モナスターボイスのケルト十字架(アイルランド)

モナスターボイスのケルト十字架

モナスターボイスのケルト十字架

モナスターボイスの名物は円塔(ラウンドタワー)だけでなく、ケルト十字架も見所となっています。
ケルト十字架とは十字の交叉部に円環を結合した、石の十字架です。
その特徴は過剰とも言える飾り気です。
そこには聖書の場面や教訓的な絵が彫られています。それらを説教の教材の役割としたわけです。
野外の民衆教化所であり、墓標ではありませんでした。
ただ、人物や動植物などのほか、渦巻きや組紐などの抽象的な図柄も組み込まれています。
これは持ち運びのきく聖行列用の木製十字架からの影響だといわれています。

(アイルランド歴史紀行を参考にしました)

 

モナスターボイスのラウンドタワー(円塔) アイルランド

モナスターボイスのラウンドタワー

モナスターボイスのラウンドタワー

アイルランドのモナスターボイスに到着しました。

まず画像の、円塔(ラウンドタワー)です。

これはアイルランド独特の建造物ですが、この塔体が残っているのは全島で65だけ(跡が残っているのは25)です。

これは何のためにつくられたかというと、説としては

・鐘楼

・外敵の掠奪的攻撃を受けた際の、聖職者の避難の場や聖器、財宝を移す場

・物見櫓

・信号塔

とありますが

鐘楼としては高すぎて、

防御および避難用としては高さも広さも足りない、ような感じです。

ただヴァイキングの攻撃はヒット・アンド・ラン的の短いものだったため、これで足りたのかもしれません。

 

(アイルランド歴史紀行 高橋哲雄 著 から引用しました)

 

ルーマニアとブルガリア、シェンゲン協定に完全加盟

シェンゲン協定加盟国

【ロンドン時事】欧州連合(EU)は12日、東欧のブルガリアとルーマニアについて、欧州の加盟国内の自由移動を認める「シェンゲン協定」への完全加盟を承認した。

 3月末に国境検査が廃止された空路と海路に加え、来年1月1日からは陸路でも自由移動が可能となる。

 フォンデアライエン欧州委員長は声明で「きょうは全てのブルガリア人、ルーマニア人、そしてEU全体にとって喜ばしい日だ。われわれは共に、一段と強固に結び付いたEUの恩恵を享受することになる」と述べた。 

世界が内向きになっている中、これは流れにある意味逆行していますね。
EU内の移民や、EU外からの難民の流れが、この加盟でどうなるのか気になります。

 

パリオリンピック閉会式にフェニックス登場!

パリオリンピック閉会式でのフェニックス

今日は朝四時過ぎに起きて、パリオリンピック閉会式を観る。

一番驚いたのは、フェニックス(Phoenix)の登場

Love like a sunsetのイントロが聞こえてきて、ひょっとしたら、と思ったら、彼らが登場してくれました。

まず最初は「リストマニア」から

そしていつも通りの白い衣装のエール(Air)との共演も含め、最後は期待通り「1901」を演奏してくれました。

ファンとしては感動しました。早起きしたかいがありましたね。

フランスのバンド、また曲で、世界的に有名なのは今や珍しいです。

フランスはヴェルサイユ出身で、英語で歌うフェニックスが、まだ対外受け(特にアメリカ)しそうな感じです。

この閉会式の中でも、いまだに「オ・シャンゼリゼ」がフランスの象徴的に演奏されていたことが象徴的です。

ダフトパンクも出演するという噂もあったそうですが、すでに解散しているということで、その話は無くなったようです。

この点は残念ですが。仕方ありません。

とにかく、これを機にフェニックスが世界的に再ブレークしてほしいものです。

 

エッフェルに向かってパリ左岸を走る(パリオリンピック男子マラソン)

パリオリンピックマラソンコース沿いの名所

パリオリンピックマラソン

パリ市庁舎からスタート

ヴァンドーム広場を貫き

ルーヴルのピラミッドをかすめ

ラーディオフランスに見送られながら

パリ右岸を滑走する

一旦パリを離れ

一度だけセーヌを横切り

あっさりとヴェルサイユで折り返す

坂を上り下り

イッシー・レ・ムリノからパリ左岸を行き

パリ入城

アンドレ・シトロエン公園を横目に走ると

目の前にはエッフェルがそびえる

ゴールにはアンヴァリッドの威容がデンと構える

日本の赤崎選手は楽しく六位入賞

おめでとう!

