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ピューリッツァー賞を受賞した10枚の報道写真とその背後にあるストーリー

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 ピューリッツァー賞は、新聞等の印刷報道、文学、作曲に与えられる米国で最も権威ある賞である。この賞は、ハンガリー系アメリカ人ジャーナリストおよび新聞経営者ジョセフ・ピュリッツァーの遺志に基づき、1917年に創設された。

 ここではかつて、ジャーナリズム部門で受賞した印象的な10の報道写真とその背景にあるストーリーを見ていくことにしよう。

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 賞の審査基準は、「卓越した」ものであること。ジャーナリズム部門の場合、「アメリカの新聞」に乗ることが条件となっている。

10.ベトコンを引きずるアメリカ軍 (邦題「泥まみれの死」)

沢田教一/1966年8月19日

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 ロン・タンの戦いの余波を受けた南ベトナムで撮影された写真。オーストラリア軍に夜襲をかけたベトコンが撃退された時のもので、写真内で引きずられている兵士はその犠牲者の一人。この写真が伝えるのは、あまりに長い期間を交戦地帯で過ごした人々の大部分にみられる、残虐行為に対する冷淡さだ。この写真の公開は、主戦論者が多かった欧米の感情と意欲を吹き飛ばす、意義深いものだった。

9.孤独な2人

ポール・ヴァシス/1962年

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 ジョン・F・ケネディ大統領とドワイト・D・アイゼンハワー前大統領が冬のキャンプ・デービット内を並んで散策している。ケネディはピッグス湾事件での不手際についてアイゼンハワーの考えを訊ねた。撮影したヴァシスによると、その質問の直前まで2人は胸を張り、毅然とした様子だったという。写真の中の彼等は共にうつむき加減で活気も無く、悩んでいるように見える。

8.ジョニー・ブライトのハプニング

ドン・アルタグ、ジョン・ロビンソン /1951

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 ある大学のフットボールチーム、”ドレイク・ブルドッグス”の選手に対し、相手チームがわざと酷い攻撃を仕掛けている様子を撮ったもの。攻撃を受けていたジョニー・ブライト選手はアフリカ系アメリカ人で、その写真は6枚ある。

 審判が数度の暴力的タックル(最終的にジョニーは顎を折られた)を、ゲームのほんの一場面にすぎないと解釈する方針をとったが、これらの写真はそれが間違っていることを証明した。その連続した6枚の写真には相手チームの選手が故意に彼を痛めつけている様子が写っていた。その動機は明らかで、うんざりするほど不愉快なものだったが、実に悪質なのはライバル校だったオクラホマのA&M大学からの反応が無かったことだ。そして6枚の写真がこの事件への全国的な注目を集めたにもかかわらず、問題になった選手は決して罰を受けることも無かった。

7.凄惨なハリウッド・ドラマ

アンソニー・ロバーツ/1973年

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 ロバーツがその悲鳴を耳にした時、彼は昼下がりのハリウッドの駐車場を歩いていた。そして彼は女性の上に馬乗りになり、殴打して服従させようとする男を見つけた。ロバーツはカメラ以外の武器を持たなかったため、その男に”たった今この様子をカメラに収めたぞ!”と怒鳴った。

 しかしその男は”知るか!”と叫び返し、途方に暮れたロバーツが見守る中、彼女を殴り続けた。ついにこの騒ぎに警備員が到着し、暴行を止めるよう命じたものの、男は”殺される!助けて!”と悲鳴を上げて叫ぶ彼女を組み伏せ、放そうとはしなかった。そのため車のルーフ越しに拳銃で狙いを定めた警備員は、男の頭に発砲して撃ち殺した。ロバーツの最後の写真は、その引き金が引かれる直前の様子を捉えてたものだ。

6.孤立したユダヤ人女性

オデッド・バリルティ/2006年2月1日

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 この写真はイスラエルのヨルダン川西岸地区、アモーナで撮影されたものだ。イスラエル政府はアモーナが違法な移住者のキャンプであると判断し、イスラエル国民であろうとなかろうと、彼らをその住処から強制的に立ち退きをさせるよう警官10,000名に指示した

 それに怒ったある一人の女性が立ち上がり、暴動鎮圧用の装備に身を包んだ警官に反抗した。写真では警官達が彼女の背後にある住居を取り壊すため、彼女を排除しようとしている。この後結局彼女は逆方向に押しのけられ、通過する彼らに踏みつぶされそうになった。バリルティの話では、この女性はさらにその警官隊を追いかけ、ヘブライ語で悪態をつきつつ、彼らの中の数人としばらく取っ組み合いをしたという。

5.ジェームス・メレディス銃撃事件

ジャック・ソーネル/1966年6月6日

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 公民権運動で有名だったジェームス・メレディスの背後に散弾銃の弾が降り注いだ時、彼はテネシー州メンフィス市からミシシッピ州ジャクソン市に向かってデモ行進を誘導している途中だった。狙撃者はオーブリー・ノーベルという男で、”ただ奴を仕留めたいだけだ!”と叫んでいたという。驚くべきことに、その時発射された63発の鉛玉はメレディスの頭部から臀部にまで傷を負わせたものの、命に関わるような内臓や脊髄に当たったものは一つもなかった。

