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知られざる神父との出会いを描いた名著


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保江邦夫『愛の宇宙方程式: ―合気を追い求めてきた物理学者のたどりついた世界―』(風雲舎、2015)

保江邦夫『愛の宇宙方程式: ―合気を追い求めてきた物理学者のたどりついた世界―』

理論物理学者の保江邦夫氏の本を読んでいると、ほとばしる書に出会うことがある。例えば、『神の物理学』や『伯家神道の祝之神事を授かった僕がなぜ』といった本がそうである。次から次へと伝えたいことがあふれるように出てくる書である。その種の書を読むと詩篇23番 (my cup runneth over) を思い出す。本書はそういう本である。

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題名に「愛の宇宙方程式」などとあるので胡散臭く思うひともあるかもしれない。そういう方程式も確かに本書に出てくるが、物理学でいう宇宙方程式に相当するものとは違う書き方である。例えば、著者の『神の物理学』などで詳述されているが、湯川秀樹博士の素領域理論を発展させた形而上学的素領域理論における宇宙森羅万象方程式の書き方とは違う(同書16章)。本書では理論物理学的な記法でなく、本質に迫るような、誰にでも分る書き方で方程式が書かれている。〈宇宙=愛〉のように (第三章「すべては愛」の〈愛の宇宙方程式〉)。

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ここから本題。広島の山奥で隠遁生活を送るスペイン人神父の話が出てくる。人びとから「隠遁者さま」と呼ばれていた。その言葉の真の意味は本書の最後のほうに出てくるが、「隠遁者とは日々、すべての人類に代わって感謝と懺悔をする人」のことである (第三章〈愛し、愛され、在るがまま〉)。

神父が12歳のときにキリストが現れる。「愛の生贄になりなさい」と言われ、修道院に入り、隠遁修道士になった。隠遁生活を始めるとき、修道院長からひとつだけ助言があった。「あなたは世界中のすべての人から愛されているのですよ。だから隠遁修道士になれるのです。これを忘れないで隠遁生活を送ってください」と。

この神父はキリストに「日本に行け」と言われ、最初は長崎県の五島列島 (野崎島) に行く。島民には外国人の乞食と思われるが、のちに聖なる人であることが分ったときには長崎を去り、広島県の三原の山中にこもる。

その広島の隠遁者のことを聞いた著者が何としても会おうと努力する。著者はそのころ脳の研究を行なっており、〈心はどこにあるのか〉という強い関心があった。その隠遁者ならこの疑問に答えてくれると思ったのである。会いたいと手紙を届けてもらうが「科学者とは話が合わないので会いません」と返事がくる。

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隠遁者はエスタニスラウ神父 (1915-2003) といい、スペインのカタルーニャ州にあるサンタ・マリア・モンセラート修道院の所属。彼のもとにイエスが何度も現れたことから、ヨーロッパではひと目会いたいと訪れる巡礼者が跡を絶たなかったという。(参考: Estanislau Maria Llopart[カタルーニャ語])

ちなみに、モンセラート修道院はグレゴリオ聖歌で有名だが、「荒行」を修める者もごく少数いた。エスタニスラウ神父はそのひとりだった。

結論からいえば、その消えかかっていた秘技の継承を著者は神父に託されることになる。その技を著者はキリストの「活人術」と名づけ、東京・名古屋・神戸・岡山に道場を開くに至っている。ハワイにも道場がある。号して「冠光寺眞法」という。冠光とは聖母マリアのことである。

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いかにして著者は神父からそれを継承されたか。その経緯がまさに本書のハイライトをなす。ほぼ言語化することができないような不思議な経緯だ。

ごく簡単に述べれば、住所も名前も知らずに山中の隠遁者に会いに行く。その際、なんともふしぎな方法で神父の場所にたどり着くのだ。一条の日光が谷に差し込む方へ向かったのだが、その導かれ方は著者のヨーロッパでのある教会へのたどり着き方に似ている。

