2006年 09月 03日
計画されていた9・11――主要メディアに見られる200以上もの「決定的証拠」【永久保存版】(2)
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911が米国政府中枢のからんだ空前絶後の巨大謀略であることに関しては一点の疑問の余地もないが,話が各論に入るといきなり無数の分岐を持った迷路に迷い込み何が本当か嘘か訳が分からなくなってしまうというカオス的情況がある.たとえばリチャード・コシミズ氏はWTC崩壊の原因は地下に仕掛けられた超小型水爆であると主張されている.ペンタゴンへの航空機衝突では軍用機(戦闘機・輸送機)の突入説,ミサイル説など分裂した無数の理論がある.このような混乱はもちろん策謀を行った側には非常に有利なものであることは間違いない.意図的にその種の「ネタ」をばら撒いて情報操作することすら可能であり,おそらくはそれが遂行されていることだろう.
私はこの辺りの議論に深入りするつもりはないが,今回,改めてあちこちのサイトにある写真を見比べてみると,ペンタゴンのビルに衝突したのが民間航空機であったとしても特に矛盾はないような気がしてきた.「ボーイングを捜せ」論者の主張するポイントは2つである.①飛行機の残骸が現場に見当たらない,②突入口(衝突による開口部)が小さ過ぎてボーイング機では入れそうもない.実はこの2つの論点は実際にはひとつのことを主張している.つまり,「突入口が小さいのだから,主翼部分は外壁の外側に落ちていなくてはならない」という定立である.彼らには旅客機墜落現場で必ず発見されるさまざまな部材,とくに千切れた主翼部のイメージがあり,それが消えてしまったと言っているのである.
まず,ボーイング727は墜落ではなく突入であり,しかもまるで巡航ミサイルのように超低空を飛来してほとんどランディング(着地)に近い姿勢でビルの壁面に激突していることを覚えておく必要がある→[1].衝突によって開いた開口部は航空機のノーズ(船首部)とエンジン・燃料タンクなどの硬構造の部分が通過するには十分の間口がある.主翼はぽっきりとは折れず,折れ曲がって胴体とともに建物内部に引き摺り込まれたと考えても無理はない(三角翼のように後ろに後退しているのでせん断力が効かず,蝙蝠傘を閉じたような形状になる→下図).直後に発生したジェット燃料の爆発による大火災→[2]によってほとんどの軽合金部材は溶融ないし蒸発したものと考えられる.この飛行機には64人が搭乗していたとされる.遺体の数と一致していたかどうかは不明だが(ビル内で被災した職員の数を差し引かなくてはならない),もし軍用機ないしミサイル説が正しいとすれば,この点での議論がなければおかしい.→【追記】参照.どうもペンタゴンでは遺体は発見されていないらしい.少なくとも公開されたビデオ・写真には映っていないようだ.いやはや...
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9.11テロ捏造
日本と世界を騙し続ける独裁国家アメリカ
ベンジャミン・フルフォード著(株式会社徳間書店)
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【巻末資料編2】計画されていた9・11
――主要メディアに見られる200以上もの「決定的証拠」(2)
[1]ボーイング727の位置・進入角度はビル内部の破損情況などから推定された
【続き】
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私はこの辺りの議論に深入りするつもりはないが,今回,改めてあちこちのサイトにある写真を見比べてみると,ペンタゴンのビルに衝突したのが民間航空機であったとしても特に矛盾はないような気がしてきた.「ボーイングを捜せ」論者の主張するポイントは2つである.①飛行機の残骸が現場に見当たらない,②突入口(衝突による開口部)が小さ過ぎてボーイング機では入れそうもない.実はこの2つの論点は実際にはひとつのことを主張している.つまり,「突入口が小さいのだから,主翼部分は外壁の外側に落ちていなくてはならない」という定立である.彼らには旅客機墜落現場で必ず発見されるさまざまな部材,とくに千切れた主翼部のイメージがあり,それが消えてしまったと言っているのである.
