相方の腕あがる。
2010年 08月 09日
この頃,相方の料理の腕が上がりすぎて困っている。
今晩は鶏をからっと焼いて(揚げるのと同じくらいに),
甘酢ベースのソースをかけたもの。
単純ながら,肉のパリッとした部分とそのなかの柔らかい
部分の食感とか,ソースの甘さや酢の柔らかい風味とか,
まさにちょうどいいのだ。
なぜ困るかって?
それはわたしが作るもののレベルがあがらないから,
なんとなく作る気力がうせること。
まぁ,わたしのほうが海草や豆や健康志向のものが
多いってことが,少しばかりいいところかしらん。
でもともかく相方のこの1年くらいの間の急激な上達
ぶりはすごい。
料理って手と頭をとっても使う。
あと体力。
料理ができるってことはありがたいこととはいえるなぁ。
わたしは体力と気力とがないのに加え,指の痛いのが
問題。
今日,相方に並んできゅうりを刻んでいたら,きゅうりを
押さえる左の指が痛かった。
なんで痛いのかわからないから,やっかいだ。
そうだ。
北山修の最終講義。
九州大学を退官するときに行った4回の授業が放送された。
録画するのを忘れていて2回分しか見られなかった。
北山修という研究者・カウンセラーは,いっさいマスコミに
(画像に)出ることを拒んでいた。
最後にはじめて,研究者としての講義をマスコミにさらした。
彼の書いた本の多くが言葉をめぐるものだ。
基本的に精神分析家としての立場でかかれている。
(フロイトの思想によって立っていること)
だから,本は何冊か読んでいたが,治療者としての彼の
ことはほとんど知らなかった。
彼がカウチにクライアントを寝せて,その横で話を聞くという
基本に忠実なカウンセリングをやっていることを知って
すこしびっくり。
わたしの知っているカウンセリングのほとんどが,来談者中心
療法となにかを混ぜたものだったから。
北山修ってある意味えらいなぁと思う。
マスコミから消えたことも,
あくまでフロイトを捨てなかったことも。
放送された最後の部分で,「あのすばらしい愛をもう一度」を
歌っていたのも,なんだかよかった。
フォーククルセイダースの頃のをまた聞きたいなと思う。
さて今日は北山修を読むか。
今晩は鶏をからっと焼いて(揚げるのと同じくらいに),
甘酢ベースのソースをかけたもの。
単純ながら,肉のパリッとした部分とそのなかの柔らかい
部分の食感とか,ソースの甘さや酢の柔らかい風味とか,
まさにちょうどいいのだ。
なぜ困るかって?
それはわたしが作るもののレベルがあがらないから,
なんとなく作る気力がうせること。
まぁ,わたしのほうが海草や豆や健康志向のものが
多いってことが,少しばかりいいところかしらん。
でもともかく相方のこの1年くらいの間の急激な上達
ぶりはすごい。
料理って手と頭をとっても使う。
あと体力。
料理ができるってことはありがたいこととはいえるなぁ。
わたしは体力と気力とがないのに加え,指の痛いのが
問題。
今日,相方に並んできゅうりを刻んでいたら,きゅうりを
押さえる左の指が痛かった。
なんで痛いのかわからないから,やっかいだ。
そうだ。
北山修の最終講義。
九州大学を退官するときに行った4回の授業が放送された。
録画するのを忘れていて2回分しか見られなかった。
北山修という研究者・カウンセラーは,いっさいマスコミに
(画像に)出ることを拒んでいた。
最後にはじめて,研究者としての講義をマスコミにさらした。
彼の書いた本の多くが言葉をめぐるものだ。
基本的に精神分析家としての立場でかかれている。
(フロイトの思想によって立っていること)
だから,本は何冊か読んでいたが,治療者としての彼の
ことはほとんど知らなかった。
彼がカウチにクライアントを寝せて,その横で話を聞くという
基本に忠実なカウンセリングをやっていることを知って
すこしびっくり。
わたしの知っているカウンセリングのほとんどが,来談者中心
療法となにかを混ぜたものだったから。
北山修ってある意味えらいなぁと思う。
マスコミから消えたことも,
あくまでフロイトを捨てなかったことも。
放送された最後の部分で,「あのすばらしい愛をもう一度」を
歌っていたのも,なんだかよかった。
フォーククルセイダースの頃のをまた聞きたいなと思う。
さて今日は北山修を読むか。
by KATEK
| 2010-08-09 20:08