ぶっそうなタイトルですが、東京・東大和市の戦争遺跡のお話です。
↓ 都立東大和南公園の片隅にその建物はあります。
まわりはマンションに囲まれ、芝生のまわりのトラックをジョギングしたりサイクリング
する人たちがいます。
どこにでもある公園の風景ですね。
ズームインしてみると...
↓ まるで暴風雨のような弾痕が壁に残っています。これは中東とかじゃありません。
日本なんですね~
当時、中にいた人たちはどんな気分だったでしょう?
この広大な公園は戦前・戦中、旧日立航空機(株)の戦闘機エンジン工場でした。
戦争末期、アメリカ軍の激しい爆撃と艦載機による機銃掃射を受け、100名以上の方が
なくなりました。
↓ 旧制中学を卒業して、実際にこの工場で働いていた上尾市のFさん(83歳)。
建物を撮影していると、Fさんから声をかけられました。
ぼくはかつてここに住んでおり、ブログを読んでくれる人たちに見せようと軽い気持ちで
仕事のついでに寄って撮影していたのでした。
自分は旧制中学の仲間50名と実際にこの工場で働いていたのだと...
ほとんどの仲間が爆撃と銃撃で亡くなり、僅かに生き残った仲間とも音信不通。
最近、たまたまテレビでこの建物が残っていることを知り、見にこられたそうです。
Fさんのお話はなまなましく、この建物の前にいくつもの防空壕があり、多くの仲間が
生き埋めになったそうです。
↓ 建物の裏側には送電用のケーブルや碍子がそのまま残っていました。
もうすぐ終戦記念日です。
多摩地区はかつて軍需工場や旧軍施設が集中しており、そこを狙った爆撃の犠牲者が
数多く出た土地です。
ぼくが子どもの頃はそういう戦争遺跡はまだ、少しは残っていました。
ほとんどがなくなりつつあるなか、こういう遺跡を残しておくことは、これからの世代にかつての
戦争を伝えるためにも必要だと思いました。