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ノートルダム大聖堂の地下で発見された鉛の棺の謎がついに解明か?

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2019年の火災後のノートルダム大聖堂の発掘調査中に発見された人型の鉛の棺この画像を大きなサイズで見る
 image credit: Denis Gliksman / INRAP

 2019年の火災により修復作業が続けられていたノートルダム大聖堂の身廊の下から、謎の棺が発掘されたのは2022年初頭のことだ。

 鉛は湿気を防ぎ、腐敗を遅らせる金属で、かつて身分の高い者の棺の材料として使われていた。英国、エリザベス2世の棺の裏打ちにも鉛が使用されている。

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 この鉛の棺の主はいったい誰なのか、その謎がついに判明したという。

 「騎士」と名づけられたこの遺体は、16世紀、フランス、ルネッサンス期の詩人、ジョアシャン・デュ・ベレーであるというのだ。

遺体の特徴から棺の中の人物像を推理

 2022年の発掘調査中に見つかった鉛の棺は、大司教アントワーヌ・ド・ラ・ポルトの棺近くの石棺に封印されていたという。

 フランス、トゥールーズ大学病院法医学研究所の分析によると、鉛の棺の主には、骨結核、慢性髄膜炎の痕跡が見られ、「騎士」というニックネームの由来となった、頻繁に馬に乗っていた者特有の骨格の傾向が見られたという。

 トゥールーズ第3大学の生物人類学教授、エリック・クルベジ博士は語る。

これらの特徴は、ジョアシャン・デュ・ベレーの人物像にすべて合致しています

彼は乗馬に長けていた人物で、自身の詩の中でも何度か自らの持病についてふれています

結核による慢性髄膜炎で歯が抜け落ちたりと、最期はかなり壮絶な状態だったようです

頭蓋骨や胸部を切開した形跡が見られ、防腐処理をされていました

つまり彼が貴族だったことがわかります。家族にも王室や教皇の側近だった者がいました(エリック・クルベジ博士)

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ノートルダム大聖堂の地下から見つかった遺骨の調査をするトゥールーズ大学の研究者たち image credit: Denis Gliksman / INRAP

詩人、ジョアシャン・デュ・ベレーの生涯と埋葬

ジョアシャン・デュ・ベレーは、1522年にフランス西部のアンジューで生まれ、のちにパリとローマに住み、ルネサンス期に独創的な作品を生み出した。

 その作品は古代ギリシャやローマの質や表現力に匹敵するとされる。晩年は長らく病に苦しみ、1560年、37歳で亡くなった。

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ジョアシャン・デュ・ベレーの肖像画  public domain/wikimedia

 死後は、親戚の聖職者ジャン・デュ・ベレーと共にノートルダム大聖堂に埋葬されたと考えられていた。

 だが、ジャンの遺体は礼拝堂の地下で見つかったが、何年探してもジョアシャンは見つからなかった。

  ところが、2019年4月15日夜の火災後、ノートルダム大聖堂の身廊と翼廊が交差する、いわゆる十字架の腕を形成する部分の地下から100以上の墓が発見された。

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ノートルダム大聖堂から発見された墓の一部 image credit: Denis Gliksman / INRAP

ジョアシャン・デュ・ベレーとは断定できないという声も

 しかし、この鉛の棺の主が確実にジョアシャン・デュ・ベレーだと決まったわけではない。

 フランス国立予防考古学研究所(INRAP)のクリストファー・ベスニエ氏によると、同位体分析の結果は、この男性はアンジューではなく、パリかリヨンで育ったことを示しているという。

 同位体、つまり原子核の陽子の数(原子番号)が同じでも中性子の数が異なるさまざまな元素は、食事や飲料水を通じて消費され、その後人間の骨や歯に取り込まれる。

 これの割合を調べると、その人物がおもにどこの食べ物や水を摂取したかがわかる。

 ジョアシャンはアンジューで生まれているが、パリで過ごした時間のほうが長いとクルベジ博士は反論している。

 遺体の身元を特定するのにこれ以上、現代の私たちができることはあるだろうか? 

 ジョアシャンの歯ブラシを見つけて、DNAが一致しているか確認する? 彼の死亡時の年齢と病理学的な特徴だけでも十分に本人だと確信できるのではないか。

 ちなみにノートルダム大聖堂は修復作業が完了し、2024年12月8日から再び一般公開される予定だ。

References: Archaeologists Say They've Solved the Mystery of a Lead Coffin Discovered Beneath Notre-Dame | Smithsonian / Mysterious 'horseman' from lead coffin unearthed in Notre Dame Cathedral finally identified | Live Science

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この記事へのコメント 4件

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  1. キリスト教徒でもなければ実物の大聖堂を見たことすらないけど、あの焼け落ちていく映像はショックだった
    こういう発見があったならせめてもの怪我の功名というべきか

  2. 石板に名前を残していれば容易に確認できるけど
    普通はそういう記載しないからな
    本当のことわかるのは後数百年以上かかるのかな

  3. 子孫がいれば、血縁かどうかくらいはDNA鑑定できそうだがさて・・・?

  4. (名前忘れたけど)何百年行方不明だった王様を男系が途絶えてるからと
    女系のミトコンドリアDNAで同定した話を聞いたことがあるので
    うまいことなんか行くといいけど火災被害受けてるとしたら駄目だしなぁ

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