近代工業化文明は海を汚し続けた歴史でもある。海は生命の発祥地であると小・中学校で習った。その証拠にわれわれの体内を流れる血液の成分比率は海水と同じであるという。あるいは、理科に弱いのでまちがって覚えていて塩分の比率だけが同じだったか。だから、海の命が死に絶えれば陸上の生物も死に絶えることになるのだろう。
その海が母であることを頭では知りながら、われわれは海を汚し続けてきた。私が物覚えついたころ、多分4歳の年、目の前に広がっていたのは瀬戸内の透き通る海であった。明石海峡に近い淡路島先端部の西海岸の江井というのがその場所である。漁港の突堤から覗き込むとそこには青赤黄色黒を鮮やかにまとった小さな魚が群れをなしていた。その次の海の思いでは、生まれ故郷の神戸の東灘の海岸での海水浴である。小学生の低学年の時の経験であったが、その後10年もしないうちにこの浜は埋め立てられ神戸製鋼所の広大な敷地となり海は遠く沖に見えなくなってしまった。その次は、小学校高学年の時の、千葉県の富津岬に近い浜での夏の臨海学校である。東京湾といえど海はまだまだきれいであった。時は1954年である。
その後すぐに始まる経済発展の結果、川に垂れ流された生活廃水、工場廃水、海際の埋立地の工場から直接吐き出される排水により、東京湾は見る見るうちにヘドロが堆積する死の海となり、隅田川はそこにかかる橋を徒歩で渡るときには鼻をつままねばならぬほどの悪臭を発する川となってしまっていた。
この列島に住まう人々は自然をこよなく愛する人であるはずなのに、川に汚物を垂れ流すことを気にしないのはなぜなのかという疑問はその時から消えない。住民の少なくとも何%かは海を愛し海で生計を立ててきた海洋民族のはずなのに、海が汚されていくのを我慢し続けてきたのはなぜなのかという思いも消えずにある。
水銀(mercury)に汚染された魚を食べた人間や猫が狂い死にした水俣病をその象徴として、この風光明媚な列島は近代工業化の名の下に海を汚し続けてきた。そしてその挙句の果てが、福島原発からの、放射能で汚染された水の海への垂れ流しである。特に取水口付近の岸壁から海に流れ出ていた高濃度の放射線汚染水の総量は4700兆ベクレルにのぼるとこの4月21日に東電の発表があった。これがどれだけのものか、素人には判別つきかねるけれど、そして、たしかに広い広い太平洋の中ではほんの一滴ほどの水量であろうけれど、海を汚したことに変りはない。
この放射能混じりの海水をエラから取り込んだ魚達は大丈夫なのだろうか。苦しい思いをしてはいないのか。あるいは、この放射能に汚染されたプランクトンを小魚が食べ、その小魚を大きな魚が食べ、その魚を食べたアザラシやイルカはどうなるのか。大丈夫か?ガンになりはしないか。
原子力による海への放射線物質による汚染の記録を見ると、1950年代から何十年にも渡って英国の核燃料工場からアイルランド海に汚染水が流れ出ていたとある。またフランスの「Cap de la Hague」にある核燃料再生工場からイギリス海峡に流れ出た放射性物質は遠く北大西洋から北極海まで汚していたとある。さらに、1990年代の初期には旧ソビエトロシア時代の遺物の原子力潜水艦・砕氷船などの原子炉を海に沈めたために白海(White Sea)やバレンツ海(Barents Sea)も放射能で汚染されているという。
そして、もちろん南太平洋での度重なる原水爆実験による海の汚染もある。1960年代から、フランスはムルロア環礁(Mururoa Atoll)とファンガタウファ環礁(Fangataufa Atoll)で41回の空中での爆発、147回の地下での爆発実験を行った。ここは1996年に実験場としては停止されたが以来立ち入り禁止地区になっている。米国はビキニ環礁(Bikini Atoll)で1946年から合計23回の爆発実験を行い、またエネウェタク環礁(Enewetak Atoll)でも行ってきた。(第五福竜丸の乗組員23人が死の灰をかぶったのはこのビキニの実験の一つからである。)これら米仏の実験で南太平洋のきれいな水がどこまで汚染されたのか、データは公開されていないようだ。あるいは何も調べられなかったのか。
温暖な気候に恵まれたこの列島の住人、その温和な自然とともに生きてきた住人がが海を汚すことは、生物に及ぼす物理的傷害というだけでなく、むしろそれ以上に、美意識に測り知れない傷を残してきたことになる。自然とのかかわり方、精神、心情、そして造形といったあらゆる面で、地球上の他の地域に暮す人々とは際立って異なるところの、「美」に基づく展開が基盤になっているこの列島の住人にとって、海を汚すことはその「美意識」を傷つけることを意味する。西洋式の近代科学・工業文明を手に入れる代償にその高貴な美意識を売り払っていることになる。
(11.4.29.篠原泰正)