私が住んでいる道灌山(日暮里)から南へ自転車で15分ほど下ると不忍の池(しのばず-上野の西)に至る。この池は現在は上野動物園内に属する部分とボート池と蓮池の三つに区切られているが、江戸時代の絵図を見ると、今のように区切りの遊歩道は無く一つの大きな池であったことがわかる。池の南は「池之端」という優雅な町名を持つ歓楽街であり、江戸時代も色街であったから、今に至るまでその伝統の灯を守って来ていることになる。(江戸時代の池之端の姿は池波正太郎さんの鬼平犯罪帖やその他の時代小説にしばしば描かれている)
ところで話は色街についてではなく、不忍池の水の汚れである。
江戸の昔は、夏、池に面した待合の座敷の障子を開け放ち、澄んだ水面(みなも)を渡ってくる涼しい風に吹かれながら、色っぽいお姐さんとさしつさされつ酒を飲んでいれば天国であったろうけれど、今の池は濁ったままで魚もほとんどいない。何年も前から池の浄化に努力はなされているが、見る限りではその成果はあまり現れていないようだ。なぜだろうか。
この池の主な水源は旧石神井川である。練馬区石神井の三宝池に発する石神井川は大昔、多分平安時代の末期、土地の豪族(多分豊島氏)の土木開発工事で、王子の台地が切り開かれ、西から東へ真っ直ぐ隅田川に流れ込むようになった。その土地の段差が王子の音無しの滝を生んだ。それまで王子の台地にぶつかって90度南に折れ曲がってこの不忍池に流れ込んでいた川はその水流が減らされ、谷田川(やと川-ヤトすなわち谷川の意味)あるいは藍染め川と呼ばれるチョロチョロした小川になって今に至っている。しかも半世紀以上の昔にこの川はすべて暗渠になりその上を道路が走っているから、今は川の存在も知らない人の方が多い。(この川が現在の文京区と台東区、文京区と荒川区の区境になっている)
池の濁りが取れない原因は、この、今は見る事のできない藍染め川(江戸時代は谷中生姜の産地であったほど水がきれいだった)にあるのではないだろうか。上野の山(忍ガ丘)と対面の向丘(むこうがおか-東大のあるところ)からの湧き水だけで池が保たれていれば、きれいな水であるはずだが、そうではないので、流れ込む川に汚れの犯人を求めざるを得ない。
しかし、下水道は完備しているはずだから、藍染め川に生活排水が流れ込むとは考えられない。上流に田んぼなんぞがあるわけないから、農業排水が流れ込むこともありえない。どうなっているのだ?
このように、河川湖沼の汚染の源を探るのは大変ではあるが、そんなことは言っていられない。日本中の河川・湖沼を魚の棲める水に戻す必要がある。われわれはお隣の中国の川や湖の汚染を報じるニューズに接して、ムチャクチャな国だなあ、なんてつぶやいているが、テメエの国の川や湖も汚れたままなのだから何おかいわんやだ。ヨソンチ(他所の家)のことを言う前にまずテメエのところを綺麗にしろ、ということだ。
(08.06.13.篠原泰正)