片山杜秀『11人の考える日本人』を読む

 片山杜秀『11人の考える日本人』(文春新書)を読む。副題が「吉田松陰から丸山眞男まで」。2017年から2018年までの1年間、文藝春秋主催の「夜間授業」という講座で月1回話した講義録をまとめたもの。8月は夏休みにしたので11回行って、毎回1人の思想家を取り上げたので11人となった。内訳は、吉田松陰、福沢諭吉、岡倉天心、北一輝、美濃部達吉、和辻哲郎、河上肇、小林秀雄、柳田国男、西田幾多郎、丸山眞男。人選も片山の解説も素晴らしい。難解な西田幾多郎がよく分かったし、北一輝についても見直させられた。

 吉田松陰について、外国からの侵略の脅威に対して吉田松陰がたどり着いた答えは「教育」だったという。そこが尊王攘夷でトチ狂った水戸学との大きな違いだった。

(……)水戸学はあくまでエリートのための学問です。基本的には侍という選ばれたエリートが日本をどう守っていくか、天皇を将軍が支え、将軍を副将軍や諸大名が支え……、という思想に終始します。エリート以外の人間に対しては、とにかく反逆を起こさせないように統治する、愚民を抑えるという態度でものを考えている。/これに対して松陰はあらゆる階級に教育を解放しようと実践します。

 

 柳田国男は、ドライで冷徹な眼で日本を捉えようとする農政官僚としての顔を持っていた。

 柳田はリアリストでした。農政官僚として、食い詰めた農民を失業保険的なもので手当てしても、根本的に救ってあげることは無理であることが痛いほど分かっていた。もう国や社会では面倒を見られない。だから、家族で勝手にやってくれ、個人で勝手にやってくれ。まさに新自由主義的な発想、公助なき自助の世界です。ただし、ある限度を超えれば農民暴動や社会主義革命が起きてしまう。そうならないギリギリのラインを探る作業が、柳田の民俗学の根幹にありました。近代日本が直面した農業社会の崩壊という危機に冷徹に対応した思想家こそが柳田国男だったのです。

 

 本書を読もうと思った動機は、佐藤優が毎日新聞の書評で絶賛していたからだ(2023年4月29日付け)。佐藤が取り上げた本にはほとんど外れがない。

 

 

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