若い人は知らないだろうけれど、銀座のネオンが何ヶ月か(多分1年と続かなかったはず-記憶あいまい)消された時があった。1973年かのオイル・ショックの時である。ネオンサインは生きていく上での必需品ではないから、電力節約の槍玉に挙げられたわけだ。
当時私の居た事業部のオフィスは銀座5丁目のビルにあったから、仕事というよりは夜の徘徊(ハイカイ)でもって、5丁目(4丁目と5丁目の境は勝鬨橋へ抜ける晴海通り)から南へは8丁目のどん詰まりの新橋土橋まで、西は国電のガード下の1番地から東は昭和通に面した15番地まで、あたかもドブネズミの如く路地裏まで熟知していた。
従って、ネオンサインが消えてもまったく「生活」に支障は無かったことになる。まあ、言葉は悪いけれど、ギンギラのネオンなんてのは「おのぼりさん」を目くらましするための仕掛けのようなもので、毎夜、路地から路地へ彷徨っている(さまよっている)プロフェッショナルにとっては、余計な明かりとも言える。
あのときのオイル・ショックはOPECの戦略で仕掛けられたもので、別に石油が産油地で不足したわけではないから、短期日のうちに収まり、収まるとともに、ノーテンキなことにかけては世界でも有数の日本人だから(私もその一人)、ケロリと忘れて、石油は永久に地下から湧いてくるものと(自分の都合のいいように)勝手に解釈し、その後35年ほど楽しくやってきたことになる。
それがなんと、今回ばかりはそうはいかない。大店のバカ息子が代々ご先祖が蓄えてきた金銀財宝を吉原やばくちで使ってしまったように、俺達の世代が石油をつかいすぎてしまった。蓄えはもう半分も無い。どうぞどうぞと、お金もって行けばいくらでも売ってくれた気前のいいアラブ諸国も、出し惜しみするようになった。つい最近、サウディの王様が、新しい油田は子供と孫の代のためにふたをしておけと指令を出したというニューズをロイターが報じていた。当然だろう。
てなことで、これからは、1バレル(159リットル)200ドル出そうが300ドル出そうが、買える石油は毎年減っていく。しかも産油国の門前に並んでいる買い物客の中には、腕力の強そうなのや、横から行列に割り込んでくるなんてマナーの悪い奴などがゴロゴロ居るから、気の弱いお坊ちゃん育ちの日本人なんか、なかなか持参したポリバケツに石油が満たされないなんてことになりかねない。札束の厚さだけでは威力が消えている時代になる。
そんなことで、再び、銀座のネオンが消える日は間近い。後数ヶ月かも知れぬ。もちろんネオンが消えても、かつての私のようにプロであれば道を辿るのに何の問題もないが、問題は銭である。店に行く金を持っている人(交際費を含めて)はきわめて少なくなっているのではなかろうか。現役を離れてビジネスの裏の情勢に疎くなっているので断言はできないが、その筋(公的資金を動かせる筋の意味)とつるんでもいない限り、そうそう交際費も出ないだろうし、あるいはマネーころがしであぶく銭をワンサと稼いでもいない限り、かの地を徘徊するのは既に難しくなっているのではなかろうか。
ともあれ、今年から目に見えて厳しくなる情勢の下で出てくるスローガンは、あの60数年前の復活、「贅沢は敵だ!」、「欲しがりません勝つまでは」となるのではなかろうか。もっとも、あの時と同じく、今回も勝てる見込みは無いのだが。
(08.04.22.篠原泰正)