Oギャラリーの与那覇大智展を見る

 東京銀座のOギャラリーで与那覇大智展が開かれている(1月12日まで)。与那覇大智は1967年沖縄県生まれ、1990年に沖縄県立芸術大学美術工芸学部を卒業し、1993年筑波大学大学院修士課程芸術研究科を修了している。1996年に茨城県立美術館で初個展、1998年にOギャラリーで個展をし、その後ほとんど毎年開いていて、今回まで同ギャラリーで27回の個展を続けている。

 

(※私はこれが最も気に入った)



 今回の個展では明快な形態は描かれていない。微妙な色彩の濃淡で作品を成立させている。その繊細に変化する色彩はキャンバス上で混色するのではなく、パレットで作っているのだという。

 形態に頼ることなく色彩の微妙な変化だけで魅力的な作品を作っている。

 きわめて繊細な作品で、写真には再現しづらい。ぜひギャラリーへ足を運んで実物をみてほしい。Oギャラリーは日曜日も開廊している。

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与那覇大智展

2025年1月6日(月)-1月12日(日)

12:00-20:00(日曜日11:00-16:00)

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Oギャラリー

東京都中央区銀座1-4-9 第一田村ビル3F

電話03-3567-7772

https://www4.big.or.jp/~ogallery/

 

里見龍樹『入門講義 現代人類学の冒険』を読む

 里見龍樹『入門講義 現代人類学の冒険』(平凡社新書)を読む。題名通り現代人類学について7日間の講義を綴っている。大学1~2年生向けだと言うがこれが面白かった。

 里見は20世紀末の人類学に新しい変化が生じたと言う。里見自身はソロモン諸島のマライタ島でフィールドワークを続けてきた。マライタ島には「アシ」と呼ぶ人々が住み着いていた。里見はマライタ島で住み込みのフィールドワークを始めた。

 さて、本書の講義のテーマを紹介すると、

「人類学はどのように変化しつつあるか?」、「フィールドワークとはどのような営みなのか?」、「「文化」の概念はどこまで使えるのか?」、「人類学では文章などによる表現がなぜ大切なのか?」、「人類学にとって歴史とは何か?」、「現代の人類学はなぜ「人間以外の存在」に注目するのか?」、「現代の人類学はなぜ「自然」を考えるべきなのか?」となっている。

 「人間以外の存在」に注目するというのは、かつては仮面や日用品のようなモノは、「文化」や「社会」と呼ばれる文脈が主であり、個別のモノは従にすぎないと考えられていた。それに対して、モノと人が双方向的に関わり合い、相互に働きかけ合う様子に着目する人類学が登場する。バリの仮面舞踊を例に人とモノの多様な関係性を新たな研究領域として開拓してきたことを紹介している。

 最近話題になっている人新世という概念。地球温暖化による海面上昇でソロモン諸島など標高の低い土地が海面下に没する被害が懸念されていると報じられている。しかしアシの人は、海面上昇について、「岩が死ぬ」ことで島が低くなって浸水すると言った。自然科学的な見方と文化的信念、そのような問題から「存在論的転回」」という動きが生まれてきた。この辺りは興味深く面白いのだが、複雑で簡単に要約できないのでぜひ本書に当たっていただきたい。

 なるほど文化人類学が今なお進化して新しい段階に入っていることがよく分かった。里見は、読者の中の1~2人でも自らフィールドワークを行うことで人類学者になってもらいたいと思っていると書いている。若者よ、ぜひ!

 

 

 

トキ・アートスペースの高橋理加展を見る

 東京神宮前のトキ・アートスペースで高橋理加展が開かれている(1月19日まで)。高橋理加は1963 年東京生まれ、多摩美術大学絵画科を卒業している。トキ・アートスペースでの個展は2年ぶりになる。ギャラリーのホームページに高橋のコメントが載っている。

 

死者からの視線について~le regard~

 

 よく地方の旧家、古民家などで仏間の鴨居にご先祖の写真が並んでいるのを見かける。不用意にその場所に踏み込むと、何か場違いなところに来てしまったような居心地の悪さを感じる。名前も知らない昔の、といっても写真なのだからせいぜい明治以降だと思うが、彼らの見下ろす視線に「何者? 何しに来た? 何をしている?」と問いかけられているような心持ちになるのだ。

 今回のインスタレーションに使用したのは、主に戦前に撮られた古い写真である。ある人は戦地で亡くなり、ある人は内地で戦火に焼かれ、また生き残って人生を全うした人もいる。全て死者たちである。今私たちに近しい霊魂は無く、死者からの声も遠く届かず、切り離された茫漠たる自由の中で何かを選び取って行かなければならない。自分は彼らの”まなざし”にさらされる不安を乗り越え、見返すことができるのか。

 正月は冥土の旅の一里塚。年の初めに死者とともに今を考えてみたい。

 