 

大聖堂・製鉄・水車 中世ヨーロッパのテクノロジー

大聖堂・製鉄・水車 中世ヨーロッパのテクノロジー 表紙

大聖堂・製鉄・水車

中世ヨーロッパのテクノロジー

ジョゼフ・ギース/フランシス・ギース 著

栗原泉 訳

講談社学術文庫

2012年12月10日 第1刷発行

 

第一章 バベルの塔・ノアの箱舟 キリスト教とテクノロジー

 

第二章 古代のテクノロジー 功績と限界

ヘレニズム時代の占星術の関心から、アレクサンドリアで「アストロラーベ(天体観測儀)」が生まれた。発明者は知られていない。

これは「世界で最初の科学機器」である。

アストロラーベ(星の皿)の原形は、天体図を描いた木製の円盤で、外縁に360度の目盛りが刻んであった。

 

ローマ人は工学技術に優れ、他から借り入れる才にも長けていたものの、動力利用の面で二つの重大な失敗を犯したために技術的な弱点を抱えていた。

その第一は馬のハーネスだった。馬の力をわずかしか引き出せなかった。

第二の失敗は水車の利用にあった。ローマ人は水車という実に貴重な発明をまったく利用しなかったとまではいえないが、その大きな可能性に気付かなかった。

この二つの技術的弱点に加えて、ローマ人に欠けていたものは、理論科学と経済学であった。

ギリシャ人が行動より知識を優先させたのに対し、ローマ人はその逆だった。知識を得ることより行動を優先した。

経済については、ローマ帝国は政治、軍事の点で立派に機能しているかに見えたが、実は恒常的に貧しく停滞した農民経済を抱えていた。

農園の経営は奴隷たちの労働に支えられていた。

大地主は技術開発によって労働コストを削減する気は毛頭なかったし、奴隷たちは顧客になりえなかった。

 

第三章 それほど暗くはなかった暗黒時代 西暦500~900年

「ローマの滅亡」では、実際に何が滅びたのか。テクノロジーに関していえば、ほとんど何も滅びていない

 

六世紀 「蛮族」の世紀

七世紀 イスラムの世紀

八世紀 カロリング朝の世紀

九世紀 ヴァイキングの世紀

 

中世の船頭も竿をさして川を下り、目的地に着くと船を材木として売り払い、歩いて帰った。

 

第四章 アジアとのつながり

古代から中世にかけて、技術が伝わる方向はほぼ常に東洋から西洋だった。

ヨーロッパにはアジアに伝えるべきものが何もなく、一方でアジア、とりわけ中国は西洋につたえる技術をたくさん持っていた。

 

中世の特徴といえば、ヨーロッパ、アフリカ、アジアで科学技術が広範に伝播したことだが、これに特異な役割を担ったのはアラブ人である。

香料や絹だけでなくアジアの発見や発明も西洋に伝えたアラブ人は、ヨーロッパがギリシャの知の遺産をついに取り戻す手助けもした。

 

第五章 商業革命の技術 西暦900~1200年

西洋で初めて公開羅針儀に言及したのは、12世紀英国の学者アレクサンダー・ネッカムである。

著書『事物の本性について』の中で次のように言っている。

「船乗りたちは・・・曇天で太陽の光の恵みにあずかれないとき、あるいは夜の暗闇に包まれて・・・航路がわからない時は針のついた磁石に触れる。すると磁石が回転し、回転運動が止まると磁針の先は北を指している」

これをネッカムはおそらくパリで1190年頃書いた。

羅針儀の船上での使用は、当時はまだ決して一般的ではなかった。

 

