Tigh Mhíchíl

詩 音楽 アイルランド

記事一覧

『マリア福音書』はすばらしい。キリスト教に関心あるすべてのひとが読む価値あり

カレン・L・キング『マグダラのマリアによる福音書 イエスと最高の女性使徒』(河出書房新社、2006)

 

先に原書を読み、後で、ある記述を確かめる必要から本訳書を手に取った。

結論からいえば、その記述は見つからなかった (後述)。

第1部『マリア福音書』はすばらしい。キリスト教に関心あるすべてのひとが読む価値がある。

*

この貴重な書が再版されることがあれば、第3部5章「キリスト教史」は、ぜひ訳し直してもらいたい。原文を恣意的に省略している箇所があるので、このままでは信頼して読めない。

*

省略だけではない。同章の170頁第2段落「新発見のテクストには、イエスの救済の教えの重要性を強調するものがいくつかある——それらは、ニカイア信条とは対照的に、イエスの教えの内容や、あるいは、イエスが師であることさえ信者たちに受け入れることを求めていない」は、内容的には本書の中核的重要性を宿す箇所であるが、誤訳である。ここを2人の訳者が翻訳したとは信じられない。ここを読んで得心しなかった読者は原書に当たる他ない。この翻訳では、内容が逆になっているからである。

原文は、上記の言葉をそのまま使えば、「新発見のテクストには、救済のためのイエスの教えの重要性を強調するものがいくつかある——それらは、イエスの教えの内容や、あるいは、イエスが師であることさえ信者たちに受け入れることを求めていないニカイア信条とは対照的である」の意である。

この誤りは関係詞 which が the Nicene Creed にかかることを (意図的に) 見落としたことからきている。そこにかけずに、several にかけている。英文法的にそれはあり得ない。

原文は 'Among the newly discovered texts are several that emphasize the importance of Jesus' teaching for salvation--in contrast to the Nicene Creed which did not ask believers to affirm anything about the content of Jesus' teaching, or even that Jesus was a teacher.' (Karen L. King, 'The Gospel of Mary of Magdala: Jesus and the First Woman Apostle', Polebridge P, 2003, p. 164, 下)

*

この箇所は、『マリア福音書』『トマスによる福音書』『真理の福音』がイエスの (救済のための)〈教え〉を強調する、新発見のテクストであることを言っている。イエスの〈教え〉を確認しなさい、とは信者に求めていないニカイア信条とは対照的なテクストであると。

両者の優劣を比較しているのではない。強調点が違う。ニカイア信条はイエスの生涯、その行動 (の意味) に焦点を当てる。新発見のテクストは むしろイエスの教えに焦点を当てる。その違いである。単純だが、重要な違いだ。

*

冒頭に書いた〈ある記述を確かめる必要〉について。

保江邦夫『伯家神道の祝之神事(はふりのしんじ)を授かった僕がなぜ ハトホルの秘儀 in ギザの大ピラミッド』(ヒカルランド、2013) の205頁に次の記述がある。

.. マリアによる福音書に記されていた三十代前半のイエスについてのことだった。それは、新約聖書ではその頃に荒野をさまよったイエスが悪魔と対峙し、ついにはそれを退けることができたために覚醒したとされているが、本当はエジプトに行ったのだということ。そして、ギザの大ピラミッドの中に入ったイエスはマグダラのマリアと共に、王の間で当時のエジプトの神官から「ハトホルの秘儀」と呼ばれるものを受けたというのだ。

この〈マリアによる福音書〉とは、『マグダラのマリアによる福音書』のことである。

原書でそのような記述を読んだ記憶がなかったので、上記が指す翻訳書(本書)を読んでみたが、その記述は発見できなかった。

見落としたかと思い、3度、目を通してみたが、発見できなかった。おそらく、他の関連する和書にそのような記述があるのを保江氏が勘違いしたものと思われる。

国際政治の真実 (「ベンジャミン・フルフォード氏が日本国民に教えてくれた大切なこと」)

副島隆彦・ベンジャミン・フルフォード『今、アメリカで起きている本当のこと 大統領選〝不正選挙〟から米国内戦へ』(秀和システム、2021)

