スナップショットについて

映画にも小説にも、モノローグというものがあるが、あれは人の内面を正確に描いてないのではないか? 内容ではなく、形式が。だからといって、どう表現すれば正確なのかはよくわからない。言葉で考えているわけではないが、ドラマにおけるモノローグのように文章で考えをまとめることもある。

他人と話しているときに、事前に頭の中で発話してから改めて口にし直すということはしないので、考え > 文章にするステップとしては人と話すときでも、モノローグになるときでも同じようだ。他人に話すように、自分自身に向けて文章にする癖がある人は、ドラマのモノローグもそのようなものとして解釈できるのかもしれない。

ここに至るようなことを数十分は考えているが、対話ではないので文章がぐるぐる回るだけで広がりに乏しい。それでもいくらか、他にも考えたことはあるが、一応の筋道をつけて、関連する考えとして記述する手間が面倒という壁に突き当たっている。モノローグ的に浮かんだ文章が考えが簡略化、直列化されたスナップショットだとして、それを読んだ人が、そこから元の考えを再現する過程自体が面白い、ということがあり得るのではないか? (しかし、実際にそういう意味で面白さをもとめて文章を読むことはない) とか。

読む人にわかりやすく書くという手順は面倒なので省略して、後に自分が考えを再現できるように記述する、というのも、日常生活における写真と同じ程度の意味はあるのではないか? しかし、日常生活における自分の写真を撮り続けるという行為は一般的ではないし、自分もしていない。