朔太郎のことから・・・
2006年 04月 16日
風邪なのでお風呂は我慢してはいらず。
顔だけ石鹸で洗ったら,なんとさっぱりしたことか。
さっぱりとはこのことかと,つまらないことに感動。
ちくま日本文学全集の『萩原朔太郎』をぱらぱらと読む。
『月に吠える』の序文を読んで,
高校生のとき,なぜここを読ませてくれなかったのかと,いまどきになって
思う次第。
>詩とは感情の神経を摑んだものである。生きて働く心理学である。
>すべてのよい抒情詩には,理屈や言葉で説明することの出来ない一種の
>美感が伴う。これを詩のにおいという。(人によっては気韻とか気稟とか
>いう)においは詩の主眼とする陶酔的気分の要素である。したがってこの
>においの希薄な詩は韻文としての価値のすくないものであって,
>言わば香味を欠いた酒のようなものである。こういう酒を私は好まない。
>詩の表現は素朴なれ,詩のにおいは芳醇でありたい。
高校生のとき,授業で読んだ詩は,「悲しい月夜」だった。
悲しい月夜
ぬすつと犬めが,
くさった波止場の月に吠えてゐる。
たましひが耳をすますと,
陰気くさい声をだして
黄いろい娘たちが合唱してゐる,
合唱してゐる,
波止場のくらい石垣で。
いつも,
なぜおれはこれなんだ
犬よ,
青白いふしあはせの犬よ。
朔太郎は,竹のことを何篇か詩にしている。
「竹が生え」ということばをくりかえす詩は有名だ。
竹だけではなく,地下の世界にも親近感を寄せているらしい。
大正時代のまっただなかに中に生きた詩人。
華やいだ世間の中で,ひとり違う世界を感じていたのだろう。
ただ一人であっても,一人ではない。
この時代に朔太郎が共感する人たちはいただろうから。
ただ,今この時間の私は,あんまり朔太郎の詩の感じには,なじまない。
むしろ,地下の中で,動物や植物が自分の生きる場をわけあい
共に生きているという「うれしさ」や「たのもしさ」を感じたい。
地下には竹の地下茎のほか,桜や欅や楠やたんぽぽやぺんぺん草や
いろんな植物の根っこが,ところせましとのびているはず。
でもけんかはしない。
どんな「考え」で土をわけあっているのだろう。
声があるなら聞いてみたい。
顔だけ石鹸で洗ったら,なんとさっぱりしたことか。
さっぱりとはこのことかと,つまらないことに感動。
ちくま日本文学全集の『萩原朔太郎』をぱらぱらと読む。
『月に吠える』の序文を読んで,
高校生のとき,なぜここを読ませてくれなかったのかと,いまどきになって
思う次第。
>詩とは感情の神経を摑んだものである。生きて働く心理学である。
>すべてのよい抒情詩には,理屈や言葉で説明することの出来ない一種の
>美感が伴う。これを詩のにおいという。(人によっては気韻とか気稟とか
>いう)においは詩の主眼とする陶酔的気分の要素である。したがってこの
>においの希薄な詩は韻文としての価値のすくないものであって,
>言わば香味を欠いた酒のようなものである。こういう酒を私は好まない。
>詩の表現は素朴なれ,詩のにおいは芳醇でありたい。
高校生のとき,授業で読んだ詩は,「悲しい月夜」だった。
悲しい月夜
ぬすつと犬めが,
くさった波止場の月に吠えてゐる。
たましひが耳をすますと,
陰気くさい声をだして
黄いろい娘たちが合唱してゐる,
合唱してゐる,
波止場のくらい石垣で。
いつも,
なぜおれはこれなんだ
犬よ,
青白いふしあはせの犬よ。
朔太郎は,竹のことを何篇か詩にしている。
「竹が生え」ということばをくりかえす詩は有名だ。
竹だけではなく,地下の世界にも親近感を寄せているらしい。
大正時代のまっただなかに中に生きた詩人。
華やいだ世間の中で,ひとり違う世界を感じていたのだろう。
ただ一人であっても,一人ではない。
この時代に朔太郎が共感する人たちはいただろうから。
ただ,今この時間の私は,あんまり朔太郎の詩の感じには,なじまない。
むしろ,地下の中で,動物や植物が自分の生きる場をわけあい
共に生きているという「うれしさ」や「たのもしさ」を感じたい。
地下には竹の地下茎のほか,桜や欅や楠やたんぽぽやぺんぺん草や
いろんな植物の根っこが,ところせましとのびているはず。
でもけんかはしない。
どんな「考え」で土をわけあっているのだろう。
声があるなら聞いてみたい。
by KATEK
| 2006-04-16 10:00