東北大地震は、この列島に住む人々に、電気に関して二つの事を教えてくれた。一つは、スイッチひねればいつでも電気が流れてくるというのは幻想に過ぎず、必要な電気はできるだけ自前で賄えるようにしておくことが生存のために必要であるということ。もう一つは、便利な豊かな生活のために原子力というキケンな手段に頼っていた矛盾。
衛星が送ってくる夜の地球の写真を眺めていると、ひときわ光輝く地域が目に付く。フランスなど西ヨーロッパ地域と北米の東海岸と西海岸、そして日本列島がそれである。その写真を目にするたびに、これはいささかやりすぎではないかと思っていたが、今朝でがけにテレビが、日本の家庭の電気の消費は昭和45年(1970年)の5倍になっていると報じていた。1970年といえば、私が会社勤めを始めた年であり、感覚的にはそれほど遠い昔ではない。40年で5倍とはこれはいかになんでもやりすぎた。
戦後、物心ついたとき、目の前にあった電気製品は電燈とラジオだけであった。その時から60年余り、気がつけば身の回りは電気製品の山である。覚えている限り、できるだけ古い順に目の前に現れてきたそれらを並べると:
1.電熱器:コタツの上で餅などを焼く
2.洗濯機:母親の強力な援軍
3.冷蔵庫:氷式の冷蔵庫が捨てられ、輝くような「文明」が家にきた
4.白黒テレビ:これぞ文明
5.扇風機:団扇よさらば
6.レコードプレイヤー;手回し動力型蓄音機は捨てられた
7.電気炬燵(こたつ):練炭こたつはこれでお払い箱
8.電気ヒータ:火鉢が姿を消した
9.電気掃除機:箒(ほうき)とはたきという道具が捨てられた
10.換気扇:窓を開けずにサンマをが焼ける
11.電気魔法瓶:いつでも熱いお茶が飲める
12.カラーテレビ:
13.ボタン式電話:停電になると電話も使えない
14.電気炊飯器:ご飯炊きもついに名人芸の見せ場でなくなった
15.冷暖房器:夏も涼しく、結果として人間がヤワになった(我慢という言葉も消えた)
16.家庭用ファックス:
17.パソコン:家庭と職場の区別がつかなくなった
18.電気カミソリ:俺は使ってない
19.ヘアドライヤー:なんだコリャ
これでは確かに40年で電力消費が5倍になる。近代文明とはその一面で電気文明とも言えるから、文明にくるまれてこの列島の住民は暮していることになる。
その「文明生活」をいささか、そして相当にあきらめねばならない時が来ている。
3割消費を控えれば原発は要らなくなる。3割減らしても、まだ1970年の3.5倍であるから、充分に贅沢である。さて、その次が問題である。石油と天然ガスの地中在庫が既に半分になっているから、これからは値段が上がっていくのは避けられない。需要が減ればいいのだが、お隣の中国のように、”さあーこれからオール電化だ”などと張り切っている地域も増えているから、需要減はありえない。物が毎年少しづつへっていき需要が毎年増えて行けば当然値段が上がる。
それでは安い石炭火力発電に頼るか?これは大気中のCO2増加のもっともの悪玉であるから控えねばならない。それだけでなく、健康に直接関係する大気汚染源でもあるからこの方式もペケ。
今まで、”このままじゃヤバイな”と思いつつそのままにしておいたことをまともに取り組まねばならない、と東北地震は教えてくれた。これは、この列島の住民にだけでなく、世界のいわゆる工業文明先進地帯の全ての住民に当てはまる。東北地震がターニング・ポイントとなる。これからの電気は、中央統制型大規模発電ではなく、”自分の電気は自分でつくる”自前型あるいはローカル型に変えていくしかない。消費を50%減らしてもまだ1970年の2.5倍あるから、電気不足で死ぬことはないだろう。石油・石炭・天然ガスという化石燃料3兄弟がへたり出しているのだから、今から転換を始めるのがちょうどいいタイミングであろう。
(11.4.5.篠原泰正)