キーワード:灌漑(irrigation)
「culture」という言葉が明治期に「文化」と訳されたが、オリジナルの語源は「耕す」にある。それからみても、文化と「耕す」すなわち農業(agriculture)は人馬一体風のところがある。近代工業が導入されるまで、世界のどの地域においても、人間が生きていく上での「産業」のほとんどは農業であったから、土地を耕し作物を得る生き方がすなわちその土地の文化の色合いであった。
工業を軸とした現文明が広がるにつれて、農業の陰はどんどん薄くなり、そのことは経済の指標(数字)でも確認できる。すなわち、国内総生産に占める農業(第1次産業)の比率が年々下がり、農業を主たる生業とする世帯の数が年々減って行くことに示されている。
それと同時に、農業のやり方も、「工業化」の影響から逃げることができず、土にまみれての「手」農業から機械化農業、あるいは、工場生産の如く、単一作物大量生産などに変わっていった。
農業は水が無ければ成り立たないから、半世紀ほど前までは、農業とは水が得られる場所での産業を意味した。もちろん、数千年の歴史を持つ灌漑(irrigation)技術が伴っていなければ、いくら水があっても満足のいく生産は上げられなかったことは事実である。日本においては、この灌漑技術は、大陸から渡って来た弥生人によって、稲と共にもたらされたのは間違いのないところであろう。また、イスラムの世界では、西はスペインから東はウイグルまで、川の水に乏しい乾燥地帯で発達した、カレーズ(karez)と呼ばれる地下トンネル型の用水路も優れた灌漑技術の一つと言える。(乾燥暑熱地帯だから、日本のように地面にむき出しの用水路では貴重な水が途中で蒸発してしまうので地下トンネルとされた)
これらの灌漑工事の多くは、石を一つ一つ積み上げ、スコップ一つでトンネルを堀り、というように、全て人間の手で成し遂げてきたもので、機械化の下で大規模灌漑が行われるようになったのは、上にも述べたようにせいぜい半世紀ほどの昔に過ぎない。その一つの典型が、カリフォルニアのサン・ホアキン・バレー(San Joaquin Valley)にみられる。前にも書いた覚えがあるが、日本列島とほぼ同じ面積のカリフォルニア州は、西の海側に低い山脈があり、州境の東は高いシエラ・ネバダなどに取り囲まれている。そして州都である北部のサクラメント以南には広大な半砂漠の盆地が拡がっていた。これがサン・ホアキン他の名前で呼ばれる地帯である。
この不毛地帯が一大農業地帯になったのは、北と東から延々と水を引っ張ってきた一大灌漑工事のおかげであった。農業主は胴元(事業体)である連邦政府や州政府に水代を支払い、その水で一大工場風農業を1950年代から栄えさせてきた。工業文明が農業面で達成した一大記念碑とも言える。
この大農業地帯が今死にかけている。水がこなくなったのだ。気象異変により水源地帯の降雨量が減り、2007年も例年の半分、08年も半分以下、そして今年もと続いている。
工業化文明は元々雨の降らない地域をも一大農業地帯に変える力を発揮し、カルチャーの源であるアグリカルチャーの有り様さえも変えてきたが、たった一つの要因、遠くの水源が涸れると全てがパーになるもろさを有していたことが示されたことになる。「文明」とは、言い方を変えれば、「自然改造」であるが、その自然が復讐を始めると、その動きの前にはいかにも無力であることが、ここサン・ホアキン・バレーでも示されたことになる。シエラ・ネバダに雪が降らなくなれば、人間様はお手上げになるわけだ。
水の列島日本は、まだ幸いなことに、いつものように雨が降り田畑が潤されているが、「梅雨」という季節がなくなることも想定しておいた方が良い。梅雨前線が北上してこなくなったら、われわれもサンホアキンバレーの人々と同じようにお手上げになることを、今のうちから考えておいた方がよい。
(09.07.14.篠原泰正)