副島隆彦・ベンジャミン・フルフォード『今、アメリカで起きている本当のこと 大統領選〝不正選挙〟から米国内戦へ』
読みはじめてすぐに、〈〇〇が今の日本操り班(ジャパン・ハンドラーズ)の親玉〉と書いてあり、ぎょっとする。その人は、アメリカ国務省の日本のプロパガンダ担当者だという。つまり、日本のマスコミのコンスピラシー担当。〈六本木の星条旗新聞社(スターズ・アンド・ストライプス)の中にあって、あそこから日本の大新聞や5大テレビ局のネットワークを使って司令を出している〉と。

ほんまかいなと思って調べると、ちゃんと六本木にあった (下)。
 


*

このような話が ばんばん出てくる。正直、この内容でこの価格は安いと思った。講演を2-3回聞きに行ったくらいのボリュームがある。著者の二人のどちらかに興味があれば買いだろう。フルフォードさんは会心の作と言っていた。

*

2020年11月の米大統領選をめぐるトピックおよびその周辺の話題について、副島隆彦とベンジャミン・フルフォードが2020年9月4日、10月9日、11月13日、11月27日の計4回、東京で収録した対談を編集したもの。まえがきを副島、あとがきをフルフォードが書いている。

二人の意見には共通点もあれば相違点もある。副島はトランプ支持。フルフォード (BF) はトランプを小悪と見なす。

*

以下、二人の挙げたポイントを少し抜書きする。

・(BF) 総数で100万人ぐらいの人間を逮捕しないといけなくなると思います。昔の裏管理ネットワークの連中で同じ宗教のメンバーです。(中略) 簡単に言うと、[このカルトは]古代カルタゴの末裔なんですよ。(59-60頁)

・(BF) この100万人ぐらいの連中が自分でももうやばいと思っていて、逃亡先を探してたんですよ。2011年に、アメリカの議員十何名が、ニュージーランドに行って、それでニュージーランド政府に100万人の難民を受け入れてください、と頼みこんだの。でも断られちゃった。その議員たちがニュージーランドを離れた翌日に大きな地震があったわけ。(61頁)

・(BF)[ベチュー枢機卿]がベル枢機卿を追い落とす工作のために、オーストラリアで80万ドル使ったと言われています。(中略) ところが、逆転無罪でベル枢機卿が無罪にされて、代わりに、ベチューがクビになった[2020年9月4日]。それから、バチカン銀行の出納を調べたら、やっぱりお金はアニェッリ (Agnelli) 一族などに行ってたんですよ。アニェッリ一族というのは、エコノミスト誌を持っていて、ダボス会議の裏にいる連中なんですよ。(66-67頁)

・(BF) 別の切り口としてあるのは、いわゆる「グノーシス派イルミナティ対13血族」なんですよ。(中略) 彼らは世襲制に反対してるんですね。グノーシス派イルミナティは自分たちがアメリカ革命、フランス革命、ロシア革命を起こしたというんですよ。それで今度は世界革命をやろうとしている。彼らは能力主義ですから、軍事には強いの。それに対して13血族はヨーロッパで強い。王族、エリザベス女王とか。(73頁)

・(BF) 問題は、ではトランプが勝ったとしましょう。それでもやっぱり外の世界との話し合いがまだ残るんですよ。アメリカがすでに倒産しているのは事実なんですね。海外のお金に依存してごまかしているのも事実なんですよ。それでアメリカ軍が世界から撤退したら、軍人たちがみんな失業者になるわけです。彼らが飯を食えなくなる。それをどうするんだと。(78頁)

・(BF) ネットは核戦争でやられても、コミュニケーションがとれるように作られてるから、ここを押さえたら、あっちが出るという、もぐらたたきの状況ですよ。なかなかすべての情報の管理はできない。だから、私みたいな人間でも、独自でニューズを発信できるんですよ。私はスイスにサーバーをレンタルしています。万が一、スイスで何かあったら、アイスランドに移すつもりです。アイスランドだったら絶対に抑えきれないから。そういう情報は昔だったら封印されていたのが、今は封印できないんですよ。だからあの悪い人たちが困ってるわけ。Google を押さえたと思ったら、別のところから出てきたりして、大変なんですよ。(80-81頁)

