内田樹『街場の天皇論』を読む

 内田樹『街場の天皇論』(東洋経済新報社)を読む。副題が「ぼくはいかにして天皇主義者になったのか」、内田の天皇論である。雑誌編集者から「天皇と近代は両立するのか」と問われて、

 現に両立しているじゃないですか。むしろ非常によく機能していると言っていい。象徴天皇制は日本国憲法下において、昭和天皇と今上陛下(平成天皇)の思索と実践によって作り上げられた独特の政治的装置です。長い天皇制の歴史の中でも稀有な成功を収めたモデルとして評価してよいと私は思います。国民の間に、それぞれの信じる政治的信条とも、宗教的立場ともかかわりなく、天皇に対する自然な崇敬の念が穏やかに定着したということは近世以後にはなかったことじゃないですか。江戸時代には天皇はほとんど社会的プレゼンスがなかったし、戦前の天皇崇拝はあまりにファナティックでした。肩の力が抜けた状態で、安らかに天皇を仰ぎ見ることができる時代なんか、数百年ぶりなんじゃないですか。

 丸谷才一も、国賓に対して日本を代表して天皇が会っているが、天皇がいなかったら田中角栄や小泉純一郎が日本を代表することになる。それよりずっといいのではないか、と言っていた。
 しかし、平成天皇や今上天皇が好ましい人格であるからと言って、将来、明治天皇の孫にあたる竹田恒泰のような人物が天皇にならない保証はない。天皇個人の人格にある種の僥倖を期待しなくてならないというのは、未来として不安定ではないだろうか。天皇がどんな人格をもっていても、それが政治に反映しないことを考えなければならないのではないだろうか。

 

 

 

街場の天皇論

街場の天皇論

 

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