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(2019-08-10)

ここは更新しませんが、環境を作ってどこかに書くようにします。

6月15日

はてなダイアリーの書き方をすっかり忘れている。「ブログじゃないからエントリータイトルは日付タイトルになってしまうので、それとは別に手動でタイトルを付けること」といった、10年前の知識で書いたりしていた。

映画の感想として書いてはみたが、いやはや書き方に全く進歩がない。怒りをぶつける相手を想定して書いてるだけ。実際いい大人が「自業自得」とか言ってるの目にしたくも聞きたくもないけど。でも、そういうのにいらいらしてるだけの、こういう客観性のない感想が読み物として面白いと感じる人は、私と同じくらいには精神に問題があるんじゃないかな。ツイッターとか、おやめになったほうがいいですよ…。

一定期間ものごとを「しない」と決めると、それに関する道具をしまったりできることがわかった。普通の人はこうやって生活をシンプルにしてるのね。引っ越しが多い人の精神が健全に近いというのもそういう理屈かと。

空気のわからんコメントに答える気力もないし、「喫茶店のカウンターで店主と親しげにだらだら坐っている中年」ふうのコメントは客足が遠のくので、コメントをパスワード制から承認制にしよう。

「ブルー・ジャスミン」, 愚かな選択

a.

ケイト・ブランシェット主演。旦那役にアレック・ボールドウィン。二つの時間軸を行き来しながら物語が展開し、ある富豪(自称投資業)の妻になった女の、破滅までと、破滅のあとの人生を描く。

飛行機の中から映画は始まる。隣に座った老婦人に、自分勝手な身の上話をまくしたて、金持ちだったアピールをしまくる「ジャスミン」(ケイト・ブラシェット)。どうやら、何かの金持ちだったらしいが、それが破産して、妹の家に身を寄せるらしい…

話自体は、とてもありふれている。「まわりの見えない勘違い女が、自分の生活の基盤のことも善悪のこともなんにも考えないまま破滅してしまって、…」…というものだ。

ジャスミンの勘違いっぷりが秀逸である。

ジャスミンはいつも「ここは私のいる場所ではない」と思っている。だから、妹の婚約者に男を紹介されても、仕事を見つけるのも、「これじゃない」ものばかりがあらわれる(じっさい、それはひどい選択肢なのだが…)。そして気がつくと、最初に「ないない」とシカトしていた歯医者の受け付けの仕事をしている。

そして、歯医者の仕事をしながら、ジャスミンは本来の自分が「やるべき」(と思い込んでいる)仕事のために学校に通う…のだが…この学校のくだりは、本当に秀逸なので映画を観るとよいと思う。

秀逸、というか、その普遍性がすばらしい。

なんと愚かな…。そしてこの愚かさを背負っていない人が、いるのか…。

(愚かじゃない人はわざわざ映画館で金を払って映画なんて観たりしないから、この反語も通ることだろう)

b.

この映画に、とくに救いはない。

歯医者の受け付けの仕事を一生懸命やっているうちに、自分が忘れていた価値観に気づいて、人にやさしくなりました、だから、置かれた場所で咲きなさい…といった慰めはない。

逆に、映画は、愚かなジャスミンを必要以上に笑うこともしない(ここ重要)。登場人物は、程度の差こそあれ、皆てきとうに愚かで、愚かさの中におかしな一瞬一瞬を持っている。

だって、現実はそうだから。なーにが「置かれた場所で咲きなさい」だよ。現実は「人間は置かれた場所で咲くこともあるし、そうじゃないこともある」だよ。そしてそれが決まるのは「たまたま」だよ。「正しい選択をした」と今思っていても、それが10年後、その通りに評価される可能性はない。誰かが客観的に見たとしても、その選択が正しい保証なんてどこにもない。

c.

映画は、「どうして、こうなったんだろう…?」という余韻とともに終わる。確かに、ジャスミンは鼻持ちならない愚かな女だし、いやそれはないだろう、という選択をしてばかりだ。

でも、自分がそのシチュエーションに置かれたら、はたして「正しい」選択ができるだろうか?

あ、「正しい選択をしてるか」、という問い方は、「正しい自信はないけど、正しいつもりでやってますよ!」とかいう詭弁を生むから、「恥ずかしくない選択をしていると思っている」でもいい。そのように、思っているだろうか?