・(BF) 私が情報源から言われたのは、グーグル (アルファベット) は、自前の軍隊を作っているんですって。それをどうするのかというのが、すごく大きなポイントですね。(95頁)

・(BF) 私は世直しが自分の活動のメインの目的ですから。別に自分の利益じゃなくて、世界をよくしたいと思っている。(102頁)

・(副島) 私も民衆のいるところへ行きます。(中略) イデオロギーが入ってないし、ちょっと宗教がありますけどね。神がトランプを守りますようにという。この人たちが一番穏やかで立派だと思う。普通の人たちですからね。これがトランプを支えてるから、私はそれでもう十分だと思っている。(105頁)

*

ここまでが1章の抜書き。この調子で4章まで続く。

フルフォードという人はおもしろい。彼の曽祖父がGEの筆頭株主で、発電のことでニコラ・テスラを後援していたという (139頁)。

副島という人もおもしろい着眼をしている。〈日本の仏教教団 (歴史的に16宗ある) は、どうもカトリックの亜流になっている〉と言う (212頁)。特に何宗がという指摘はしていないが、するどい。

*

副島氏は本書のタイトルを最初「ベンジャミン・フルフォード氏が日本国民に教えてくれた大切なこと」にしたいと編集者に言ったという (190頁)。それに対してフルフォード氏は〈私はそれよりも、国際政治の真実。要は陰謀論とか、闇の何とかじゃなくて。もう闇じゃなくて表に出していいという考えなんです〉と答える (190-191頁)。

なお、副島氏はフルフォード氏を、エズラ・パウンド〜ユースタス・マリンズの系譜 (〈真実を人々に書いて伝える人々〉) に置いている (192頁)。この発言には心底驚いた。パウンド学者のはしくれとして、この言葉の意味が分るからである。
 

 

 

イエスのオリジナルの教えを伝える書物

Jehanne de Quillan, The Gospel of the Beloved Companion: The Complete Gospel of Mary Magdalene (Createspace, 2010)

Jehanne de Quillan, The Gospel of the Beloved Companion

[目次]

 

要約

マリアの福音書完全版は、従来の聖書とは異なり、イエスの最も身近な存在であったマグダラのマリアが記録した、イエスのオリジナルの教えを伝える書物です。

 

この書物の特徴

  • 完全性:従来の『マリアによる福音書』の欠落部分を含め、完全な内容が収録されています。

  • 真摯さ:イエスの言動を最も正確に記録しているとされています。
  • 平易さ:クリアな現代語で書かれており、誰でも理解しやすい文章です。

  • オリジナル性:教会による編集が加えられていないため、イエスの本来の姿が描かれています。

 

内容

  • イエスの愛の教え: 富や名誉ではなく、永遠の生をもたらす愛の教えが中心です。
  • 笑うイエス: 従来の聖書には見られない、人間らしいイエスの姿が描かれています。
  • 明確な文脈: イエスの言葉がどのような状況で語られたのかが分かるため、理解しやすい。

 

この書物が重要視される理由

  • 教会による隠蔽:教会による権力闘争のために、この書物は長い間隠されてきました。

  • 歴史的価値:2000年以上もの間、人々に秘匿されてきた貴重な歴史的文書です。

  • 真のキリスト教の姿:教会による改変を経ない、イエスの本来の教えを知るための重要な手がかりとなります。

 

この書物を読むことで得られるもの

  • イエスの教えに対する新たな視点
  • キリスト教に対する深い理解
  • 永遠の生命につながる愛の教え

 

まとめ

この書物は、キリスト教の歴史や教えに対する私たちの理解を根本から覆す可能性を秘めています。従来の聖書とは異なる視点から、イエスの言葉を直接的に受け止めることができる貴重な機会と言えるでしょう。

 

 

 

真実の追求者3名との対話

佐野美代子『地球と人類を救う真実追求者たちとの対話 ~光と闇の最終章が今、はじまる』(ヴォイス、2021)

佐野美代子『地球と人類を救う真実追求者たちとの対話』

2020-21年にかけて世界が激動していると感じ、巷間あふれる真偽とりまぜた情報の渦の中で、確かな根拠を探し求めている人向けの本。欧米流に表現すれば conspiracy theory (権力者共同謀議論) のジャンルに分類されるかもしれない。