そして、著者はついに神父に対面する。次の描写がそのときのようすを伝える。

かなりくたびれた修道服を身に着けたその姿を見た瞬間、私は土下座をしていました。右を見ると、北村くん [著者の友人で同行者]も同じことをしています。二人とも信者でもないのに、ひび割れた裸足のその足に顔を付けています。それは、もしキリストがそこにいたら、こんな顔で、こんなお姿だっただろうと理屈抜きで納得する存在感でした。(第二章「一条の光」の〈隠遁者さまのもとへ〉)

土下座したとき、涙もあふれていた。なぜ、初めて会っただけの人にそのような状況になったのか。言葉では説明できないだろう。が、本書に収められた神父の写真を見て、得心するところがあった。その写真そのものはネットでは見つからなかったが、別の写真を神父についてのスペイン語の ページ で見つけた (下)。

 

Padre Estanislau Maria Llopart


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土下座している二人を、神父は両手で抱き上げる。その手が「私たち両方の肩にかかったと同時に、私も北村くんも同時に立ち上がっていました」と著者は書く。このとき、映画「キングオブキングス」のようなキリストの活人術が使われていたことに著者は後で気づく (DVD 版のチャプター19)。

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隠遁者はスペイン人だが、スペイン内戦期にベルギーの修道院に避難していたことがあり、フランス語も話す。著者はジュネーヴ大学で教えていたのでフランス語を話す。ふたりはフランス語で会話する。

著者は心の在処を尋ねるほかに、何を話したかおぼえていない。2時間ほど隠遁者の部屋にいたにもかかわらず。

友人の北村くんに訊いてみる。友人は「ほんとうにおぼえていないの」と驚く。

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数年後に、著者は今度は下の娘を連れて隠遁者に会いに行く。娘が中学に入ってから純粋さゆえに学校という閉鎖社会で傷ついていたのだ。娘が親の意見を聞くとも思えなかったので、「面白い神父さまがいる」と説得して夏休みに連れて行く。

このときは前とは違う道を通った。前回、住所も聞いていなかったので、今回もなかなかたどり着けない。あげく、山道なので次にUターンできる場所があったら、もう帰るしかないとあきらめる。晴天だったが、そのとき急にあたりが真っ暗になり、雷とともに土砂降りになる。

車を路肩に寄せて雨がやむのを待つことにする。30分後、雨があがった。娘が窓を開けて顔を出すと、声をあげる。「お父さん、あそこの二階に、ヘンな外人が立って手を振っているよ」

なんと、そこは隠遁者の納屋の目の前であった。豪雨にならなければ通り過ぎているところだった。

そのときも隠遁者の部屋に2時間ほど滞在したが、そこから家に帰るまでの記憶が著者にはまったくない。

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娘に電話して、そのときのことを訊くと、娘はよくおぼえていた。娘が言うには、隠遁者と著者とは、「ものすごく真剣な表情で、なにやら外国語で口早に話し続けていた」とのこと。著者にはその記憶がまったく抜け落ちている。著者はこう語る。

娘に聞いて初めて、あのとき隠遁者さまは私に何かを教えてくださったのだ、ということがわかりました。(第二章〈再び隠遁者さまのもとへ〉)

後日、沼波伝道師から聞いたところでは、キリスト教の修行を積んだ者には〈大事なことを伝えるときに、呪文のように、言葉の体を成していない文言を連ねることで知識を伝えるという方法がある〉という。

そうして伝えられた知識は、必要な時に出てくる。そのような方法で著者の〈魂に直に〉伝えられたのが、キリストの活人術といわれるものだった。

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娘には表面上なんの変化もないように見えた。ところが、その後、高校や大学へも無事に進学できた。

娘のために隠遁者に会いに行ったと著者は思っていたが、〈じつはそのとき大いなる恩恵を私自身が受けていた〉ことが次第に明らかになったと著者は記す。

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冒頭に述べた「わたしの杯を溢れさせてくださる」種類の本というのは共通する特徴がある。読み終えるのが惜しいという感覚が最後に近づくにつれて増すことだ。本書では、「(おわりに)」のところで、編集者の新谷直恵さんの力についてふれた箇所あたりで、それが最高潮をむかえる。〈品のよい穏やかな日本語〉に手直ししてくれたと著者が記すとき、ああ、これで本書も終わりかと実感し、名残惜しくなる。が、終わっても、まだまだ余韻が続く。杯が溢れ続けるのである。

 

 

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