1995年、アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴにオープンした『死の博物館(Museum of Death)』は、その後ハリウッドに移動し、現在はルイジアナ州に移設された。
博物館の目的は「死の教育の空白を埋める」ことだというが、館内には、実際に起こった事件の遺品などの不気味な付属物が数多く展示されているため、気絶や嘔吐を引き起こす来場者が後を絶たず、スタッフはその数を記録しているという。
ルイジアナ州にある死の博物館
ルイジアナ州ニューオーリンズにある『死の博物館』を訪れた人は、特殊な展示内容に気分が悪くなることが少なくないようだ。
例えば、内部には動物のはく製や本物の人骨の他、チベットのカパラ(髑髏杯)、犯罪事件現場の写真、ナポレオンやヒッチコックなど有名人のデスマスクが展示されている。
また、本物かレプリカなのかはわからないが、自殺ほう助活動にちなんで「死の医師」と呼ばれたジャック・ケヴォーキアンの安楽死マシン「タナトロン」、“キラー・クラウン”の異名で知られたシリアルキラー、ジョン・ウェイン・ゲイシーの遺品、ジェフリー・ダーマーの手紙、アイリーン・ウォーノスが死刑囚監房で着用していた下着、カルト宗教団体「ヘヴンズ・ゲート」の募集広告ビデオなど、実際の事件や団体にまつわる付属物も多数あり、リアルなアメリカの社会背景の一部を知ることができる。
究極の死の教育の場を目指す博物館
身の毛のよだつ不気味な展示物以外に、実際の殺人犯たちの遺物が展示されていることから、敏感に反応して嘔吐や気絶する来場者が出る死の博物館。だが、ここはなかなかの人気を誇っている。
それは、この博物館が究極の死の教育の場となっているからだ。
博物館およびリサーチセンター『The Historic New Orleans Collection』のキュレーター、スコット・ヒーリー氏は、このように述べている。
この博物館が始まった理由は、私たちの社会における死の教育の欠如、死をタブーとする性質、そして死への好奇心からです。
展示内容の物語に付随する多くの物は、いわば個人的なもの。それら見た来場者たちは、思いを巡らせ、その出来事や物について質問を投げかけてきます。
つまり、死の博物館は展示物が奇抜で暗い題材であっても、死に対する教育の場なのです。感じ方は人それぞれです。
博物館のマネジャーを務めるエレク・マイケルさんは、こう語っている。
他の国では死は生の一部として受け入れられているのに、アメリカでは死はタブーとみなされています。
それは、凶悪なシリアルキラーを生み出したアメリカの背景と関連していると思います。
特に宗教的な理由からか、ルイジアナ州では生と死に関する教育がほとんど皆無です。だからこそ、この博物館で死の教育カリキュラムを学んでほしいのです。
博物館の目標は、「死の教育の空白を埋めること」です。
年齢制限がないため、誰でも来場可能だが、博物館側は気分が悪くなったり、気絶した来場者の数を毎回記録しているという。
References:Museum of Death staff keep tally of visitors who vomit or pass out – Daily Star / written by Scarlet / edited by parumo
存在意義は認めるけど行きたくはないな途中で絶対吐く
日本で言うところのゲンシシャさんかな
情報だけで良いなら、山田風太郎の人間臨終図巻を読むと死について色々考えることが出来ると思う。
答えは出ないかもしれないが。
多分、苦情も多々あるだろう。
ある意味、こういう施設はあった方がいいのだろう。
懸念があるとすれば、模倣する愚者があるかもしれない事。
タブーに挑む姿勢は個人的に好感がもてます。
生と死は反対のものとされることもあるけど、実際は死は生の一部なのを忘れちゃいがち
タナトフォビアではないけど、死について考えると不安になってしまうのは仕方ないね
死ぬまでが人生ですよ
なかなか良い趣味してやがるぜ
ここ行きてぇ!すっげえ行きてぇ!!(ワクワク)
※8
そんなあなたにタイのバンコクにあるシリラート博物館をお勧めする。この記事の博物館とは異なり、純粋に人体と医学に関する展示物だけど「死体博物館」として有名なスポットです。
私は二度と行きたくありません。
>>19
あそこはすごいよね
入場料がバカ高くなってしまったのが残念
死がタブーか
誰しも必ず最後に経験する物がタブーってのは慥かに歪みが出そうだな
タブーの内側からのアプローチだけあって冒険的と言うか中々大変そうだが体当たりの気概は感じられる
日本にも作ってくれんかな
※10
明治大学博物館があるよ
刑罰なのでこことは違うが、気絶する人もいそうだ
カラパイアのこういう怖い記事も好き。
死っていうか殺人では?