本書は White Hats Paladin (金融)と Gene Cosensei (Decode) (地下基地) と Charlie Freak (スピリチュアル) の3名に著者が行ったインタビュー (2020年10月〜11月上旬) をもとに編集された。その時期に多くの人が気にかけていた米大統領選挙をめぐる話題が多いが、扱われる対象は、時間的にも空間的にも、もっと広範である。

結論をはじめにいうと、示唆にとみ、有益な本だ。ネット空間を往きかう語句の正確な意味を知りたい場合にも役立つ (DUMB など)。

*

著者は3名に対してある共通の質問を投げかける。3名はそれぞれ専門分野が違うので、対話の中身は異なるのだが、共通の質問をすることにより、問題の本質がうかびあがる。共通の質問とは、例えば、〈Q とは何か?〉である。ここでは、本書紹介の一端として、3者のこの問題に対する考え方を挙げてみたい。[Q (Qアノン)=トランプ大統領らに敵対するとされるカバール(ディープステート、グローバリスト)が画策する計画の情報を公開するグループ]

*

パラディン (32-35頁)

・Qが初めて投稿をスタートしたのは2017年の10月末からだと思います。(中略) 彼らの情報も私たち [=ホワイトハット・グループ]同様、内部 (インサイダー) 情報が基本になっています。(中略) Qには米軍の諜報機関のメンバーがいることは明らかですね。

・[Qのスローガン 'Where We Go One We Go All'「我々が行く時は、一丸となって行こう」]は、アメリカ人に向けてだけでなく、全世界に向けてのメッセージなのです。

・Qの投稿をリサーチすると、どうやらQは未来を透視できるようですね[プロジェクト・ルッキング・グラスのこと]。

・Qの活動も私たちのやり方と似ていて、インテル情報を入手したら、その中でどの情報を開示するかを検討してから出していますね。(中略)[Qの組織は]すごく少人数だと思われます。

*

ジーン (102-104頁)

・多くの人はご存じないでしょうが、Qが最初に登場したのは2014年です。最初はネットの「4chan (4チャンネル:英語圏に向けた掲示板サイト)」に登場してきて、毎日、いろいろな質問をしていました。彼らは、常に質問だけを書き込んでいたのです。(中略) たとえば、「人類が初めて月に行ったのはいつ? 1904年? それとも1969年?」(中略)「沈没したのはタイタニック号? オリンピック号ではないの?」など。

・2017年に再びQは登場しました。トランプ大統領が政権を握ると、今度は「4chan」だけでなく「8chan (8チャンネル:アメリカ向けの画像掲示板。現在は「8kun」に変更)」に登場します。

*

チャーリー (182-184頁)

・はっきり言えるのは、「Qはかなり前から存在していた」ということです。ケネディ大統領が1963年に暗殺されてバージニア州のアーリントン墓地に葬られた時、そのお墓の形は上空からみて完璧なQの形をしていました。

・私は、このQというムーブメントは正義感のある一族と軍部の一部の人によって形成されたと考えています。

*

以上の3者の見解は鵜呑みにする必要はない。これを参考に自分でリサーチするのがよい。そう思ってアーリントン墓地の Google Map で確認するとケネディ大統領の墓は本当にQに見える形をしていた(下)。


*

もう一つ。最近、ある人の発言で知ったのだが、Qのふるさとは米アリゾナ州 Phoenix だという。それから、Qとは、量子コンピュータと4人の人物だとも。これらについては、確認するすべがない。

 

*

 

[追記——20241223]

本書は〈Truth Seekers〉シリーズの第1巻。その後、第2巻(2021)、第3巻(2024)が出ている。

 

 

 

[Kindle版]

 

「流れ星」のモチーフとボブ・ディランの関わり

Anton Chekhov, Five Great Short Stories (Dover Thrift Editions, 1990)

Anton Chekhov, Five Great Short Stories

チェーホフの短篇 'The House with the Mezzanine' (1896 [原題:Дом с мезонином]) について。日本では「中二階のある家」(小笠原 豊樹訳など) の題で知られる。