まず,ボーイング727は墜落ではなく突入であり,しかもまるで巡航ミサイルのように超低空を飛来してほとんどランディング(着地)に近い姿勢でビルの壁面に激突していることを覚えておく必要がある→[1].衝突によって開いた開口部は航空機のノーズ(船首部)とエンジン・燃料タンクなどの硬構造の部分が通過するには十分の間口がある.主翼はぽっきりとは折れず,折れ曲がって胴体とともに建物内部に引き摺り込まれたと考えても無理はない(三角翼のように後ろに後退しているのでせん断力が効かず,蝙蝠傘を閉じたような形状になる→下図).直後に発生したジェット燃料の爆発による大火災→[2]によってほとんどの軽合金部材は溶融ないし蒸発したものと考えられる.この飛行機には64人が搭乗していたとされる.遺体の数と一致していたかどうかは不明だが(ビル内で被災した職員の数を差し引かなくてはならない),もし軍用機ないしミサイル説が正しいとすれば,この点での議論がなければおかしい.→【追記】参照.どうもペンタゴンでは遺体は発見されていないらしい.少なくとも公開されたビデオ・写真には映っていないようだ.いやはや...
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9.11テロ捏造
日本と世界を騙し続ける独裁国家アメリカ
ベンジャミン・フルフォード著(株式会社徳間書店)
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【巻末資料編2】計画されていた9・11
――主要メディアに見られる200以上もの「決定的証拠」(2)
- 2001年9月10日――ペンタゴンの衛生兵は,緊急時の飛行機撃墜計画を指揮している人物について,FBIと電話で話している(陸軍).
- 2001年9月11日――ペンタゴンの緊急時の飛行機撃墜計画用緊急装置は,すでにペンタゴン攻撃の前に在庫品チェックのために倉庫から搬出されていた(陸軍).
- 2001年9月11日――ペンタゴンの衛生兵は,衝突の数時間前に,飛行機が建物に墜落するというありそうもないシナリオに基づいた災害計画を研究していた(ワシントン・ポスト).
- 2001年9月11日――オハイオ州とケンタッキー州の州境近くの77便のレーダーは停止しており,ハイジャックされた4機の飛行機のうち,最後までこの77便の1機のみが唯一追跡することができなかった(フライト・エクスプローラー,ワシントン・ポスト).
- 77便は海軍の戦闘機の元パイロットが操縦していたが,彼は飛行機が衝突したペンタゴンの同じエリアで反テロ戦略に取り組んでいた.乗客の一人は元海軍提督のジェット戦闘機パイロットで,アメリカン航空の機長であるが,彼もまたペンタゴンで働いていたことがあった(ニューズデイ,ワシントン・ポスト).
- 2001年9月11日――衝突の数分前に,ペンタゴン近郊で発生した高層アパートの火災のために複数の火災・医療チームが急派されたが,第1車両が到着すると,誤報だと言われた(アーリントン郡,ファイアー・エンジニアリング).
- ペンタゴンへの攻撃は,襲撃に備えて強化した唯一のセクションの真ん中で起こった.被害はそこだけに集中し,人命が失われた(USAトゥデイ,陸軍).
- 2001年9月11日――ガソリンスタンドとホテルの防犯カメラはペンタゴンへの衝突の様子を録画していたが,FBIがものの数分でやってきて,ビデオを回収した(CNN,ナショナル・ジオグラフィック).
- 2001年9月11日――77便の息子は,軍人の父親から事前に死ぬことについて話を聞いていた.軍人の父親は飛行機がのちに衝突することになるペンタゴンの同じエリアで働いてから「最高の休暇」を取っていた(MSNBC).
- ペンタゴンの建設作業員はラリー・キング・ライブでこう語っている.ペンタゴンに衝突した航空機は9月11日の他の機体に比べて「エンジンが少なかった」と(CNN).[97参照]
- 2001年9月11日――航空管制官はアメリカン航空77便が「軍のジェット戦闘機」のようにペンタゴンへ飛んでいくと考えていた(ABC,ワシントンポスト).
- 77便ハイジャック犯のパイロットとされるハニ・ハンジュールは,航空学校の教官からひどいパイロットだったと言われ,ハイジャック犯の中でただひとり乗客座席表をもっていなかった.また9月11日のひと月前,セスナ172の単葉機を借りることができなかった.テスト飛行の間,彼のコントロールと着地に問題があったからだ(CBS,NYタイムズ,ワシントン・ポスト,ニュースデイ).
