2006年 09月 04日
計画されていた9・11――主要メディアに見られる200以上もの「決定的証拠」【永久保存版】(3)
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後にグラウンドゼロと呼ばれるようになったWTCビルの崩壊現場は,真相究明のための現場保全を行うどころか完全に外界から遮断され(遺品や遺体を探す遺族のアクセスだけは許されたが写真撮影の禁止など厳しい制限が課された),160万トン余の瓦礫はすべてマンハッタン沖のスタッテン島に運び出されて秘密裏に処分された→参照.WTCには全米を代表する裕福な企業・団体が入っていたのだから,これらのオフィスの金庫に仕舞い込まれていた当座のキャッシュだけでも相当あったはずだ.どこに行ってしまったのだろう?
1600人分以上の遺体が「蒸発」してしまったというのだからほとんど跡形もないのかもしれないが,少なくともWTC4号棟と5号棟を結ぶ地下トンネルでは10輪の大型トラックに詰まれた金塊が発見されている.911に関しては無数の「暗合」つまり奇妙な偶然の一致が知られていて,この資料編にもたまたまWTCを離れていたために奇跡的に命拾いしたなどの実例が収録されているが,読者はすでにこれらの「奇跡」には裏があることにお気付きのことだろう.この金塊の搬出のタイミングも単なる好運ではなく,インナーサークルの一員として911の情報を事前に知ることのできた立場の人物が命じた作業であるに違いない→#167参照.
この資料編に現れる人名のうちのかなりはそのような911インナーサークルのメンバーである.中でもこの911イベントで焼け太りしたニューヨークの不動産業者ラリー・シルバースタインこそ,インナーサークル中の最右翼と見るべき人物である.
1WTC:ノースタワー(110階)→94-98階に航空機直撃により完全崩壊
2WTC:サウスタワー(110階)→78-84階に航空機直撃により完全崩壊
3WTC:マリオットホテル(22階)→サウスタワー崩壊で半壊、ノースタワー崩壊でほぼ全壊
4WTC:オフィスビル(9階)→サウスタワー崩壊落下物によりほぼ全壊
5WTC:オフィスビル(9階)→9階から3階までタワー崩壊落下物が貫通しほぼ全壊
6WTC:合衆国関税局/先物取引場(7階)→タワー崩壊落下物によりほぼ全壊
7WTC:オフィスビル(47階)→テロ発生8時間後に完全崩壊
シルバースタインはこれら全7棟のビルの賃借権を9・11直前の2001年7月(攻撃のわずか6週間前)に取得し(99年契約),周到に準備した保険契約によって総額46億ドル(70億ドルとも)の保険金を取得した→#196参照.9・11の数日前にはビル管理会社が常駐させていた爆弾探査犬が突然どこかへ連れて行かれた→#38.シルバースタインの関連会社にコントロールド・デモリションというビルの爆破解体専門業者があり,9・11当日の早朝から清掃業務を装って地下で作業していたことが知られている→#43参照.WTCの瓦礫撤去作業という機密性の高い作業を行ったのもこの会社である(同社は1995年のオクラホマ連邦ビル爆破事件のときにも撤去作業を請け負い,似たような証拠隠滅作業を行っている).
シルバースタイン(ご想像に違わずユダヤ人である)は事件の一年後に放映されたPBSテレビのドキュメンタリー中のインタビューで「WTC第7棟は(火災による)人命被害を避けるために爆破解体(pull)させた」と口を滑らせている.もちろん,それであればWTC第7棟の倒壊にはなんの「謎」もないことになる.思うに,多分このときシルバースタインはこのビルの中にまだ何千人と人がいたことを一瞬忘却してしまったのだろう(笑)→参照.
" 'We've had such terrible loss of life, maybe the smartest thing to do is pull it.' And they made that decision to pull and we watched the building collapse." by Larry A. Silverstein- MP3 Audio
この種のうっかり口がすべった例としては,ラムズフェルドがスピーチの中で「ユナイテッド航空93便は撃ち落された」と言ってしまったというのが有名だ→#111.ラムズフェルドは「ペンタゴンはミサイルにやられた」と口を滑らしたこともあるらしい→#193.(2)で私は民間航空機説を採ったが,もちろんミサイルだったとしても特に矛盾は生じない.ミサイルを使ったとすれば飛来軌跡から見て巡航ミサイルが考えられる.いや,もっとひどいのがある.ラムズフェルドはその時はまだ飛行機が飛んでいる時間にどこかで「飛行機がペンタゴンに墜落する」と言ってしまった→#21.(確かにラムにはどこか憎めないところが残っている気がする)
このインナーサークルをアラブテロリストがWTCを攻撃するという事前情報を知って金儲けを企てようとした強欲な詐欺グループのようなものと考えるべきではない.資料編(1)の事前に計画されていたこと,軍が準備していたこと,事前に情報をつかんでいた人たち,おとりと武装解除や(3)の動機などを読めば,この計画が何年もかけて緻密に計算され「影の政府」とも呼ぶべき巨大秘密組織の手で実施に移されたことが理解されるであろう.このリストに名前を連ねる人間たちこそアメリカ合衆国を(選挙という民主的方法に拠らず,ないし不正に選挙を盗むことによって)ハイジャックした国際組織暴力集団であり,「戦争」の請負人である.
