ペク・セヒ、35歳の死
ひとりの作家の死が世界に広げた波紋
BBCは、韓国のベストセラー作家ペク・セヒが35歳の若さでこの世を去ったと、2025年10月17日に報じた。この衝撃的なニュースは、彼女の著作を愛した世界中の読者に深い悲しみをもたらした。彼女の代表作『死にたいけどトッポッキは食べたい』は、その矛盾をはらんだタイトル自体が、現代を生きる私たちの心の深淵を鋭くえぐり出すものだったからだ。成功した彼女は、SNSディレクターとして、洗練されたプロフェッショナルなペルソナを維持する一方で、深い不安と自己不信に苛まれていた。その表の顔と、著作でさらけ出された生の感情との間の緊張こそが、彼女の言葉に切実な響きを与えてきた。死を希求するほどの絶望と、日常の些細な喜びを求める食欲が同居する感覚は多くの人々の心を捉え、文化的な現象となった。その彼女の突然の死を悼む声が世界中から寄せられている。
1. 「死にたい、でもお腹はすく」
『死にたいけどトッポッキは食べたい』。この本の最大の功績は、まずそのタイトルにあると言っていい。「死にたい」という極限の絶望と、「トッポッキが食べたい」というあまりに日常的な欲求である。この二つが何のてらいもなく並べられたとき、多くの読者は「これは自分の話だ」と直感する。このタイトルは単なる巧みな逆説ではない。それは、ペク・セヒが抱えていた「気分変調症」(軽度のうつが長く続く状態)そのものの、最も的確な口語的定義なのだ。劇的で全てを焼き尽くすような絶望ではなく、日常の些細な欲望や義務感と共存し続ける、低く鳴り響く憂鬱である。人生を根底から変えようと努力しても消えないその憂鬱と、それでもふとした瞬間に湧き上がるささやかな欲望との同居ともいえる。この普遍的な感覚を率直に言語化したことで、彼女は数百万人が共有しながらも言葉にできなかった感情に、初めて声を与えたのである。
2. 不完全な人間同士の対話としての治療
この本は、精神科医との12週間にわたるカウンセリングの対話記録という、異例の形式をとっている。これにより、これまで謎に包まれがちだった精神科での治療が、決して一方的なものではなく、人間的で双方向のプロセスであることが明らかにされた。象徴的なのは、担当医の姿勢である。彼は出版前に原稿を確認することをせず、出版後に本書を読んでから「ドクターからの言葉:不完全が不完全に」という章を追記した。そこで彼は、自身のカウンセリングにおける失敗や後悔を率直に認め、治療者としての不完全さをさらけ出した。これは、治療が「完璧な専門家」が「壊れた患者」を修理する作業なのではなく、不完全な人間同士が対話し、共に悩み、より良い可能性を探る営みであることを示した。このエピソードは、治療者と患者という固定化された関係性を超えた、人間同士の対話の価値を力強く描き出すことに成功した。
3. 自費出版から世界的現象へ
彼女のこの物語は、当初、韓国でのわずか200冊の自費出版という、静かなスタートを切ったものだった。その正直な言葉は口コミで熱を帯び、やがて韓国国内で40万部を超えるベストセラーへと成長した。その過程で起きた決定的な出来事もある。BTSのリーダー・RMの愛読書として話題になったことだ。それは単なる有名人の推薦ではなかった。グローバルな文化の象徴が、数百万人の静かな内面の闘いに公的な「お墨付き」を与えた瞬間であり、若者世代がメンタルヘルスについて語ることをためらう必要がないという、強力な許可証となった。
この文化的共振は国境を越え日本語訳され、また英語訳され、最終的に本書は全世界で100万部以上を売り上げ、ついには25カ国語に翻訳された。イギリスの『サンデー・タイムス』やアメリカの『ニューヨーク・タイムス』でも取り上げられた。その事実は、彼女の個人的な記録が、いかに普遍的な対話へと昇華したかを物語っている。ペク・セヒの功績は、自身の内なる葛藤を語ることを特別な告白から日常的な営みへと変えた、この文化シフトそのものにある。
4. 痛みを認めることの強さ
世界中の読者がこの本から受け取った最も力強いメッセージの一つは、「自分のつらさを、ありのままに認めてよい」という許しだっただろう。私たちは、他人のより大きな苦しみと比較して、「これくらいで悩むなんて」と自身の痛みを些細なものだと感じてしまうことがある。しかし、本書はそうした自己抑制に対し、静かに、しかし断固としてこう語りかける。「つらい時はどうしたって自分がいちばんつらい」。まず自分の痛みを誰よりも自分が認めてあげること。そのシンプルな肯定が、他者との比較の中で自分の感情を見失いがちだった多くの読者にとって、結果的に深い救いとなった。自分の感情の主権を取り戻すこと、その強さを彼女は教えてくれた。
5. その文章は数百万の心を救った
ペク・セヒの物語は、彼女の死で終わったわけではない。彼女は脳死判定後、心臓、肺、肝臓、そして両方の腎臓を寄贈し、5人の命を救った。それは、彼女が生涯を通じて文章で実践してきたことの、痛ましいほどの結果だった。自らの最も脆い内面を差し出すことで他者の孤独を癒すという彼女の文学の核心が、最後の瞬間に、他者の生存のために自らの内なる臓器を差し出すという究極の行為と重なった。
ペク・セヒは単に一冊のベストセラーを書いたのではないのだ。彼女は、世界中の人々が自身の心の影と光について、恐れずに語り始めるための扉を開いた。その功績は計り知れない。しかし、同時に彼女の死は私たちに痛ましいパラドックスを突きつける。数百万人に生き抜くための言葉を与えたその本が、著者自身を救うことはできなかったという事実だ。彼女が遺したのは、身体部位の寄贈と、そして問いかけそのものだ。自らの闇の深淵を覗き込みながらも、なお私たちをこの世に繋ぎとめる「トッポッキ」を探し続けることの意味とは何だろうか。
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