攻撃

インターネットを閲覧していると、時に、深刻な、ある記事を書いた人物にダメージを与えたいという欲求が生じる。名無しでの煽りを止められず、毎夜繰り返していた自分のような人間にとっては、承認欲求などという最近良く耳にするバズワードよりよほど大きな問題です。そのような欲求をぐぬぬと抑えつける術を身につけるのも良いですが、どうせ欲求が生じたなら効率よく満たしていきたいということで色々考えてみたい。

まず、攻撃の対象として挙げられるのは、記事そのもの。その記事が特定の人格に結び付けられるものであれば、人格をターゲットにすることも可能。その人が記事を書くに至った動機、もしくは意図、記事から生じた影響なども利用できる。またはそれらを組み合わせる。図示するとこうなる。

C. 人格(主)
↓
B. 意図・目的
↓
A. 記事(嘘・人格と異なる/ 間違い・事実と異なる) ------→ D. 影響(世界)
================== インターネットの壁 ==================
↑
| (何とかしてやろうという気持ち)
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A. 記事そのもの

記事そのものを対象とした攻撃ではそれほどのダメージは望めない。事実の誤認、論理の不備、あからさまな詭弁、極端な所では誤字、を指摘しても、せいぜいブログ主、twitter主、等(以下、主)の知性に疑問符を付けられる程度のもの。もちろんアタマが悪いのを指摘されるのは大変な屈辱ですが、能力不足は恥ずべきことではないし、主だって毎度全力で記事を書いているわけではないから間違いも見逃します。

B. 意図、もしくは意図と記事内容

ある記事からはそれを書くに至った動機・意図が推測できる。推測を元に攻撃することができます。特に、記事の内容自体と意図の間に乖離が存在すると疑われる場合。

私がtwitterは優れているな、と思うのは、"つぶやき"(日本語名称ですが)というネーミングと、文字数制限によって内容と意図の分離をしにくくしている点。つまり、思ったから呟いただけ。特に意図はない。ブログの場合は違います。ブログの場合は書いただけで承認欲求の存在を疑われ、弱点になる。言っておきますが私はこれを呟きとしてtwitterに書いてもよかったし、実際に職場で口に出して呟くことすら可能だったのですが、長いからここに日記として呟いているだけで、承認欲求などかけらも持ち合わせていません。

C. 人格、または人格と意図、記事の複合

その記事がブログや日記の一部であれば、我々は背後に一貫した人格の存在を想定でき、それはより大きな攻撃目標になり得る。

どこを目標にする場合でも同じですが、常に大きな弱点になりうるのは一貫性の欠如です。一般的でない道徳の基準を持ち合わせている人、邪悪な人が居たとして、彼に対してその邪悪さを指摘してもなんのダメージもない。しかし、彼の邪悪さの一貫性を揺るがすような出来事、子猫、子犬関連の何か、などを提示して邪悪さに対して異議を唱えればどうでしょうか。一貫性が欠如しているのはなにか知られたくない事実があるからで、彼は本来の優しい人間像を垣間見せてくれるかもしれません。

また、人格を想定せずとも、記事単体から推測される意図と、記事の連続から推測される意図の矛盾をつくことでダメージを与えることが出来るかもしれません。あらゆる記事は全て主に結び付けられて主の人間像に影響をあたえるのだから、隠された意図を指摘するのも簡単。なんだって可能です。そう。

D. 影響

その記事を読んだのが自分一人でない場合、その記事が世界に影響を与えた場合、それを非難することが出来ます。「影響力を考えろ!」。

「影響力を考えろ!」はそれほど筋の良い攻撃とされていませんが、推測される"意図"と実際に現れた"影響"が異なる場合はそれを指摘することが出来る。「私は意見を書いただけです」 > 「しかし、心に外傷を負った人がいます」 > 「わかりました。止めましょう」、となればダメージは与えられませんでしたが、彼の行動を止めることが出来ました。どうせ同じ事をする人がたくさんいるので意味がある行為とは言い難いですが、一時的には気分がすっきりするはずです。

今後

主としては2つの態度を取りうる。

  • 意図の通りの影響を発生させるためであれば、正確に心情を表現しないこともある
  • 記事に意図などなく、正確に心情を表現することに心を砕いた

これによって弱点が変わるので見極めていく必要がある。