美の特攻隊

てのひら小説

青春怪談ぬま少女〜13

燦々と降り注ぐ太陽、まぶしそうに目を細めたりしてみる。
朝食をすませ身支度を整えたわたしは、いつも迎えてはちょっとだけ背伸びする朝のように玄関をあとにした。
見送りのヤモリさんは口ぶりのわりには淡々とした態度で、もっともこのひとはそういう気質なのか、職業がらなんていうと生意気だけれど、多分そんな感じがしたのね、本来なら物足りなさに胸が波打ったりするんでしょうが、なぜか落ち着きを保っていた。このひとは家政婦さん、見つめ直すまでもなく几帳面なアイロン掛けみたいにわたしの意識は折り目がついた。
あらためて眺めまわしても外はまるでアメリカ映画に出てくるふうな荒涼とした景色がひろがっている。学校までの道のりは分かりやすいといえばそうなんだろうけど、どうも方向音痴だった気がして何度も地図を見返したの。ついでにうしろを振り返ったりしたのは、やっぱり心細かったのかな。ヤモリさんのすがたはもう消えていた。
道らしい道はきちんとあるからそれをたどれば間違いないだろう、この赤ペンに沿って行けばいいんだ。広大な土地なんて思いこみかも知れない。ここは閉じているはずよ、うん、この直感には信頼が寄せられる。
ところどころに緑はあるし、ひょろ長い木だってちゃんと目印になっていた。それほど殺伐とした風景ではない、だって当初は牧歌的な気分がよぎったくらいで、結局わたしのこころが渇ききっているからでしょうね。辺りに親しみが湧かないのは仕方ないとして、とにかく遅刻しないで行けるかってことに専念せねば。

で、沼が沼でなくなったと感じた時から、絵の具を溶かしたような、着色料たっぷりの飴玉を無数に敷き詰めたふうな青空がわたしを軽薄な方向へなびかせてくれたのでしょうか、さっと吹きゆく心地よい風も手伝って、胸騒ぎは静まり、まさに行軍の勢い、ひたすら早足で通学路を急いだのでした。
ええ、見えて来ましたよ、見たくないなんて言いません、これが宿命ですから幽霊の、、、はあ、どうも歯切れがあまりよくないですね。
それはさておき、校舎もわたしの家と同じくこじんまりしていた。即座に生徒数が読みとれそうな建物、昭和モダン風でけっこう古びていて、なにより陰気くさい雰囲気が全体に漂っている。
これが10年学級だと思わず口をついて出そうになったくらいで、でもよく考えてみれば、それは過去形であり、わたしはいわゆる復学になるわけですから、あんまりビクビクばかりしてられない。
背筋をのばし、くちもとを引き締め、まなじりはちょっと自信ないけど、とにかく勇み足で校門をくぐりました。
しかし緊迫の糸にまだ絡まっていたみたい、だって他の通学生徒の影をお日さまは照らしてくれてませんでしたから。そう気づいたときにはせっかく正した背筋に怖気が走りました。
ひょっとしてわたし独りだけしか通わない学校かも知れない、やはり味到の孤独から解放されることはない、なんて念いに苛まれ腹を据えていたつもりが一気に萎えてしまったのです。
凝視する気概さえなくしてしまうと、うつろな目が辺りにさまよいだし、でも両足は呪縛にとらわれてないようで勝手に校内へ進んでいったわ。さながら悪霊らに不敵な態度をしめすごとく。

さてさて、げた箱に複数の上履きを見いだしたときの安堵といったら、ここは想像してみて下さいな。
その方が如実に得るものがあるでしょう。とかいってみたところでも誰もそんなことしてくれませんが。
ではどうなのか、それがですよ、案外すんなりと了解したのであって、いら立ちと悲嘆がないまぜになった気分が当たり前みたいに氷解してゆくのでした。いわゆる独り相撲って奴だったのですね。
ここに至ってわたしは悟ったの、なんだかんだで怖くて仕方なく救いの手を差しのべてもらいたい、登校拒否したい、お家に帰って布団にもぐりこみたい、そうした弱腰を思い知った。
同時にただ端然と立ち尽くてしまっていることを、こころの片隅では否定していたのでしょう、わたしはガランとした空間に向かって大声で張り上げこう言った。
「おはようございます。志呉由玲です。11年生なんですが、これからどうすればいいのですか」
反響音、いわゆるこだまですか、はい、耳鳴りもしたし、すぐさまのどが痛くなりました。こんなに大声を出した覚えがないから。
校内で騒いではいけない、これは規則だ。ところがお祈りでもないでしょうけど、ご利益はてきめんだった。
「目のまえの上履きが見えないですか、志呉さん」
この口調、振り向くより早く、わたしは電話の先生だとすぐにわかった。ところが世のなかには、ええ、実際には大してよく見つめたわけではないですけど、こんなに予想を裏切る場面があるものなんですね。
あのいけずで高圧的な声色とはうってかわり、まあなんと優しげな微笑を満面にたたえ、しかも清楚ながら凛とした空気をなびかせているではないですか。それだけじゃない、女優の誰かさんによく似ている、名前は思い出せないけど、あのひとよ、あのひと。
「自分の名前が書いてあるでしょ、さあ履き替えて教室にいきましょう」
声色は昨日と同じだ。響きも決してやわらかではない、しかし本人をまえにするとあの声の持ち主とは到底結びつかなかった。
「はい」
わたしの返事もなんだか自分のものでなくうわついている。半信半疑な心持ちにつつまれ適当な受け止め方しかできない。
「遅刻ではないけどもうみんな教室にいるわ、あとはあなただけ」
あくまで表情に険しさを刻まず、まなざしは淡く、事務的なくちぶりだけがそつなく緊張を強いる。親しみやすいのか、取っつきにくいのか、どちらちとも言えないわ。
「すいません、時計が壊れているので」
この期に及んでまだわたしは運命の時刻を凍結させた腕時計を外していない。先生は一瞥をくれることもせず、
「一緒に行きましょう」
とだけ言って背を向けて廊下へ促した。うしろ姿まで優美で気品があって、しかも教師らしい知性が薫ってくる。
参りましたね、内心そんな印象を抱かざる得なかったのだから、つまりです、まんざらでもないということでしょう。
ハラハラドキドキ、もじもじ、どうしてわたしは幽霊になってまで小心翼々としているだろう。
先生のあとを追いながら考えこんでしまいました。で、めげたと言いたいところですけど、なかなかどうして素晴らしい矛盾を感じたのですね。
青臭くも初々しい女子高生らしさが蒼天を旋回する黒っぽい鳥のように舞い戻り、涙なく胸をつたいました。人間くさい、わたしは生きているんだと。