために活動してくださった。訃報を聞き、大変残念に思う」と話した。
◇
大賀氏は23日午前9時14分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妻緑(みどり)さん。後日、社葬を執り行う。
「静新平成23年4月25日(月)」
2011年04月23日
富士常葉大竹林征三名誉教授
富士常葉大竹林征三名誉教授
「地域に合った防災必要」 風土工学研閉所で講演
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富士常葉大(富士市大淵)の付属風土工学研究所が3月末で11年間の研究所活動を終え、閉所を記念した講演会が22日、同大で開かれた。同研究所の初代所長で同大の竹林征三名誉教授が「日本文明の岐路~環境防災の思想~」と題して講演した。
同研究所は同大の開校に合わせ、2000年4月に日本初の風土工学研究所として開所した。旧建設省出身の竹林名誉教授を所長に、地域の個性に合った土木事業での防災を考える「風土工学」を研究してきた。全国各地の研究者らが集まり、研修会やシンポジウムなどを毎年開催した。3月末で竹林名誉教授が同大を退任するため、閉所が決まった。
竹林名誉教授は想定されるさまざまな自然災害の脅威を挙げ、それに合わせた防災の可能性を紹介。地域の風土に合った防災施策の必要性を訴えた。
(静新平成23年4月23日土)
「地域に合った防災必要」 風土工学研閉所で講演
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富士常葉大(富士市大淵)の付属風土工学研究所が3月末で11年間の研究所活動を終え、閉所を記念した講演会が22日、同大で開かれた。同研究所の初代所長で同大の竹林征三名誉教授が「日本文明の岐路~環境防災の思想~」と題して講演した。
同研究所は同大の開校に合わせ、2000年4月に日本初の風土工学研究所として開所した。旧建設省出身の竹林名誉教授を所長に、地域の個性に合った土木事業での防災を考える「風土工学」を研究してきた。全国各地の研究者らが集まり、研修会やシンポジウムなどを毎年開催した。3月末で竹林名誉教授が同大を退任するため、閉所が決まった。
竹林名誉教授は想定されるさまざまな自然災害の脅威を挙げ、それに合わせた防災の可能性を紹介。地域の風土に合った防災施策の必要性を訴えた。
(静新平成23年4月23日土)
2011年04月12日
守屋彦太(もりやひこた)さん
沼津警察署の新署長
守屋彦太(もりやひこた)さん(沼津市)
1977年に県警入りし、浜松東署を皮切りに主に警務、総務部門に携わる。藤枝署長や公安課長などを歴任後、今春から現職に。浜松市天竜区佐久間町出身。57歳。
ー署と管内2市2町の印象は。
「県東部の要の都市を抱える上に地理的にも広く、規模の大きさを感じる。初訓示では署員に『元気で、前向きに仕事に励んでほしい』と呼び掛けた。一丸となって職務にあたっていきたい」
ー管内課題への対応も始まっている。
「刑法犯や交通事故は減少傾向が続くが、県内の他署と比較すると件数はまだ多い。身近な乗物盗、高齢者の死亡事故などへの対策を各市町や協力団体とともに進め、住民の体感治安の向上を図っていく」
ー東日本大震災に伴う電力不足も深刻だ。
「計画停電時には信号機が滅灯するなど、警察業務への影響も大きい。問題の長期化も予想されるが、しっかり対応していきたい。また、署員には常に住民の期待に十分応えるために、日々の備えの再確認も求めた」
◇
日曜大工や魚釣り、散歩など多趣味。
(静新平成23年4月12「この人」)
守屋彦太(もりやひこた)さん(沼津市)
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ー署と管内2市2町の印象は。
「県東部の要の都市を抱える上に地理的にも広く、規模の大きさを感じる。初訓示では署員に『元気で、前向きに仕事に励んでほしい』と呼び掛けた。一丸となって職務にあたっていきたい」
ー管内課題への対応も始まっている。
「刑法犯や交通事故は減少傾向が続くが、県内の他署と比較すると件数はまだ多い。身近な乗物盗、高齢者の死亡事故などへの対策を各市町や協力団体とともに進め、住民の体感治安の向上を図っていく」
ー東日本大震災に伴う電力不足も深刻だ。
「計画停電時には信号機が滅灯するなど、警察業務への影響も大きい。問題の長期化も予想されるが、しっかり対応していきたい。また、署員には常に住民の期待に十分応えるために、日々の備えの再確認も求めた」
◇
日曜大工や魚釣り、散歩など多趣味。
(静新平成23年4月12「この人」)