幸塚町
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幸塚町 | |
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北緯36度24分16秒 東経139度5分12秒 / 北緯36.40444度 東経139.08667度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 群馬県 |
市町村 | 前橋市 |
面積 | |
• 合計 | 0.28 km2 |
人口 | |
• 合計 | 1,456人 |
• 密度 | 5,200人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
371-0053[2] |
市外局番 | 027[3] |
ナンバープレート | 前橋 |
幸塚町(こうづかまち)は、群馬県前橋市の地名。郵便番号は371-0053[2]。2013年現在の面積は0.28km2[4]。
地理
[編集]広瀬川低地帯、桃ノ木川と赤城白川の合流点の東、桃ノ木川の左岸に位置している。
河川
[編集]- 桃ノ木川
歴史
[編集]応安6年の長楽寺文書に「大胡郷神塚村」、康暦3年に「大胡郷三俣神塚村」との記載がある。
年表
[編集]- 応安6年(1373年) - 「大胡郷神塚村」の地名が大胡秀重請文(「長楽寺文書」)に見える[5][6]。
- 天正18年(1590年)8月 - 平岩親吉が前橋城主となり、幸塚村はその領地となる。以後、江戸時代を通じて前橋藩領となる[5]。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行により、幸塚村は上泉村、江木村、堤村、亀泉村、堀之下村、石関村、東片貝村、西片貝村、上沖之郷、下沖之郷、荻窪村、三俣村と合併し南勢多郡桂萱村が成立する。
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡統合(南勢多郡と東群馬郡の統合)により、桂萱村は勢多郡に所属する。
- 昭和29年(1954年)4月1日 - 桂萱村は周辺1町5村(上川淵村、下川淵村、芳賀村、東村、元総社村、総社町)とともに前橋市へ編入され、前橋市幸塚町となる。
地名の由来
[編集]元禄の頃、神様を背負って歩いてきた人が、歩き疲れて一休みしようとしたところ、手頃な石がありそれに腰を下ろして休むことができた。その石が塚となって大いに助かったことから幸塚と言うようになった[7][8]。
昔このあたりに赤城神社があり、その拝殿の裏にご神木のモミの木が生えた塚があったことからコウヅカ(神塚)と呼んだ[9]。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)8月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
幸塚町 | 678世帯 | 1,456人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 前橋市立桃木小学校 | 前橋市立鎌倉中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]鉄道駅はない。
バス
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道路
[編集]施設
[編集]- 幸塚町公民館
出典
[編集]- ^ a b “人口及び世帯数 - 町別住民基本台帳人口表”. 前橋市 (2017年9月5日). 2017年9月15日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 第2章 人口 Archived 2016年5月13日, at the Wayback Machine. - 前橋市 2016年04月27日閲覧。
- ^ a b 桂萱地区自治会連合会 & 桂萱村誌刊行委員会 2006, pp. 94–100.
- ^ 勢多郡誌編纂委員会 1958, p. 365.
- ^ 桂萱地区自治会連合会 & 桂萱村誌刊行委員会 2006, pp. 653–654.
- ^ 勢多郡誌編纂委員会 1958, p. 859.
- ^ 桂萱地区自治会連合会 & 桂萱村誌刊行委員会 2006, pp. 654.
- ^ “前橋市立小学校及び中学校の通学区域に関する規則”. 前橋市 (2017年4月24日). 2017年9月16日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 10 群馬県』角川書店、1988年7月8日。ISBN 4-04-001100-7。
- 桂萱地区自治会連合会、桂萱村誌刊行委員会『桂萱村誌』2006年1月30日。
- 勢多郡誌編纂委員会『勢多郡誌』勢多郡誌編纂委員会、1958年3月30日。