西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

東大寺 (金光明四天王護国之寺) 〜奈良の大仏〜 その二

国指定史跡 東大寺旧境内
宗派 華厳宗 大本山
本尊 盧舎那仏
630-8587 奈良市雑司町406-1
公式サイト http://www.todaiji.or.jp/





東大寺 (金光明四天王護国之寺) 〜奈良の大仏〜 → その一
→ 特別展「東大寺大仏 天平の至宝」東京国立博物館 その九
→ 特別展「奈良の古寺と仏像〜會津八一のうたにのせて〜」三井記念美術館 その二
→ 「東大寺」関連の記事





東大寺




さて、午前11時近くになって、
奈良国立博物館・なら仏像館から、
東大寺にやって来ました。
さすがに多くの外国人観光客の姿が見えます。




南大門



国宝の南大門は、
応和二年(962)に台風で倒壊後、
正治元年(1199)に復興されたもの。




南大門金剛力士(仁王)像  南大門金剛力士(仁王)像



大好きな国宝・木造金剛力士立像は、
高さ8.4mで建仁三年(1203)に、
わずか69日で造られました。
右に吽形、左に阿形と、
一般的な安置方法とは左右逆。
長野・善光寺のものもやはりこの配置です。
しかし東大寺さん、この網どうにかなりませんか?
鳥よけならばもっと良い方法もあるでしょう。



東大寺ミュージアム前の手のレプリカ



東大寺ミュージアムにも立ち寄りまして、
母に展示品の解説をしていると、
今までどこの博物館・美術館でも、
注意されたことのないほどの声の音量ですが、
係員の方に音声ガイド利用者の妨げになると、
かなり強く注意を受けました。
ん?、東大寺文化センターさん、
ちょっとおかしくないですか。
私の声のは社会通念上、
博物館内で迷惑になる音量ではなく、
ましてや「音声ガイド利用者」のみ、
もし迷惑になるのならば、
それ「音声ガイド」に問題がないですか?
てか、そもそも我々の近くに、
音声ガイド付けてた人いなかったし。
観音巡礼中なので、
争いごとは避けましたが、
是非、現状の係員の注意の基準の、
確認と再考を願います。




中門
兜跋毘沙門天  持国天



大仏殿を囲う回廊の正面にある中門は、
重要文化財で享保元年(1716年)の再建で、
入母屋造の楼門です。
持国天と多聞天が祀られていますが、
多聞天が四天王グループ時の様相ではなく、
スペシャルソロ活動時の、
兜跋毘沙門天となっています。
現在、中門は大仏殿の入場口ではないので、
私も今まで気が付かなたったんですが、
これはとても珍しい形式です。





大仏殿



で、金堂の大仏殿は国宝で、
宝永六年(1709)の再建。
大仏殿、大仏の変遷については、
それだけで膨大な情報量があるので、
不本意ですがそれぞれwikiの記事を貼ります。





八角灯籠



国宝・銅八角燈籠は
奈良時代創建時のもの。



大仏殿近景



さて、8年ぶりに大仏殿に入り、
奈良の大仏こと、
国宝・東大寺盧舎那仏像を拝しましょう。



東大寺大仏
東大寺大仏正面
東大寺大仏左手から  東大寺大仏右手から






虚空蔵菩薩  如意輪観音



脇侍の木造如意輪観音坐像、
虚空蔵菩薩坐像は重要文化財。
大仏の銅造とは異なり木造の寄木造です。
如意輪観音像は元文三年(1738)頃で、
虚空蔵菩薩像は宝暦二年(1752)の完成。



広目天  多聞天
増長天頭部  持国天頭部



大仏殿内の北西と北東の隅には、
江戸時代復興期に、
四天王の内の広目天像と多聞天像を安置しますが、
持国天、増長天は未完成に終わってしまい、
両像の頭部のみが大仏殿内に置かれています。




東大寺大仏背面から  鎌倉期再建時、江戸期再建時大仏殿模型比較



大仏を背面から眺めます。
ここに鎌倉期再建時、
江戸期再建時の、
大仏殿の比較模型が置かれいます。



戒壇院入口  戒壇院



さて、大仏殿を離れて、
境内北西の戒壇院へ。
少しだけ離れると、
大陸系の観光客は皆無になります。



東大寺戒壇堂のパンフ



戒壇院は享保十八年(1733)再建で、
中央に法華経見宝塔品、
第十一の所説に基づく多宝塔があり、
内部には多宝如来と釈迦如来が祀られています。
その周囲を国宝の塑造四天王立像が守ります。



大仏殿裏  大湯屋



大仏殿の裏を歩いて、
重要文化財の大湯屋前を通って、
東大寺境内の東へ。
大湯屋は延応元年(1239)に改修され、
応永十五年(1408)から、
大改修がなされています。



鹿鳴園  メニュー



時刻は午後12時20分、
そろそろお腹が空いたので、
この売店兼食堂の、
鹿鳴園でランチを食べました。



冷やし三輪そうめん  麺リフト
わらびもち  箸リフト



冷やし三輪そうめんと、
わらびもちのセットで体力が戻りました。




四月堂  閼伽井屋





四月堂は三昧堂ともよばれ、
やはり重要文化財。
延宝九年(1681)建立で、
寄棟造二重・本瓦葺き。
閼伽井屋も重要文化財で、
鎌倉時代の建立で、
お水取りを行う際に使用されます。



二月堂  
二月堂の石段  登廊
 


二月堂は国宝で、
旧暦二月にお水取りと呼ばれる、
修二会が行われることから、
この名があります、
治承四年(1181)、
永禄十年(1567)の、
二回の大火にも焼け残ったものの、
寛文七年(1667)の、
お水取りの最中に失火で焼失。
その二年後に再建されたのが、
現在の建物です。




二月堂からの景色  二月堂からの景色



二月堂からの景色は格別。
ここから見える、
奈良の景色が大好きです。




法華堂(三月堂)



国宝・法華堂(三月堂)は、
東大寺に残る、
数少ない奈良時代建築で、
創建当時は羂索堂と呼ばれ、
東大寺の前身である、
金鐘寺の堂として、
天平十二年(740)〜、
同二十年(748)頃の建立。



東大寺法華堂 国宝 不空羂索観音立像の写真  法華堂(三月堂)の内陣の写真  




堂内は、全て国宝の、
乾漆不空羂索観音立像、
塑造執金剛神立像、
乾漆梵天・帝釈天立像、
乾漆金剛力士立像阿吽2躯、
乾漆四天王立像躯の、
計10躯安置しますが、
塑造執金剛神立像は、
良弁の命日である、
12月16日のみ開扉の秘仏。
日本霊異記によれば平将門の乱で、
この像の髻を結んでいる、
元結紐の端が、
蜂となって飛び去って、
将門を刺して苦しめたそうで、
確かに像の元結紐は、
今も片側が欠失しているんだとか。




法華堂経庫




最後に平安時代の建立の、
重要文化財の、
法華堂経庫を見て、
東大寺を後にしました。



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