[2]火の玉となったペンタゴンビル内部,手前の芝生には残骸らしきものは皆無
〈ペンタゴン〉衝突に見せかけミサイルを打ち込む
- 2001年9月11日――USAトゥデイの記者,リチャード・ボネデットーによると,ペンタゴンに衝突するのを目撃した便は「大砲の弾のような音を立てて」ペンタゴンに衝突したという(USAトゥデイ).
- 2001年9月11日――ペンタゴンの修復計画コーディネーターのマイケル・ディパウラは,ペンタゴンに衝突した航空機は「ミサイルのような音がした」と語っている(ボルチモア・サン).
- 2001年9月11日――スペース・ニュースの編集者ロン・レインズは,その音と飛んでくる速さから,ペンタゴンに衝突したのは「ミサイルだと確信」した(スペース・ニュース).
- 2001年9月11日――ペンタゴンのネットワーク・エンジニアのトム・サイバートは,建物に衝突する「ミサイルのような音」を聞いたと話している(ガーディアン).
〈ペンタゴン〉民間機かそれとも戦闘機か
- 2001年9月11日――D・S・カヴキンは,ペンタゴンの頭上を飛ぶ航空機を夫と目撃したが,その機体は「小さな」民間機だったように見えたと語っている(BBC).
- 2001年9月11日――スティーブ・パターソンは,ペンタゴンに衝突した航空機は「8人から12人乗り」で,「戦闘機」のような音がしたと語っている(ワシントン・ポスト).
- 2001年9月11日――USAトゥデイの編集者ジョエル・サッチャーマンは,ペンタゴンに衝突する航空機の機体と尾翼は見たが,エンジンは見えなかったと語っている(CNNビデオ).[88番参照]
〈ペンタゴン〉墜落現場に航空機はなかったという証言
- 2001年9月11日――CNN記者のジェイミー・マッキンタイアは,ペンタゴンの現場からの生中継で,「建物近辺には航空機墜落の証拠は何もない」と伝えている(CNNビデオ).
- 2001年9月11日――エンジニアのスティーブ・デチャーロは,ペンタゴンに航空機が衝突したが建物にはあまりにも小さな穴しかあいておらず,「尾翼も翼も何も見えない」ことに困惑したと語っている(メンフィス・オンライン).
- 2001年9月11日――陸軍大尉リンカーン・リーブナーは,建物に到着したときにペンタゴンには「航空機の残骸などなかった」とはっきり言っている(陸軍).
- 2001年9月11日――陸軍大尉アラン・リンズレーは,ペンタゴンの墜落現場から100メートルの位置にいたが,「航空機など」見えなかったと語っている(陸軍).
- 2001年9月11日――看護師のアイリーン・マーフィーはペンタゴンの墜落現場にやってきて,航空機が「そこにはなかった」ので,とても驚いたと話している(陸軍).
- 2001年9月11日――1等軍曹メイボン・ポロックは,ペンタゴンに衝突した航空機の大きさを聞いてから,ペンタゴンの墜落現場には「航空機の残骸が何も残っていない」ことを見てとり,不可解な気持ちになったと語っている(陸軍).
- 2001年9月11日――国防総省本省のウィル・ジャーヴィスは,ペンタゴンに航空機の跡形を見つけようとしたが見つからずに,「何も残っておらず」,「尾翼も翼も何もない」と語っていた(UオブTマガジン).
[3]第3層外壁に打ち抜かれた穴,これを見てミサイルと早合点したのかも?
〈ペンタゴン〉爆薬の匂いと複数の爆音
- 2001年9月11日――ペンタゴンの弁護士ジラー・ゴールドスミスはコルダイト(無煙火薬)の匂い,あるいは硝煙のような匂いが墜落現場近くでしたと述べた(ジューイッシュ・ニュース・ウィークリー).
- 2001年9月11日――国防総省本省のドン・パーカルは,数分おきに2回の爆音を聞き,建物内で爆弾が破裂する音がして,コルダイトの匂いがして,「どこかに爆薬が仕掛けられていた」と気づいたと語っている(マクスウィニーズ).