第43代大統領ジョージ・W・ブッシュは世紀の大犯罪スペクタルの本番が翌日に迫る2001年9月10日,もっとも安全な観覧席を探して弟が州知事を務めるフロリダを選択した.そこはいわばブッシュ・ファミリーの直轄領であり,2000年の大統領選挙では大量の不正票をブッシュに与えて当選させたオレンチのシマである.9・11当日ブッシュは,とある小学校の授業を参観し,みずから子どもたちに絵本を読んでやるというパフォーマンスまで演じた→#16.
これも有名な話だが,ブッシュは事後のインタビューで「最初の衝突をどこで知りましたか?」と問われ,うっかり「小学校の控室のテレビで見た」と答えてしまった.まだその時間にはテレビでの実況は開始されておらず,映像が流れ始めたのは2度目の衝突以降だったのである.この朝のブッシュの学校訪問の短いクリップがある.Youtubeにはノーカット版もある.以前ブッシュが学校に到着するところから始まる長いクリップを見たことがあるが,見つからなかった.5-Minute Video of George W. Bush on the Morning of 9/11
ブッシュは航空機がハイジャックされWTCに衝突したと知らされたあとも,何の行動変化も見せなかった→#183.教卓の隣に座る大統領に主席補佐官のアンドリュー・カードが近づき,2機目が突っ込んだことを耳打ちする.カードは「アメリカは攻撃されています」と言ったらしい.しかし,このときもブッシュは椅子から立ち上がらず,授業は何もなかったように継続した.大統領はテキストを広げて子どもたちに11分間も朗読のお手本を示し,授業後のスピーチもスケジュール通りこなした→#184,#185.ブッシュは9・11を「興味深い1日」と表現し,2001年はローラ夫人と彼にとって「すばらしい年」になるだろうと語ったという→#186.
絶句である.摩天楼の中に閉じ込められた何千という人々が崩れ落ちる建物の重量に押し潰されながら折り重なって落下してゆく地獄絵を想像するがよい.人間はここまで残忍になることができるのだろうか?私には到底信じ難い.BBCによるとブッシュは「私は神からアフガニスタンとイラクに侵攻せよとのミッションを受けた」と語ったそうである.「ブッシュの神」の別名がサタンであることについてこれ以上くだくだしい説明の必要があるだろうか?→参照
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9.11テロ捏造
日本と世界を騙し続ける独裁国家アメリカ
ベンジャミン・フルフォード著(株式会社徳間書店)
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【巻末資料編2】計画されていた9・11
――主要メディアに見られる200以上もの「決定的証拠」(3)
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1600人分以上の遺体が「蒸発」してしまったというのだからほとんど跡形もないのかもしれないが,少なくともWTC4号棟と5号棟を結ぶ地下トンネルでは10輪の大型トラックに詰まれた金塊が発見されている.911に関しては無数の「暗合」つまり奇妙な偶然の一致が知られていて,この資料編にもたまたまWTCを離れていたために奇跡的に命拾いしたなどの実例が収録されているが,読者はすでにこれらの「奇跡」には裏があることにお気付きのことだろう.この金塊の搬出のタイミングも単なる好運ではなく,インナーサークルの一員として911の情報を事前に知ることのできた立場の人物が命じた作業であるに違いない→#167参照.
この資料編に現れる人名のうちのかなりはそのような911インナーサークルのメンバーである.中でもこの911イベントで焼け太りしたニューヨークの不動産業者ラリー・シルバースタインこそ,インナーサークル中の最右翼と見るべき人物である.