 いつものように紙で作られた子供の立体像が並んでいる。その立体像は手に肖像写真を持っている。それらの服装から、戦前の肖像写真のようだ。軍帽をかぶっている者もいる。数年後には皆軍隊に入隊したり、女性たちは厳しい銃後を守ったりしたのだろう。ロシアの詩人ブロークの詩を思い出す。「子供たちよ、もしお前たちが来るべき辛い苦しい日々を知っていたら」。

 壁面に並べられているのは「死者からの視線」なのか。「年の初めに死者とともに今を考えてみたい」と高橋が言っている。

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高橋理加展

2025年1月7日(火)-1月19日(日)

12:00-19:00(日曜日17:00まで)13日(月)休み

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トキ・アートスペース

東京都渋谷区神宮前3-42-5 サイオンビル1F

電話03-3479-0332

http://tokiart.life.coocan.jp/

※東京メトロ銀座線外苑前駅3番出口より徒歩約5分

菅瀬晶子『ウンム・アーザルのキッチン』を読む

 菅瀬晶子・文、平澤朋子・絵『ウンム・アーザルのキッチン』(福音館書店)を読む。本書は、『月刊たくさんのふしぎ』2024年6月号になる。朝日新聞書評委員が選ぶ「今年の3点」で長沢美津子が推薦していた。

 本書は実話の絵本で菅瀬晶子文、平澤朋子絵の「ウンム・アーザルのキッチン」。難しい立場を生きるイスラエルのアラブ人女性の半生を、台所での日常から描く。人を幸せにする料理の数々に、紛争さえなければと。既刊号だが書店から注文可。

 

 著者の菅瀬晶子は国立民族学博物館に所属し、1993年以来、パレスチナ・イスラエルに関り続け、主にキリスト教コミュニティの文化や、彼らがイスラム教徒と共有する聖者崇敬について研究している、と略歴にある。

 本書に描かれているウンム・アーザルはイスラエルのハイファに住んでいる。彼女はアラブ人であるが、イスラム教徒ではなく少数派のキリスト教徒で、ユダヤ教のイスラエルでは二重の少数派になる。

 菅瀬は長い間ウンム・アーザルの家に住んで、文化人類学の研究をしてきた。しかし、子供向けの本書では難しい話はしないで、ウンム・アーザルの日常について、特に彼女のキッチンを中心に家族関係などを描いている。羊のひき肉に米を混ぜてスパイスなどで味付けしたものを軽く茹でたブドウの葉にまいて炊いたワラク・ダワーリーという料理、これはアラブ人の大好物だという。

 本書を読むことによって、イスラエルのアラブ人が身近に感じられるようになった。イスラエルによるパレスチナへの攻撃などによって、たくさんの死傷者が伝えられている。彼らの生活が分からないとそれらの死者は数字にしかならないが、こうして彼らの生活を知ることによって身近な死者になって伝わってくる。

 以前、ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』(河出文庫)という優れたパレスチナ文学を読むことによって、パレスチナの問題が生々しく迫ってきた経験がある。

 子供たちのために書かれたこの絵本が大人たちのためにも大事なことを伝えている。

 

・ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』(河出文庫)を読む

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/20171111/1510405958

 

 

 

 

 

美術を分かるためにすること

 銀座の画廊を回り始めたのは1992年からだった。もう33年前になる。それまで熱心に画廊を見て歩くことはなかった。はじめはわが師山本弘の絵が銀座へ持ってきたらどのランクに評価されるのか自分で確かめたいと思ったからだ。

 そのころ読んだ美術の入門書で、アートを理解できるようになるためには3つのことをするよう教えられた。

1. 美術の歴史を学ぶこと

2. 画家や彫刻家の伝記を読むこと

3. たくさんの作品を見ること

 教えに従ってこれら3つのことを実践してきた。伝記を読むことに関してはそれまで特に興味のなかった駒井哲郎について、中村稔の『束の間の幻影 銅版画家駒井哲郎の生涯』 (新潮社)を読んで、駒井が好きな画家に変わった経験がある。

 たくさんの作品を見ることに関しては、1992年から銀座~神田あたりを中心に熱心に画廊を回り始めた。1993年からはほぼ毎年2,000軒の画廊を回り、それは3年前にがんの手術を受けるまで30年間続けた。

 ここで信原幸弘「考える脳・考えない脳」(講談社現代新書)を思い出す。信原は本書で脳は考えないという。考えるのは3つの条件の場合だけ。人と対話するとき、文章を書くとき、自問自答するときだ。例えば計算するときも紙に書くか頭の中で数字やソロバンを思い浮かべている。意識的に考えないと脳は考えないのだ。ただ反射によってデータを蓄積する。脳はデータを蓄積するのだ。たくさんの絵を見ると脳=無意識の領域にそのデータが蓄積される。おそらく無意識層において、蓄積されたデータの絵=アートが整理されてシステム化され、価値付けされたり、評価されたりしているのではないか。

 毎年画廊を2,000軒、30年以上見てきた経験から、画廊に一歩立ち入れば良い展示か否かが分かってしまうと言った野見山暁治さんの言葉が深く納得できるのだ。

 

 

 

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