〈ペンシルバニア〉墜落か撃墜か
- 2001年6月――大規模な対テロリスト演習「ショッピングモール襲撃2001」が,ペンシルバニア郡のユナイテッド航空93便墜落現場横で行われた(FEMA,ピッツバーグ・ライブ).
- 2001年9月11日――NAASグレン・リサーチ・センター隣のクリーブランド空港に着陸するはずだったユナイテッド航空93便は,93便のインターコムで男が,機内に爆弾があり,航空機は「空港に引き返す」と告げた.すでにクリーブランド上空を飛んでいるはずの時間だった(WCPO-TV,ポストガゼット).
- 2001年9月11日――ユナイテッド航空93便衝突現場の目撃者は,航空機が衝突したと示す顕著な証拠は見当たらなかったとしている(FOXビデオ).
- 2001年9月11日――サマセット郡検死官は,ユナイテッド航空93便墜落現場では,航空機が「止まって衝突前に乗客を降ろしたのか,はっきりした証拠は残っていない」し,さらに「謎」なことは,現場には「1滴の血」もなかったことだと言った.(ピッツバーグ・ライブ,ワシントン・ポスト).
- 2004年12月――ドナルド・ラムズフェルド国防長官は,ユナイテッド航空93便は撃ち落されたとスピーチ中に語った(CNN).[193番参照]
無視され続けたテロ警告
- 1994年――アメリカの情報筋は,テロリストが航空機を武器に使用してアメリカを攻撃する可能性があると警告(CNN,CBS),1995年には航空機のハイジャックとペンタゴンとCIA本部への攻撃陰謀の可能性を警告(CNN).
- CIAは攻撃の3年前にアルカイダ内にスパイたちを潜りこませ(MSNBC),アメリカ情報部は9・11の数週間前に,差し迫った大きなテロ攻撃に関する会話を漏れ聞いた(USAトゥデイ).
- 2000年1月――9・11ハイジャック犯とされるサンディエゴの2名に関するCIA情報は,FBIの元に届く前に握りつぶされている(LAタイムズ).
- ブッシュが大統領になるとすぐに,アメリカのエージェントたちはビン・ラディンやサウジ王族からは手を引くように言われた(アナノーヴァ,BBC).
- 2001年6月――有罪宣告を受けたテロリストが,テロ攻撃に関する特定の情報をアメリカに話した.情報の一部は8月6日のメモに使われた(ニューズ・ウィーク).
- 2001年6月――国防省は1997年以来初めて,ハイジャックの際のルールを変更(DoD).
- 2001年7月――9・11の2ヶ月前にパイロットの武装は禁止された(ワールドネットデイリー).
- 2001年1月――アメリカ政府上級職員たちに,テロリストが事前の通告なしで大規模な攻撃を起こす可能性を警告する説明あり(CNN).
- 2001年7月――政府職員の「フェニックス・メモ」で,FBIにオサマ・ビン・ラディン支持者がアリゾナで飛行訓練を行っていることを警告,この学校がテロ工作に利用されていることを示唆しているが,FBI,CIA,司法省の上層部へ報告されたのは,9・11後のことだった(CBS,CNN).
- 2001年7月――9・11立案者と思われるKSM(ハリド・シェイク・モハメド)は,1996年のテロリスト行為にもかかわらずアメリカ・ビザを発行された(ABC).
- 2001年8月――イスラエルの諜報筋は,CIAに大規模なテロ行為が起こると緊急警告を発していた(テレグラフ).
- 2001年8月――ビン・ラディンがアメリカに大きなテロ攻撃を行うとタリバンが警告(BBC).
- 2001年8月――FBIの主任が本部との会話で,ザカリアス・ムサウイが世界貿易センターへ航空機を飛ばすことを防ぎたいと語った(USAトゥデイ).
- 2001年8月6日――「ビン・ラディンがアメリカでの攻撃を決意」というCIAのメモで,オサマ・ビン・ラディンのアメリカにおける攻撃と航空機のハイジャックをブッシュに警告(ABC,FOX).