結論からいうと、ボブ・ディランとチェーホフの関係に関心がある人は読んで損はない。特に、この短篇については、'Shooting Star' (アルバム 'Oh Mercy' 所収) との関連が指摘されているが、それにとどまらず、アルバム 'Blood on the Tracks' との関連をも考えさせる (そのアルバムの全歌はチェーホフの短篇に基づいていると、ディラン自身が述べている)。

*

ディラン研究家のヘイリンは、本作で重要な役割をはたす「流れ星」のモチーフが 'Shooting Star' に影響を与えた可能性を指摘している。確かに、本作を読んだひとは、その主人公たちの痛切な心情を、星がさやかにまたたく光景と共に思い出すだろうし、ディランのその歌もまた、世間が寝静まった時間の星空の空気感を鮮烈に印象づける。

*

なぜ、そのモチーフがこれほど印象的なのだろうか。おそらく、芸術家の男と、美しい姉妹との関係および破局が、「流れ星」のように読者の心を通り過ぎてゆくからだろう。

男の画家としての世界観と、姉の社会改革家の意識、妹の世間を知らぬ無垢、これらが奇跡のように交わりあい、そして消えてゆく。

しかし、それは男のなかで完全に消えたわけでなく、確かな残像として存在している。そのことが「流れ星」のイメジで読者には印象づけられるのだ。

*

男と姉妹との交流は軽薄なものでなく、真剣そのもので、真情にあふれている。その情の部分を最もよく表すのがチェーホフの詩的な文体だ。

ディランがどの英訳でチェーホフを読んだか分らないが、最後の詩的な一節を引いておこう。おそらくディランは共感を覚えたと思う、その文体と、相手もまた自分のことを思い出しているに違いないという (根拠なき) 確信とのゆえに。[本作の翻訳は S. S. Koteliansky と Gilbert Cannan による(1920)]

(未読の方は次の引用はネタバレにあたりますのでご注意ください)





I have already begun to forget about the house with the mezzanine, and only now and then, when I am working or reading, suddenly—without rhyme or reason—I remember the green light in the window, and the sound of my own footsteps as I walked through the fields that night, when I was in love, rubbing my hands to keep them warm. And even more rarely, when I am sad and lonely, I begin already to recollect and it seems to me that I, too, am being remembered and waited for, and that we shall meet. . . .

 

 

[Kindle版]

 

文法史に英文法を位置づける

渡部昇一『英文法を知ってますか』(文春新書、2003)

渡部昇一『英文法を知ってますか』

 

題の問いに対し「知ってます」と答えた人の大半が、読んだあとに、本書がいう意味での英文法は知らなかったと実感するのではないか。なぜなら本書は文法の歴史のなかで英文法を捉えようとするものであるからだ。

英語の歴史については考えたことがある人でも、文法の歴史という観念はなかったのではないか。そういう問題意識は、目の前の言語だけを見ている場合はもちろん、過去の言語を見ている人でも持ちにくい。言語の文法についても歴史があり得るとする観点は、通常文法学者あるいは言語学者しか持っていない。

その意味では、本書は、一般向きの書でなく、学術書に限りなく近い。もちろん、新書であるから、一般読者向けの最低限の配慮は施してあり、コンパクトにまとめてある。しかし、ギリシア語やラテン語の説明が字数のおよそ半分を占め、初めのうちこそそれらの古典語に説明があるものの、途中からは説明なしにラテン語やギリシア語が用いられている。これでは、ついてくる人は限られる。

しかし、本書はそれらのハードルを超えて読む人には、大きな満足をもたらしてくれる。しかも、非常におもしろい。文法の歴史がこれほどおもしろいものだったとはと、膝を打つ人もいるだろう。

*

イギリスで初めて 'The English Grammar' の表題を掲げた英文法書 (1633/1634) を著したバトラー (Charles Butler, c. 1560-1647) へのアリストテレスの影響を指摘した箇所はことにおもしろい (それまでの英文法書にはラテン語の題がついている)。

更にバトラーがアリストテレスから直接影響を受けていると見られるのは名詞と動詞の両方に「格」(case = πτῶσις [プトーシス]) を認めていることである。「格」と言えば、名詞・代名詞・形容詞にのみ認めるというのが古代ストア派の文法学以来の伝統であったのに、突然、十七世紀になって、動詞にも格を認める英文法が出現したのである。(151頁)