(ここまで読んで「正しい選択などできないなんて偽悪的だ」「倫理というものを否定している」という類いの、安い反感を抱いた人は、以下書いていることも理解できないかも知れないので、とっとと読むのをやめたほうがいいかも知れません。クラスのお友達とどうぞ仲良く。)

…そりゃ、私だって「恥ずかしくない選択をしてる」つもりだ。

「自分恥ずかしくない選択をしている」と思っている人、この映画のジャスミンこそが、まさしくそうである。だから、ジャスミンのいくらかは、もちろん、私である。だから、この映画が胸をうつ。

恥ずかしくても笑われても、そのときの自分の視野で選択するしかない。ジャスミンはそれをして、こうなった。ジャスミンを「自業自得」と評して、ツッコむだけで終わることができるのなら、繰り返し言うけど、この映画はあなたにとって、いらないのだ。

わたしという存在を、別の次元から、時間を自由にまたいで一篇の映画として見ることができるようになっていて、それを観ている観客が、いるとしよう。わたしが「ブルー・ジャスミン」を観てニヤニヤつっこんだように、わたしの観客はわたしの行動に、ひとつひとつツッコミをいれていくことだろう。

  • 「なんで今コーヒーに砂糖入れたの? 太るよね?」
  • 「そもそもコーヒーが身体によくないよね?」
  • 「その本読むより人に聞いてまわったほうがいいよね?」
  • 「なんで、今こういう仕事やってるの?」
  • 「地方なんて終わってるんだから、東京に住むべきだよね?」
  • 「あー、その手の人の世話焼くの、時間の無駄だよね?」
  • 「そもそもこいつ15年前にさぁ(時間が飛んで、私の15年前のシーンが再生される)…」

わたしはつねに、観客から、無数の正しさによってツッコまれ続けることだろう。

久しぶりに日記に書いたけど、ツイッターその他を、暫く、やめてみることにしたのだった。(ツイッターをやめたから日記に書き続けるという気持ちがあるわけでも、ないけど)

やめる理由は、いろいろと積み重なったものもあるので一言では書けないが…ツイッターをやめてみることにした理由の一つは、ここまで書いた通りだ。夏だし、愚か者にツッコミたい人にはうってつけの季節だ。

3/31の日記(マイレージ・マイライフ)

マイレージ・マイライフ(BD)

あーこれは名作枠や……。「恋はデジャ・ブ」「素晴らしき哉、人生!」と同じ箱。なんどか見返す、という意味で。

「誰かいるのかい?」「道に迷った人よ」……。こんなハンドアックスをカミソリのような速さで入れて来る、脚本のすばらしさ。

レンタカーを借りるあたりから、ドアが開くまで「それはあかんやつ……雪積もってるし、ぜったい惨めな思いする展開……」と、初見でも数秒先のシーンをありありと想像できる。で、そのシーンから「……そりゃそうだよ……」と振り返ると、ソファで3人で談笑しているときのシーンの寒々しさ、鼻の下のばしてエロSMSやりとりしてるときの情けない顔が、フラッシュバックする。

いやーはいはい、どうにもならないって最初から知ってた。知ってたけど、それを何かに(都合のいいほう、に限ったことではなく)解釈して生きていかざるをえないんですよ。ものの十数秒のジョージ・クルーニーの口車に乗せられて、妹との結婚を決意してしまう妹婿を、「なーにが人生の副操縦士だっつの(笑)」と、笑えますか。

なんだか、amazonの評で自分と見解が違うものを見つけてはそこに向かって書くようなていになってるな…いかんいかん。

あと、アナ・ケンドリックさんはかわいいです。

マイレージ、マイライフ [Blu-ray]

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4/1の日記(アナザー・プラネット)

アナザー・プラネット(録画)

SFって紹介されてるけど、SFほぼ関係ない。

「飲酒運転で交通事故を起こしてしまった少女が、刑期を終えて出所。実家には住むけれど、社会のレールから外れてしまい、清掃の仕事をはじめる。あるとき偶然、被害者の男を見かける。少女は謝罪しようと男に近づくが、打ち明ける機会を逸してしまい成り行きで男の家を掃除することに…」

という話と、

「忽然と空に出現した地球そっくりの星。人類はコンタクトを取ろうと試みるが、調査とコンタクトを重ねるうちに、向こうの世界もこちらと全く同じだということがわかる……」