- FAAの上級職員たちは,9・11の6ヶ月前に52個もの警告を受け取っていた(ニューヨーク・タイムズ).
- ハイジャック機は4機とも,通常の乗客数よりかなり少ない人数しか乗せておらず,わずか27%であった(CNN,ワシントン・ポスト).
- FBIの内部告発者コリーン・ロウリーは上司たちが9・11の警告を無視し,捜査の試みを妨害したと告発(タイム,USAトゥデイ).
- FBIの翻訳者シベル・エドモンズはこう語った.「アルカイダが航空機で各都市を攻撃することをアメリカは知っていることを示す書類を見た」(インデペンデントUK).[153番参照]
- 9・11調査委員会議長の言葉.「攻撃は予測できた」(CBS).
- FBIの上級職員たちは,9・11について70回ほど警告を受けていた(ワールドネットデイリー).
情報隠蔽と真相探求する捜査の中止
- 2001年9月11日――アリ・フライシャーはブッシュは攻撃について何の警告も受け取らなかったと主張(ホワイトハウス),2002年5月――フライシャーは,ブッシュは攻撃の1ヶ月前にオサマ・ビン・ラディンが航空機をハイジャックする可能性について,CIAから話を聞いていたと認める(サンフランシスコ・ゲート).
- ブッシュ大統領(ホワイトハウス),リチャード・マイヤーズ将軍(DoD),コンドリーザ・ライス(CBS),ミネタ運輸長官とNORADの職員数人は揃って,テロリストが航空機を武器として使うなどという計画は知らなかったと否定(シアトル・ポスト).1999年――NORADはハイジャックされた航空機が武器として使われる場合を想定して訓練を行った(USAトゥデイ).
- 2001年9月22日――「航空輸送安定法」が法律となり,9・11犠牲者の家族は,いかなる理由においても航空会社やアメリカ政府を告訴することができなくなった(ガーディアン,LAタイムズ).
- 2001年9月26日――ニューヨークの市長ルドルフ・ジュリアーニはグラウンド・ゼロのいかなるビデオ撮影も写真撮影も禁じた(ボストン・グローブ).
- 2001年11月――大統領の記録文書に国民がアクセスすることを制限する大統領令13233号にブッシュが署名(ボストン・グローブ,国家安全保障文書館).2003年3月――ブッシュ,文書の秘密保持の期間を25年以上延長することを認め,副大統領に機密種別分類の権限を付与する大統領令13292号に署名(ボストン・グローブ,ナショナル・レビュー).ブッシュ政権によって機密扱いされる文書の数が2001年以降,50%以上も増加した(ボストン・グローブ).彼らは最初の2年間で,クリントン大統領の最後の4年間よりも多くの記録文書を機密扱いにしてきた.(USニューズ).元ニクソンの法律助言者は,ブッシュ政権はこれまででもっとも秘密主義的だと言っている(テレグラフ).
- 2002年1月――倒壊した世界貿易センターの鉄筋がリサイクルのために船積みされて中国とインドに送られることになり,捜査官やエンジニア,犠牲者の家族の怒りを買った.彼らは二つの棟が倒壊した理由を探る上で鉄筋はきわめて重大なてがかりになるが,溶けた「非常に微妙な」鉄骨のスクラップを運搬するトラックにはGPS追跡装置が設置されていたという(USAトゥデイ,China.org,ACSS).
- 2002年1月――ファイアー・エンジニアリング誌は,公式な世界貿易センター調査は「茶番のようなもの」で,すでに目的は「完全な原因究明とはほど遠い政治関係で(証拠は)回収済み」だと語っている(ファイアー・エンジニアリング).
- 2002年3月――ペンタゴンの防犯カメラが捉えた衝突の写真が発表されたが,ペンタゴンは政府が「公式に」発表したわけではないと話した(ワシントン・ポスト).
- 2002年5月――ブッシュ政権は9・11の調査に反対している(CBS).
- 2002年6月――9・11の記録は国民に向けられたものではないと,ニューヨーク市当局は語っている(ニューヨーク・タイムズ).
- 2002年9月――アメリカン航空は今でも9・11のハイジャックについて語ることを全職員に禁じている(ワールドネットデイリー).