具体的には次のようなことだ。

ギリシャ語の πτῶσις [プトーシス]の意味は「落下」であり、それに対応するラテン語 casus [カースス] も「落下」の意味である。このラテン語 casus から英語の case [ケイス] が作られたわけだが、これを日本語では「格」と訳した。本来ならば「落」と訳すべきであった。基本的な型 (プラトン哲学ならイデアに相当する) から、「落ちた型」が主格や現在形 (不定詞) を除く他の変化した語形なのである。(151頁)




Lowth

Lowth による動詞の時制の分類は完璧に見える。だが、その後の文法家はこれを採用しなかった。まことに残念である。こういうことはままある。英詩のプロソディにおける Hopkins の分類は完璧に思えるが、その後のプロソディストはこれを採用しなかった。まことに残念である。

Lowth は詩的並行法の分野では Jakobson を除けば並ぶ者のない巨人である。これはその後の並行法の基礎の一つになっている。

Lowth の時制の分類は次のようなものだ。

「時制 (tense)」については、まずギリシャ語文法に見られるようなアオリスト (aorist 不定過去——進行中であることや完了していることを意味せず、単に起こったことを表現する時制) を用いて二分し、それを更に基本的自然時間で三分し、更にそれを進行中とか完了という相 [アスペクト] の概念で二分しているが、整然として見事である。今の英文法で「進行形」と言っているところを imperfect (不完全な) と言ったのは「完了形」を perfect (完全な) というのと対比させたものである。 (203-204頁)

〈アオリスト (中略) を用いて二分し、それを更に基本的自然時間で三分〉とは、具体的には、時制を Indefinite or undetermined と Definite or determined に二分すること。前者 (アオリストに当たる) を Present (I love), Past (I loved), Future (I shall love) に三分することである。後者も同様に三分したあと、現在を Imperfect (I am (now) loving) と Perfect (I have (now) loved) に、過去を Imperfect (I was (then) loving) と Perfect (I had (then) loved) 等に分ける。

今の文法と比べてもまことにすばらしい。完璧な理論でも、後世ならう英文法家がほとんどいないわけを、著者は「アオリストで二分するという余計な上位概念を作ったから」と推定しているが、それにしても残念である。この分類法があれば、例えばフランス語の passé simple の理解が格段にしやすくなる。

 

 

 

東大病院救急部教授による死と生をめぐる率直な思索

矢作直樹『人は死なない-ある臨床医による「力」と「永遠」をめぐる思索-』(バジリコ、2011)

矢作直樹『人は死なない』

医師が語る異色の死生観。医師がここまで率直に死と病気などについて述べた書はめずらしい。医学界からもそれ以外の方面からも賛否両論がまきおこるだろう。だが、それでも、読むに値する貴重な記述を含む。

「あとがき」に、本書のモチーフについて次のように書かれている。

人間の知識は微々たるものであること、摂理と霊魂は存在するのではないかということ、人間は摂理によって生かされ霊魂は永遠である(こと)

この「知識」の中に医学知識が含まれ、興味深い詳細な臨床記録にそれが発揮されている。その他に、霊的な方面の知識が含まれ、欧米の心霊主義(スピリチュアリズム)の歴史を簡潔に紹介する第四章にその一端が示されている。

著者による本書のモチーフのこの要約に、死生観に取組む基本姿勢が窺える。専門化された学術的な知識(医学など)と未確定の仮説的な知識(心霊論など)とがあることを認めたうえで、人間の保有する前者は僅かであり、後者は傾聴すべきものを持っていると示唆しているようだ。実務者としては前者によって仕事をするものの、死生観の奥底に後者を忘れないでいたいというのが著者の願いだろう。

*

医学でわかっている知識が僅かだとの著者の言葉が誇張でないことは、次の記述にも見てとれる (第二章)。

現在認知されている病気のほとんどは、その原因すら解明されていないのも事実です。DNAに関しても、その三%を占める遺伝子についてはある程度わかっているものの残りの九七%、俗にジャンクDNAと呼ばれる部分の働きについては何もわかっていません。

