駒形町 (前橋市)
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駒形町 | |
---|---|
北緯36度20分32秒 東経139度8分6秒 / 北緯36.34222度 東経139.13500度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 群馬県 |
市町村 | 前橋市 |
面積 | |
• 合計 | 1.79 km2 |
人口 | |
• 合計 | 6,996人 |
• 密度 | 3,900人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
379-2122[2] |
市外局番 | 027[3] |
ナンバープレート | 前橋 |
駒形町(こまがたまち)は、群馬県前橋市の地名。郵便番号は379-2122[2]。2013年現在の面積は1.79km2[4]。
地理
[編集]前橋市の南部、桃ノ木川が合流する地点の南の広瀬川右岸に位置している。
河川
[編集]歴史
[編集]江戸時代頃から明治時代にかけては「駒形新田」という地名だった。江戸時代は前橋藩領だった。
慶安元年に隣接する東善養寺村から移住が始まり、慶安4年(承応元年)に「駒形新田」として分村された。
江戸時代には前橋から五料関所を経て本庄で中山道と合流する「江戸道」(下りは「前橋道」)の宿場だった[5]。
万延元年に大火に遭い、町内約200戸が焼失した。
正式な名称は「駒形新田」だったが、住民は駒形町や駒形宿、駒形駅などと呼んでいた。明治3年から数回にわたって駒形町への改称を申し立て、明治39年にようやく改称された[6]。
年表
[編集]- 元亀元年(1570年) - 元来「駒形野」と呼ばれる原野だったが「駒形」に地名を改めたとされる(明治10年「郡村誌」[7])
- 天正18年(1590年)から慶長年間(1596年 - 1615年) - 大胡藩主牧野氏の領内だったとされる(明治10年「郡村誌」[7])が疑わしい[8]。
- 慶安元年(1648年) - 前橋藩主酒井忠清の命で、東善養寺村から4名の者が移住したことに始まるとされる(「駒形新田由来」[9][10])。以降江戸時代を通じて前橋藩領だった[11]。
- 慶安4年(1651年) - 戸数が14軒となったため三郎右衛門を名主として正式に分村(「駒形新田由来」[9][10])。
- 宝永7年(1710年) - 小屋原村泉蔵寺持ちであった駒形明神を氏神として貰い受ける(「駒形新田由来」[9][10])。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行により、駒形新田は天川大島村、上大島村、女屋村、上長磯村、東上野村、野中村、下長磯村、小屋原村、下大島村、笂井村、上増田村、下増田村と合併し南勢多郡木瀬村が成立する。
- 明治29年(1896年)4月1日 - 南勢多郡と東群馬郡が統合し勢多郡となる。
- 明治39年(1906年) - 駒形新田から駒形と改称する[12]。
- 昭和32年(1957年)1月20日 - 勢多郡木瀬村、荒砥村が合併し城南村が成立する。その際、一部が東駒形となる。
- 昭和35年(1960年)4月1日 - 城南村の一部(駒形、東駒形)が前橋市へ編入される。そのため前橋市駒形町となる。その際、東駒形を合併する。
- 昭和55年(1980年) - 一部が山王町1-2丁目となる。
地名の由来
[編集]駒形新田の開拓以前から当地にある駒形神社に由来するという[13]。
世帯数と人口
[編集]2024(令和6年)2月29日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
駒形町 | 3,209世帯 | 6,988人 |
人物
[編集]小字
[編集]- 東高島
- 西高島
- 桃ノ井
- 上橋
- 北高砂
- 南高砂
- 三ッ俣
- 上流
- 善心塚
- 落合
- 一里塚
- 下流
- 一本松
- 東簗場
- 西簗場
- 中久保
- 清内
- 下橋
- 宮前
- 宮東
- 町尻
- 打越
- 増田境
- 東境
- 中島
- 宮子境
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[14]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
一部 | 前橋市立駒形小学校 | 前橋市立木瀬中学校 |
一部 | 前橋市立山王小学校 | 前橋市立第七中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]バス
[編集](2024/03/31 路線廃止)
道路
[編集]北関東自動車道が通っており、駒形ICがある。国道はなく、県道は群馬県道40号藤岡大胡線と群馬県道2号前橋館林線、群馬県道104号駒形柴町線が通っている。
施設
[編集]- 前橋市立駒形小学校
- 前橋駒形郵便局 - 昭和42年(1967年)8月1日に前橋町尻郵便局として開設され、平成6年(1994年)11月14日に前橋駒形郵便局に改称された[15]。明治8年(1875年)に設置された駒形郵便局は昭和46年(1971年)に下大島町(現・山王町2丁目)に移転し前橋東郵便局となった。
- 前橋東警察署駒形町交番 - 明治23年(1890年)ごろに駒形新田駐在所として設置[16]。
- 群馬銀行駒形支店 - 前身は明治32年(1899年)開業の木瀬貯蓄銀行。大正10年(1921年)に上毛実業銀行に合併し、駒形支店となったのち、合併や改称を経て群馬銀行駒形支店となった[17]。
- 駒形町会議所
- 株式会社町田酒造店 - 駒形町には他にも馬場酒造・森本酒造の酒造業者があった[18]。
- 真楽寺 - 真言宗豊山派[19]。
- 駒形神社 - 祭神は保食神 / 豊受姫神[20]。旧社格は村社[21]。源頼朝の乗ってきた馬の蹄を神体として祀ったとの伝承がある[22]。「駒形牛頭天王の獅子頭 一対」は前橋市指定重要有形民俗文化財(昭和57年4月26日指定[23])[24]。
脚注
[編集]- ^ a b “人口及び世帯数 - 町別住民基本台帳人口表”. 前橋市 (2017年9月5日). 2017年9月15日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 第2章 人口 - 前橋市 2016年04月08日閲覧。
- ^ 前橋市史編さん委員会 1975, pp. 679–683.
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, p. 638.
- ^ a b 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 927–930.
- ^ 前橋市史編さん委員会 1973, pp. 1034–1035.
- ^ a b c 前橋市史編さん委員会 1975, pp. 683–687.
- ^ a b c 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 895–897.
- ^ 前橋市史編さん委員会 1973, p. 1039.
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, p. 175.
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, p. 861.
- ^ “前橋市立小学校及び中学校の通学区域に関する規則”. 前橋市 (2017年4月24日). 2017年9月16日閲覧。
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 413–414.
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 662–666.
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 375–377.
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 351–352.
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 478–479.
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, p. 454.
- ^ 勢多郡誌編纂委員会 1958, p. 1232.
- ^ 勢多郡誌編纂委員会 1958, p. 871.
- ^ “市指定文化財一覧|前橋市”. www.city.maebashi.gunma.jp. 2024年7月30日閲覧。
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 437–438.
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 10 群馬県』角川書店、1988年7月8日。ISBN 4-04-001100-7。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 10 群馬県』角川書店、1988年7月8日。ISBN 4-04-001100-7。
- 木瀬村誌編纂委員会『木瀬村誌』1995年9月20日(原著1995年9月20日)。doi:10.24484/sitereports.101883。 NCID BN1378655X 。
- 勢多郡誌編纂委員会『勢多郡誌』勢多郡誌編纂委員会、1958年3月30日。
- 前橋市史編さん委員会『前橋市史』 2巻、前橋市、1973年8月1日。
- 前橋市史編さん委員会『前橋市史』 3巻、前橋市、1975年10月1日。