実は死は日常で身近なものなのだ
亡くなることと、悪意や快楽殺人で命が弄ばれるのは別の話よね
行ってみたい
耐性はあるつもりだけど、ビニール袋持参した方がよさそうだね
来館者の自殺率が減るなら良いと思う
逆なら強制終了
日本の「地獄絵画」も追加して
しかし女性死刑囚の下着って何か関係あるのか
>>21
刑が執行される迄の間、ずっと同じ物を使い続けたとか
生地が特殊な物で作られているとか……裏が有りそうです。
面白そうだけどサイコメトラーの人が行ったらえらいことになりそうだな
あと夜間の館内の様子も気になるから暗視カメラを置いて見てみたい
ノヴァ教授に比べたら・・・まだ・・・
そこらへん歩いてるときとか、1000年前にもこの道を歩いている人がいたんだってふと思うと知るはずのない情景や空気感、雰囲気みたいなのが脳にぶわっと浮かんできて感じることがある
この博物館で死の情報を見て同じようにそういう感覚が起きちゃうとそりゃ吐いたり気絶したりしちゃうと思う
う~ん、色んな見方や意見があるのわかるけど、『死について考える』っていうテーマはあくまでタテマエでやっぱり煽動的というか、怖いもの見たさとかアングラ嗜好がベースにあるのでは?と思っちゃうんだよね、この施設。突き詰めればお化け屋敷とか見世物小屋とどう違うんだろう?
本当に『死』について考えるんだったら、医療や福祉や葬儀に携わってる人から現場でのナマの話を聞くとか、遺族たちのグループセラピーを見学させてもらうとか、なんだったらボランティアで死に近い人と接するとか、もっと違う方法があるんじゃね?と思っちゃう。
※27
否定はしないが、最初の第一歩としては有では?
専門的に研究している人ならいざ知らず、一般人で講演会とかは敷居が高い。
日本は特にケガレを嫌うから。
>>27
あなたが言ってるような方法だって別の組織や団体が別のところで当然やってるだろうし、どっちかでないといけない訳じゃないんだから、色々なかたちがあっていいんじゃないの?
同じものを見聞きしても人によって受け取り方は違うしね
教育目的とは捉え難い施設。
展示物、説明者の態度、強いショックを受けている人の数をカウントする姿勢と露悪趣味というか、死を考え、感じるための目的とは異なる欲求から運営されているのではないか。
学校やテレビではいつ、どこで、誰が死亡したかまでしか基本的には取り扱わない。
死んだあとの人の話が聞けるわけじゃないから当たり前なんだけど、死についてどう思うかまで深く考える機会はそんなに多くないと思う。
死=悲しい、鬱で思考を止めてしまうより、多くの人がどうやって死と向き合っているか、どんな考え方があるのかっていうことをもっとカジュアルに気さくに話す場があってもいいと思う。
こことは正反対の日本の群馬県にある愛と生命のミュージアムがあるね。出産シーンから性、最後は棺に入るっていう流れの展示。日本に住んでいる皆は死より生を学べるよ!
行ってみたいな
行きたくないなぁ…死よりも不衛生そうで…
デートスポットに選ばれるのは目黒区の寄生虫館みたいな感じなのか
安楽死マシンって、ドクターキリコみたいな人が本当にいたんだ…!
でも、死も救いって人も世の中にはいるから良いとも悪いとも言えなくて何か複雑…。
死についてと、殺人については別な気が…。
日常生活でも、家族や知り合いが亡くなる経験は大抵の人が一度はしているし、死について考える場面は誰にでもあるはず。
それに生と死はセットなのだから、少なくとも生きていた人へ敬意を払ったものでなければ教育としては不十分に感じる。