フランシス・ベーコンの錬金術についてのたとえ話

「ある男がブドウ畑に黄金を埋めておいたと、息子たちに言い残して逝く。息子たちは畑を掘り返すが、黄金は見つからない。だが畑土を掘り返したことで上々の収穫を得ることができた。錬金術についていえば、黄金を作るための努力をとおして、多くの有益な発明や啓発的な実験がなされたのだ」

(それだと、畑はむちゃくちゃになるだけだと思いますが・(笑))

 

十二世紀末の西ヨーロッパはその姿にも大きな変化が起きていた。

城や大聖堂が登場し、土地の開墾や沼地の干拓が進み、水車や風車が回り、病院や大学が姿を現した。

 

第六章 中世盛期 西暦1200~1400年

 

第七章 レオナルドとコロンブス 中世の終わり

レオナルドがあちらこちらに描いた走り書きの寄せ集めを「手稿集」と呼ぶが、その歴史的価値は、作者の技術への貢献というよりも、作者が生きた時代の空気を他の誰にもできないような方法で描いた点にある。

 

発明だけでなく、ルネサンスの華であった文学や美術もまた、中世に深く根をおろしている。

ジョット、ダンテ、ペトラルカ、ボッカチオ、チョーサーはみな1400年以前に生きた。

そしてジョットを除く四人はみなプロヴァンスの吟遊詩人や滑稽譚作者たちの影響を受けている。

 

中世に芽生え、15世紀に花開いた技術システム

・大洋航海術

・活版印刷

・火薬の改良による有効な火器

 

香辛料貿易の謎を解く二つのカギ

・腐りにくくて高い値がついた

・香辛料と呼ばれたのは、鍋の中に放り込まれたのはほんの一部。風味付け、香水、染料、医薬品などさまざまな用途があった。

 

ラウンドタワー アイルランドの不思議な塔の物語

ラウンドタワー 表紙

ラウンドタワー

アイルランドの不思議な塔の物語

ヘクター・マクドネル 著

富永佐知子 訳

創元社 発行

2014年12月20日 第1版第1刷発行

 

アイルランドのラウンドタワーは、古代アイルランドの教会遺跡の中で群を抜いて大きな遺物であり、高さが30メートルを超える例もある。

ラウンドタワーは常に修道院の施設の一部として築かれた。

石とモルタルで築かれた細長い円筒形の胴部の上に、帽子にも似た円錐形の石屋根がのっている。

ラウンドタワーを指すアイルランド語はベル・タワー(鐘塔)を意味するクログ・チャハであり、複数形はクログ・チィである。

 

ラウンドタワーに関する最古の記録は、スレインのクログ・チャハ(ベル・タワー)が火災に遭ったという年代記の記述である。

 

ラウンドタワーのタワーの所在地の多くは、今でこそ辺鄙な場所だが、1000年前は一等地だった。

閑散としたモナスターボイス遺跡も、かつてはレンスターでも特に重要な修道院だった。

 

アイルランドのラウンドタワーも礼拝時間を広く知らせるための塔だった。

だからこそ、クロック(時計)はもともと「鐘」を示す言葉であり、クログ・チャハ(ベル・タワー)とも同根なのだ。

 

日時計や夜間の蝋燭などで、時間を正確に数えていた。

それを注意深くじっと見守っていたことにより、watch(じっと見守る)という言葉が、「時計」をさすものになった。

 

クログ・チャハは、修道院に近づく者を見張るための場所としてうってつけだ。

また修道院を探す人々にとっての目印にもなった。

 

モナスターボイス

ほぼ完全な状態のラウンドタワーだが、最頂部が失われている。

高さ28.5m、基底部直径5.0m

修道院は521年に死去した聖ビテ・マクブロニによって創設

ラウンドタワーは1097年に書籍や宝物もろとも焼失

墓地内に2基の非常に精緻なハイクロスがあるほか、ふたつの聖堂遺稿も残っている。

Â