- 2002年9月――ブッシュ政権は,立法者による9・11調査許可を拒否.それは,大統領あるいはホワイトハウス職員が,アメリカに対するテロ攻撃,およびハイジャックされた航空機を武器に使用したテロリストとつながったアルカイダによる計画の可能性を知らされていたかどうかを,明らかにするためのものだった(UPI).
- 2002年11月――ブッシュは元国家安全保障局のアドバイザーであり,石油会社ユノカルのコンサルタントであるヘンリー・キッシンジャーを9・11調査の責任者に指名(CNN,CBS).
- 2002年12月――世界貿易センターの防犯カメラ映像やメンテナンス記録などの証拠は世界貿易センターの崩壊理由を調査委員が調べる最中に行方不明となった(フォート・ウェイン・センティネル).
- 2002年12月――ブッシュは国土安全計画の共同委員長で,オサマ・ビン・ラディンの姉の夫と関わりのある人物を,9・11調査委員会の責任者に指名(フォーチュン).
- 2003年1月――9・11の調査にはたった300万ドルの予算と16ヶ月の時間しか費やされなかった.これに対して,クリントン大統領の調査には4000万ドルの予算と5年の時間が費やされていた(ワシントン・タイムズ,ワシントン・ポスト).
- 2003年5月――ホワイトハウスは900ページに及ぶ9・11に対する議会の報告書の公表を拒否(マイアミ・ヘラルド).
- 2003年7月――9・11調査委員会は,国防省と司法省が完全な協力を提供せず,CIAとFBIは証言を捏造していると批判(ABC,ガーディアン).
- 2003年7月――ホワイトハウスとCIAは,サウジアラビアとの秘密の交渉に関する9・11調査の重要な報告を握っていて,公開を求めるサウジの要求を拒否している(ワシントン・ポスト).
- 2004年1月――9・11調査委員会は攻撃に関して,委員の2人から事情を聞かねばならなかった(UPI).
- 2004年1月――ブッシュとハスタート下院議長は9・11調査委員会にこれ以上の時間を与えることに反対(ワシントン・ポスト).
- 2002年4月――ブッシュ政権は,FBIの翻訳者シベル・エドモンズに対して,攻撃に関して事前に知っていたことを9・11調査委員会に口外しないよう口止めした(インデペンデントUK).[129番参照]
- 2004年4月――ブッシュとチェイニーは9・11調査委員会と非公開の会合をもった.記録もせず,速記者も入れず,宣誓することなしに(CNN).
- FAAの責任者が9・11のビデオテープをずたずたに切り裂いて破棄した(ワシントン・ポスト).
- ブッシュ大統領の9・11の電話記録は残っていない(ニューヨーク・デイリー・ニュース).
- 2004年6月――9・11のテープは,地上の人員が攻撃反応の隠蔽工作をし,事を「内密に」しようとしていることを示している(ニューヨーク・オブザーバー).
- 2004年7月――9・11からほぼ3年が経過したが,現在でも巡航高度の飛行機に携帯電話を作用させる技術は存在していない(USAトゥデイ,ニューヨーク・プレス).
- 9・11の報告書には,9・11は誤りだったという多くの共通認識が示されている(ストレーツ・タイムズ).
- 2004年10月――NORADは9・11における時系列ごとの対応をウェブサイトから削除(NORAD).アメリカ上院でNORADとFAAが嘘をついていると糾弾されたあとのことだ(スター・トリビューン).
- 2004年10月――まだ公表されていない民間と軍の時系列ごとの対応に関する9・11報告の調査が始まったが,選挙後までは公表されないだろう(ニューヨーク・タイムズ).
- 9・11のハイジャック犯とされている人物はFBIの情報屋から部屋を借りていたが,FBIはその事実を隠匿していた(ビレッジ・ボイス).
- 犯人が武器として使ったとされるボックス・カッターは,9・11以前は航空業界では持ち込みが認められていなかった(9・11調査委員会,CBS).
〈ペンタゴン〉周到な準備
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by exod-US
| 2006-09-03 17:26
| BBC炎上:WTC7解体予告編事件