 写真のメレディスは、もがき苦しみつつ道に横たわっている。そして”私を助ける人は誰もいないのか?”と叫んだ。手を差し伸べた者は誰も居なかったが、写真家のソーネルは救急車が向かっているので安静にするようメレディスに叫んだ。メレディスが病院に運ばれた後、銃弾は抽出されて2日後には回復し、ジャクソン市まで行進し終えた。ノーベルは有罪を申告し、もっと大型で殺傷力のある散弾銃を使用しなかったことを悔やみつつ、監獄で刑期を過ごした。

4.サイゴンでの処刑

エディー・アダムス/1968年

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 これは今までで最も評判が悪い写真の一つと言われている。エディー・アダムスはのちに、当日その場に居たことを後悔することになった。なぜならこの写真が銃を持った男と、彼の家族の人生を破壊することになったからだ。その男の名はグエン・ゴク・ロアンといい、南ベトナム陸軍の少将で警察庁長官だった。

 この写真を見ても分からないのは、ロアンがその罪人を処刑している理由だ。撃たれた男は地元のベトコン士官、グェン・ヴァン・レムだといわれている。レムは、サイゴンの地元警察官を皆殺ししようと企む殺し屋集団を統括していた。彼は、走行中の車から、もしくはすれ違いさまに大勢の警官が射殺される事件の首謀者だった。そして万が一警官殺しが実行できない場合、レムは代わりに彼らの家族を標的にして殺害した。

 そしてついにレムが捕まえられてロアンの前に運ばれた時、ロアンは静かに銃を抜き、レムのこめかみを撃ち、即座に銃殺した。この時点で、アダムスは自分が何を撮影することになるのか全く想像ができなかった。しかしその後これは主戦論派のアメリカ人全員の感情をつき崩す写真だ、と主張した。

3.デトロイトの労働争議

ミルトン・ブルックス/1941年

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 1941年、デトロイトにあるフォードの自動車工場の労働者がストライキを敢行した。彼等はより高い賃金を要求していたが、工場側は拒否していた。会社側は同胞のストライキ集団を解散させる為の”スト破り”集団で対抗したが、その勢いを抑制することはできなかった。スト破り側の男は、身を守ろうと、自分のコートで顔を保護している。

 この写真を撮影したミルトン・ブルックスは、すぐにカメラを隠して逃げた。ミルトンの話では、ストライキ集団はその後もその男を殴り続け、脇に押しのけて、ストライキを続けたという。

2.汚れた星条旗

スタンリー・フォーマン/1976年4月5日

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 1965年、米マサチューセッツ州のボストンで、バス通学時の人種差別廃止が命じられた。ところが1974年、これを不服とする運動が深刻な問題となった。スタンリー・フォーマンが1976年に撮った一枚の写真には、この問題が最終的に行き着く先が表れている。それは黒人弁護士であり、公民権運動を行っていた活動家、セオドア・ランズマークが、アメリカ国旗を槍のように構えた白人のティーンエイジャー、ジョセフ・レイクスに襲われているシーンだった。

1.命を繋いだキス

ロッコ・モラビト/1967年

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via:10 Pulitzer Prize-Winning Photos And Their Stories

原文翻訳:R

 この写真に登場しているのは電信柱にいる2人の電力架線工、ランダル・チャンピオンとJ.D.トンプソンだ。彼等がいつものメンテナンス作業をこなしていた時、柱の頂上に登っていたチャンピオンが一本の高圧電線に接触してしまった。それは通電している電線が発する”うなり音”が耳に入るような状況下での出来事だった。チャンピオンの身体を通った4000V超の高電圧は、彼の心臓を一瞬で止めた(電気椅子に使用される電圧はおよそ2000V)。

 幸いなことに彼の命綱は落下を食い止めた。そして感電した彼のすぐ下を登っていたトンプソンは、素早くそこにたどり着き、口移しの人工呼吸を始めた。トンプソンはその状況下でCPR(心肺蘇生法)を行うことはできなかったが、チャンピオンの脈の振れを感じるまで肺に息を吹き込み続け、意識を失った彼の命綱を外すと、彼を自分の肩に担ぐようにして一緒に降りた。トンプソンと他の作業者達は地上でCPRを行い、チャンピオンは救急救命士が着くまでになんとか蘇生し、最終的には完全に回復した。

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この記事へのコメント、41件

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  1. やっぱ色々とドラマあるんだなあ
    崩れ落ちる兵士とかハゲワシと少女のエピソードとかは知ってたけど…

  2. 義憤を感じたり、おぅやっちまえやっちまえと熱くなったり。
    俺と価値観が正反対な奴も同様にそう思うんだろうかねw

  3. ろくでもない状況の写真ばっかりかと思ったけど最後の写真で希望が見えたわ

  4. 写真って怖いな。
    絵だけの印象と、背景にある真実が乖離していることが多い。
    写真が言わんとしてることを読み違えると大変なことになるね。
    ・・・最後の写真とかな。

