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版画家・藤牧義夫のことなど(続)

9月3日(金)に大谷芳久氏にお会いしてから、もう4日もたつというのに、その興奮がおさまらない。

1996年年10月、その前月にすでに終了していた『近代版画にみる東京(江戸東京博物館)』展の図録をたまたま見ていて、そのなかの藤牧義夫作「赤陽」に衝撃をうけたのが、僕の藤牧との最初の出会いだった。
すぐに、その前年(1995年)に藤牧の生まれ故郷・群馬県館林市で開かれた『生誕85周年記念 藤牧義夫 その芸術の全貌』展の図録を「もう在庫は一冊もありません」と言われたのに、しつこく食い下がり、なんとか送ってもらったのだが、その70ページほどの小さな図録から、僕の藤牧研究が始まった。
藤牧のすべての作品を見ること、藤牧について書かれたすべての文章を読むこと、藤牧が見たり読んだりしただろう知りうる限りのすべての美術作品と本を見かつ読むこと、藤牧が住んだ知りうるかぎりすべての場所を訪ねること、藤牧の立った知りうるかぎりのすべての場所に立ってみること、まるで死んだ恋人をなつかしむかのように、休日ともなれば、カメラとノートをもって、美術館へ図書館へ館林へ東京のあちこちへと出かけた。

しかし、才薄くして肝心かなめなところがわかっていなかった。大谷さんが今書き継がれている文章を読んで始めて、僕の見てきたもののなかに多くの贋作が混じっていたことを知った今となっては、まあ人間だからなあ、ときには失敗作もあるわなあ、いろいろ不出来なのもできるのは仕方ないよなあ、ぐらいにしか思っていなかった自分が情けない。書かれたものをよく考えもせずに露疑わず信じ込んでしまう怠惰が情けない。
だから藤牧・行方不明イコール自殺、という誘導にやすやす引っ掛かって、藤牧の無念の死を悟ることができなかった。大谷さんは、今、藤牧の無念さを晴らしつつある。藤牧の隠蔽され、捻じ曲げられた真実を明るみに出そうとされている。藤牧の遺された作品から、藤牧の遺志をついで、その思い残した思想と作品を世に送ろうとされている。無念の思いをもって逝った者の、その遺志をついでいくこと。その思想と精神をリレーしていくこと。

こういうことを言葉をかえて、藤牧が生まれ変わって自らの真実を語り始めていると言って何のおかしなことがあるだろう。藤牧死して10数年後、彼は大谷さんとなって甦ったのだと言ってどこがおかしかろう。藤牧の生涯についておそらくは藤牧以上によく知っているなんて不思議じゃないか。お話を伺っていると、大谷さんはなんだか背の高さから顔かたちまで藤牧に似ているような気がしてきた。僕がこんなに興奮しているのは、よくよく考えれば藤牧当のその本人に会ったからなのだろう。
by espritlibre | 2004-09-07 23:31 | L藤牧義夫
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