だからといって、現場の医師が持てる知識と技術を総動員して日夜奮闘していないと思う人は殆どいない。第一章のすさまじい臨床の記録を読めば明らかだ。

にもかかわらず、現代医学には解明できない、もっと言えば人間には知り得ない未知の領域が存することは厳然たる事実であり、その事実の前に謙虚である著者の姿勢には共感できる。

*

その謙虚な姿勢と、東洋医学や代替医療や心霊治療に対する著者のあくなき関心とは、矛盾しない。何より、著者自身の数度にわたる瀕死体験や、臨床で経験した信じられない患者の実例などの、具体的な根拠が圧倒的であり、そこから、現代医学では解けない謎に関心を持つのは、むしろ自然である。おそらく、その関心は、現代医学の限界の彼方を覗いてみたいという欲求に発するものだろう。

英米では、こういう開かれた医学観は、この半世紀以上にわたって治療や研究の中に浸透してきている。

英国では心霊治療がいち早く医療保険に組込まれている。また、米国では国立衛生研究所 (NIH) に相補・代替医療センター (NCCAM) という組織が設置されている。

また、中医学における気功の現状の記述は、漫画『ドラゴンボール』の孫悟空も真っ青という内容で、驚く他ない。

*

現代医学の基盤となっているのが自然科学である。その自然科学における「真理」は絶対的なものではないという見方を代表する例として、思想家ケン・ウィルバーが次のように紹介されている (第二章)。

(ウィルバーは) 人間の内面性が軽んじられ実証されたもののみが真実であるという近代科学の物質主義的世界観に席巻された現代社会を、批判を込めて「フラットランド」と名付けました

ウィルバーは人間の体、心、霊魂の探求には三つの視点が必要であると説く。肉の目・理知の目・黙想の目の三つである。これらの視点により得られる領域はそれぞれ独立しており、同列に議論するのは「範疇錯誤 (カテゴリ・エラー)」であるとしている。

*

以下、その他の気になった点に少しだけふれておく。

ヴェーダには「唯一の真理は聖者たちによって多くの名で語られる」という格言があると記されている (第二章)。

このような認識を体系的に述べたものに、本書には出てこないが、葦原瑞穂の『黎明』がある。著者は『黎明』のことはよく知っていて、物理学者の保江邦夫氏に教示している。保江氏は『黎明』第二章を物理学的に書き換えることを企図して『神の物理学』を書いた。

*

第五章に次の記述がある。

グノーシス派の『真理の福音書』(イエス・キリストが亡くなってまもない一~二世紀に書かれたとされ、一九四五年になって発見されたナグ・ハマディ文書の中のひとつ)には、「神は彼らを自らの内に見出し、彼らは神を自らの内に見出したのである」という言葉があります。合気道の創始者、植芝盛平も『武産合気』の中で、まったく同じことを述べています。まさに梵我一如の境地です。

これと同じ趣旨の言葉をあちこちで目にする。保江氏の形而上学的素領域論にもある。

こういう捉え方を自分のものとするためには、何らかのきっかけが必要かもしれない。理論物理学のような、世界のことわりを解き明かす学問的方法が合う人には、保江氏の『神の物理学』が手がかりになるだろう。

*

第五章には医師ならではの次の言葉がある。

孫子の謀攻篇には「……百戦百勝は、善の善なるものにはあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり。」という一節があります。私は、この言葉を医療に応用して、「病気になってから手のかかる治療をすることは最善ではなく、病気が軽いうち、できれば未病のうちに快復をめざせることが最善」というように考えています。

ここから、自分の体調がいつもと違うと思ったら、ためらわずに医療機関に行くように勧めている。行こうという初動については他人が代わることができないので、本人の気持ちが大事ということだ。

*

本書には編集者の名前が記されていない。ほとんど編集らしきものが存在しないように見える。設立後10年余の歴史の浅い出版社だから仕方ないとはいえ、丁寧な編集工程が存在すれば、もう少し読者に配慮できたのではないか。読んでいて、読者が置いてけぼりではないかと思うことが何度もあった。章立てと小見出しの見せ方、文体の混在、叙述の順序等、考えるべきことは山ほどあると思う。

 

 

 

*

[Kindle版]

Â