  5. 浅沼稲次郎暗殺事件が好きだな
    本当に決定的瞬間を切り取ったって感じがする

    1. ※11
      それも本当かわからんよ、死人に口なしとはよく言ったものだ。

  6. 「ジョニー・ブライトのハプニング」が凄くもやもやした……
    その試合の当事者たちはいま何を思っているのだろう

  7. 生々しく不快な現実を捉えた場面だから
    人の心に残るんだろう

  8. サイゴンでの処刑は映像も残っていて、子供の頃に見た記憶がある。
    射殺されたベトコンの頭から噴水のように血が吹き出していた。
    学校では警察官が悪い奴だと教わったが、警察官は親友家族をこの男に殺されてたんだっけ。

  9. すさまじい事情が多くて日本でノホホンと暮らしてる自分には何もいえない

  10. ベトナムの処刑の写真だけど、動画もあったよね。写真と動画同時に撮ってたのか、動画のフィルム一コマを写真として発表したのか・・・?

  11. 撮った人間と対象、それだけではなく掲載したメディアにも多くの責任や賞賛があるようにも思う。

  12. サイゴンのは、左に映ってるベトナム軍少佐を映さず、アメリカ軍が映ってるところとセットにしたり、左翼の印象操作捏造がいっぱい出てたな。
    プロパガンダなんかバレたら一片の信用も無くなるのにそれでもひっかかる馬鹿を騙し続けて約7パーセントの左翼(馬鹿)が形成されるw

  13. 4で即時射殺された男はテト攻勢でサイゴン市内にゲリラ強襲かけたベトコンの将校だったようね

  14. 写真は真を写すと書くが、真実なんてもんは見る奴によっててんでバラバラだ。
    有りのままを写し取る機械なのにかえって混乱と誤解を招く倒錯的な道具である

  15. ところがどっこい
    切り開かれた三和シャッターが旗の如くはためく時代でもある。
    確かにそれすらも混乱の文化には違いないなのだが
    はためいてしまったものは仕方がないじゃないか
    それが負けることが許されないZ旗の宿命なのだから

  16. いくら写真でも、深い真の事実は伝わらない。
    人間は 目を奪われる動物。
    思いやりで満たされる地球に成ります様に・・・・・

  17. もだえ苦しむのは見るのも体験するのも耐え難いものがあるな
    充実した平和な日々が訪れますよーに

  18. ベトコン処刑の写真はこれまで何回も見てきたけど、
    正確な背景を知ったのは今回が初めてだ・・・
    真実とは、教育とはなんだろう、って改めて考えさせられたわ

  19. 人が人を救おうとするの普通の事だけど・・・感極まるね。
    サイゴンでの処刑、聞いてみないと解らないものなんだ・・・

  20. 7の警備員はよく当てたな
    10の写真はARMYのYが左右反転してるので
    アメリカ軍ではないという反論があったのを覚えている

    1. ※35と感想がかぶるが
      サイゴンでの処刑、今まで幾度となく見てきたけど警察のほうが悪い奴だと思ってたわ。
      無知って恐ろしい……。
      この警官の人生はこの写真のせいで破壊されたと記事には書いてあるが、きっと自分みたいに写真から受けた印象だけで批判したやつらが大勢いたんだろうなあ。
      自分を正義だと信じ、悪を糾弾しているんだと信じて。

  21. グエン・ゴク・ロアン少将がかわいそうすぎる
    ほんと愚民は勝手だ

    1. ※36
      この写真がきっかけの一つになって、それまで戦略的に押してたアメリカがベトナムから撤退→南ベトナム政府崩壊→ポルポト台頭→超大量虐殺
      って流れになったんだよね(ザックリだけど)
      この経験を踏まえて米軍はマスコミの戦場取材を管理するようになったし、
      業界も一般人もメディアが人々に与える影響を論議してきた
      今の日本のTVメディアなんかはなんも考えずに片一方を悪者にしたような印象の報道だらけだけどね…

  22. ピュリッツァー賞の写真は幾つか見ましたが、アダムズのように「フライデー」的な内容のがありますね。
    日本なら「豊田商事会社社長殺人事件」みたいなのを、リアルタイムで撮影した感じかな。
    最近、事件や事故を目撃したら、通報よりスマホ撮りとゆうのを耳にしました。ピュリッツァー賞顔負けの写真を、シロウトが撮ることが増えるかもしれません。

  23. グエン・ゴク・ロアンは写真を撮られたあと、戦闘で右足を失って、アメリカに亡命してピザ屋を始めたけど、写真の件で廃業を余儀なくされたらしいな…。
    写真撮ったエディ・アダムスは本人と家族に謝罪したらしいが。

  24. 鳥と少女は?
    とても悲しいけど一生忘れないられない写真

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