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2025.10.10

公明党の戦略的自公決裂

公明党の戦略的自公決裂

1999年から26年間、日本の政治を支えてきた自民党と公明党の連立政権が、2025年10月10日に終焉を迎えた。この歴史的転換は、単なる党間の対立や政策の齟齬によるものではない。自民党と公明党の支持層が半減に近い規模で縮小し、特に公明党内の権力構造が硬直化することで、連立を維持する意義が失われた結果である。最終交渉での決裂は、公明党が自民党の意思決定構造の限界を承知しながら強硬姿勢を貫いた戦略的選択であり、その不安定な支持層の危機に応えたものだった。。

支持層の縮小:連立の基盤崩壊

自公連立の根底には、かつては両党の強固な支持基盤があった。しかし、2025年時点で、この基盤は大きく揺らいでいる。自民党の支持層は、農村部や業界団体、中高年層を中心に、1990年代のピーク時に比べ約30~40%減少していた(総務省の選挙データや世論調査に基づく推定)。少子高齢化や都市化、若年層の政治離れに加え、「政治とカネ」問題の頻発などから、無党派層や若年層の離反を加速させていた。これにより、自民党は公明党の組織票への依存を強めたが、支持層の縮小は党内の保守派を勢いづけ、憲法改正や反グローバリズムといった強硬な政策を優先する動きを強めた。

同様に、公明党の支持母体である創価学会の活動会員数は、公式発表の約800万人から推定400~500万人へと、ほぼ半減していた。高齢化や若年層の離脱が進行し、選挙時の「2万票/選挙区」の組織票もかつての影響力を失いつつある。支持層の間では、自民党の不祥事や保守化への不満が高まり、「自民党を応援しづらい」という声が広がった。

この支持層の縮小は、両党の選挙協力の価値を根本から揺さぶった。自民党にとって、公明党の組織票は命綱だったが、その票数が減少し、政策の足枷となる公明党の要求(憲法改正反対やリベラルな外国人政策)が耐え難いものとなった。公明党側も、支持層の不満を無視できず、連立継続がさらなる離反を招くリスクに直面した。

最終交渉の決裂:公明党の戦略的選択

表面的に連立解消の直接的な引き金となったのは、高市早苗総裁率いる自民党と、斎藤鉄夫代表率いる公明党の最終交渉の決裂である。公明党は、政治資金規正法改正案について即時賛否を求める最後通牒を突きつけ、交渉代表者2人に全権を委ねた。一方、高市総裁は、党内手続きを理由に即答を避け、来週の再協議を提案した。公明党はこれを「具体的回答ではない」として、連立離脱を一方的に通告した。

この決裂は、経緯からも明らかなように単なる交渉の失敗ではない。公明党は、自民党の意思決定が総裁単独では行えず、派閥や役員会の合意を必要とする構造を熟知していた。それにもかかわらず、全権を背景に強硬姿勢を貫いたのは、連立継続よりも決裂を意図した戦略的選択だったと推測される。公明党内の権力中枢、特に創価学会と密接な執行部は、支持層の不満に応え、党のアイデンティティ(平和主義、リベラル志向)を再強調する必要に迫られていた。全権委任は、党内異論を封じ、迅速に決裂を演出するための手段である。自民党の「政治とカネ」問題(特に高市政権の人事:萩生田光一氏の幹事長代行や木原稔氏の官房長官起用)への支持層の反発は、連立を維持するリスクを上回り、執行部に強硬な行動を促した。

公明党内権力の硬直化:支持層縮小の圧力

公明党内の権力構造が決裂を導いた背景には、支持層縮小による党内圧力の増大がある。創価学会の会員減少は、党の選挙力を弱体化させ、執行部の危機感を高めることになった。こうした支持層の不満、特に自民党の不祥事や保守化への反発は、連立継続が党の存立を危うくするとの認識を生んだ。この危機感は、執行部に強硬な姿勢を取らせ、交渉での柔軟性を失わせたのである。公明党は、支持層の信頼回復のため、憲法改正反対や政治資金規正法改正へのこだわりを強く打ち出し、党の昭和時代依頼のアイデンティティを再定義する戦略を選んだ。この硬直化した権力構造が、意図的な決裂を既定路線としたのだ。

これも同様に、自民党の支持層縮小も、党内の保守派を勢いづかせた。高市政権の保守化(憲法改正推進、反グローバリズム)は、縮小する支持層をまとめるための戦略だったが、公明党の支持層に強い反発を招いた。両党の支持層縮小は、選挙協力の実利で抑えられていたイデオロギー対立(保守vsリベラル、ナショナリズムvsグローバル主義)を増幅し、妥協の余地を奪った。

時代変化:支持層縮小を加速した背景

両党の支持層の縮小は、以下の時代変化によって加速されたが、これらは直接的原因ではなく、問題を増幅する背景である。要因としては、まず情報化社会がある。SNSやインターネットの普及により、自民党の不祥事が即座に拡散され、公明党の支持層に不信感を植え付けた。執行部は、この不満に応えるため、連立離脱を支持層への説明責任として位置づけた。人口構造の変化の要因も大きい。少子高齢化は、創価学会の高齢化を進め、活動会員の減少を加速させた。公明党の組織力低下は、連立の価値を下げ、執行部の強硬姿勢を後押しした。背景としては、グローバル化と反グローバル化、ある意味中国志向といえる傾向も見られる公明党のグローバル志向は、自民党の保守層や反グローバル化の国民感情と衝突した。支持層縮小の中で、両党はそれぞれの基盤に訴える政策を優先せざるを得なかった。

今後の政治への影響:流動する新時代へ

今回の自公連立解消は、日本政治に大きな変動をもたらすだろう。当面、自民党は公明党の組織票を失い、総選挙で40議席程度の大幅減が予想される。支持層縮小の中で、保守政策を加速させ、国民の直接的支持を獲得する必要に迫られるが、少数与党としての政権運営は不安定さを増す。公明党も、連立離脱で支持層の不満を一時的に収束させたが、組織力の低下は野党としての影響力減退を招くリスクがある。執行部の強硬策は、短期的な支持回復にはつながるが、長期的な党の存立に課題を残す。

構図は単純化し、保守vsリベラル、ナショナリズムvsグローバル主義といった新たな対立軸を生み、政治の流動性を高める。憲法改正や反グローバリズム政策が加速する可能性がある一方、野党の動向次第では自民党が過半数を失い、政権交代のシナリオの期待も高まる。

まとめ

自公連立の解消は、複合的要因に見えるが、核心は支持層の半減に近い減少が公明党内の権力構造を硬直化させ、意図的な決裂を導いた点にある。公明党は、自民党の決定権の不在を承知しながら全権委任で強硬姿勢を取り、支持層の不満に応え、党のアイデンティティを再定義する戦略を選んだ。これは、創価学会の会員減少と自民党の保守化への危機感の表れであり、連立の意義が薄れた結果である。1999年体制は強固な支持層に支えられたが、2025年の縮小した基盤では維持不可能となった。日本の政治は、支持層の再構築と新たな対立軸を通じて、予測不能な新時代へと突き進む。連立解消は、時代変化の波に乗り遅れた旧秩序の崩壊であり、新たな政治秩序の幕開けを告げるものとなる。

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