という話が、意味深に重ね合わせて語られる。

「Denkikanでかかる映画選手権」だと、いいところまでいける感じする。でも、何かが足りない…。

「第二の地球」という話のメインへの織り込みが十分ではなく、そのネタを使った最後が、情感の乏しいただの「オチ」のように見えてしまうのがなんとも(解釈の余地はあるけれど、味わいとしては痩せているような……)。

ブリット・マーリングという女優さんは、ゴールドマンサックスの就職を蹴って女優になったんだそうな、この作品では脚本・制作もやってる。小粒な文芸作品じゃないのに出てるところも見てみたい。

惑星ソラリス Blu-ray

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3/25の日記

見出しを付け忘れたときの日記の書き方すら忘れてる……。

はてなスペース(4)

寝言って前置きして寝言を書くのではなく、わりとニュートラルポジションから寝言を書く人が主流なのかも知れない。はてなハイクとかの血が濃いのだろうか。別に人とからまなきゃいけない法律とかないんだから、勝手にやればいいのにねー。一人遊びという発想がもうはやらんのか。

花粉

きつくはないけど、この時期にもくしゃみが出る。

中卒みなし

自分のことを中卒程度の教育教養だと思って開き直るといいんじゃないか、というか、多くの「文系」の人はそれやらないと一生勉強に縁がないことになるんじゃないかなー、と思った。歴史知らない、英語勘弁、数学頭痛い、科学なんですか、だったら、そりゃ高校にも行ってないのとかわらん。

3/17 の日記

カッラーラ(ボードゲーム)

http://boardgamegeek.com/boardgame/129948/the-palaces-of-carrara

「このコマの形に意味あるんですか」「ないですね」「この資材の色は」「値段が違うだけですね」フレーバーほとんど意味ない……。なのに面白い。なんだろこれ。おいしい素うどん。この材料でできることとして、ほぼ完璧なクオリティなんじゃないか。

やることは「手持ちの資材で建物を建てる」「お金で資材を買って来る」「建物の決算をしてお金と得点をとる」の三択。お金が手に入るのは決算の時だけなので、決算によるお金確保は重要だが、お金だけ取っていても点にならない。

建物には、必要資材の数によるランクがある。これを建てる場所にもランクがあり、「建物の資材数」×「場所による倍率」の掛け算で、貰えるお金と得点が決まる。建てる場所は、使う資材の種類によって決まる。高額資材だけを使った建物は、いい倍率の場所に置けて、安い資材が混ざると倍率の低い場所にしか建てられない。

で、この「資材」はランダムに出現して、誰かが「買って来る」アクションを行うたび、既出の資材の値段が下がっていく。待てば値段が下がるが、ほしいものをとるには、金を積まなければならない。

だいたい、それだけ。これに、決算に関するルールがひとひねり入るくらいか。

初見だと、金回りをまず安定させようとして高額建物・高倍率の場所を狙いがちだが、タイミングとキャッシュフローを重視して、建物の価値が低くてもどんどん建てて決算していくほうが強い。結果、経験者が高確率で勝つのだけれど、「そういうふうにやるのか! よし次はうまくやろう!」という気分が先に立つので、惨敗してもあまり不愉快にはならないのだった。

キーフラワー(ボードゲーム)

http://boardgamegeek.com/boardgame/122515/keyflower

これは上とは逆。要素山盛りで面白いんだけど、プレイしてるときの見通しがよくないので、やっていて、将来が判らないことに対するぼんやりとしたストレスがたまる。そういうものだ、と言ってしまえばそれまでなんだけど、みんなそんなに「この選択で将来大丈夫かなぁ」とか思いたいですか。人生以外で。

「アクションのために自分や人のタイルにワーカーを置いてもいいし、公共のタイルにワーカーでビッドしてもよい」「その場所の競り・アクションに使うワーカーは先着の色に合わせる」というアイデア。それでなんでもかんでもやってしまえ、という勢いはよい。

しかし言っても「競り」なので、人が何をどれだけ出してくる、という不確定情報に戦々恐々としないといけない。で、その競りの結果によって、方針やら最後取れるボーナスがガラリと変わったりする。

情報を手広く掌握できれば、初見からそうとう面白いとは思う。でも、「なんで面白いんだろう、不思議」というマジックは、あんまり感じないですねー。