1WTC:ノースタワー(110階)→94-98階に航空機直撃により完全崩壊
2WTC:サウスタワー(110階)→78-84階に航空機直撃により完全崩壊
3WTC:マリオットホテル(22階)→サウスタワー崩壊で半壊、ノースタワー崩壊でほぼ全壊
4WTC:オフィスビル(9階)→サウスタワー崩壊落下物によりほぼ全壊
5WTC:オフィスビル(9階)→9階から3階までタワー崩壊落下物が貫通しほぼ全壊
6WTC:合衆国関税局/先物取引場(7階)→タワー崩壊落下物によりほぼ全壊
7WTC:オフィスビル(47階)→テロ発生8時間後に完全崩壊
シルバースタインはこれら全7棟のビルの賃借権を9・11直前の2001年7月(攻撃のわずか6週間前)に取得し(99年契約),周到に準備した保険契約によって総額46億ドル(70億ドルとも)の保険金を取得した→#196参照.9・11の数日前にはビル管理会社が常駐させていた爆弾探査犬が突然どこかへ連れて行かれた→#38.シルバースタインの関連会社にコントロールド・デモリションというビルの爆破解体専門業者があり,9・11当日の早朝から清掃業務を装って地下で作業していたことが知られている→#43参照.WTCの瓦礫撤去作業という機密性の高い作業を行ったのもこの会社である(同社は1995年のオクラホマ連邦ビル爆破事件のときにも撤去作業を請け負い,似たような証拠隠滅作業を行っている).
シルバースタイン(ご想像に違わずユダヤ人である)は事件の一年後に放映されたPBSテレビのドキュメンタリー中のインタビューで「WTC第7棟は(火災による)人命被害を避けるために爆破解体(pull)させた」と口を滑らせている.もちろん,それであればWTC第7棟の倒壊にはなんの「謎」もないことになる.思うに,多分このときシルバースタインはこのビルの中にまだ何千人と人がいたことを一瞬忘却してしまったのだろう(笑)→参照.
" 'We've had such terrible loss of life, maybe the smartest thing to do is pull it.' And they made that decision to pull and we watched the building collapse." by Larry A. Silverstein- MP3 Audio
この種のうっかり口がすべった例としては,ラムズフェルドがスピーチの中で「ユナイテッド航空93便は撃ち落された」と言ってしまったというのが有名だ→#111.ラムズフェルドは「ペンタゴンはミサイルにやられた」と口を滑らしたこともあるらしい→#193.(2)で私は民間航空機説を採ったが,もちろんミサイルだったとしても特に矛盾は生じない.ミサイルを使ったとすれば飛来軌跡から見て巡航ミサイルが考えられる.いや,もっとひどいのがある.ラムズフェルドはその時はまだ飛行機が飛んでいる時間にどこかで「飛行機がペンタゴンに墜落する」と言ってしまった→#21.(確かにラムにはどこか憎めないところが残っている気がする)
このインナーサークルをアラブテロリストがWTCを攻撃するという事前情報を知って金儲けを企てようとした強欲な詐欺グループのようなものと考えるべきではない.資料編(1)の事前に計画されていたこと,軍が準備していたこと,事前に情報をつかんでいた人たち,おとりと武装解除や(3)の動機などを読めば,この計画が何年もかけて緻密に計算され「影の政府」とも呼ぶべき巨大秘密組織の手で実施に移されたことが理解されるであろう.このリストに名前を連ねる人間たちこそアメリカ合衆国を(選挙という民主的方法に拠らず,ないし不正に選挙を盗むことによって)ハイジャックした国際組織暴力集団であり,「戦争」の請負人である.
第43代大統領ジョージ・W・ブッシュは世紀の大犯罪スペクタルの本番が翌日に迫る2001年9月10日,もっとも安全な観覧席を探して弟が州知事を務めるフロリダを選択した.そこはいわばブッシュ・ファミリーの直轄領であり,2000年の大統領選挙では大量の不正票をブッシュに与えて当選させたオレンチのシマである.9・11当日ブッシュは,とある小学校の授業を参観し,みずから子どもたちに絵本を読んでやるというパフォーマンスまで演じた→#16.
これも有名な話だが,ブッシュは事後のインタビューで「最初の衝突をどこで知りましたか?」と問われ,うっかり「小学校の控室のテレビで見た」と答えてしまった.まだその時間にはテレビでの実況は開始されておらず,映像が流れ始めたのは2度目の衝突以降だったのである.この朝のブッシュの学校訪問の短いクリップがある.Youtubeにはノーカット版もある.以前ブッシュが学校に到着するところから始まる長いクリップを見たことがあるが,見つからなかった.5-Minute Video of George W. Bush on the Morning of 9/11
ブッシュは航空機がハイジャックされWTCに衝突したと知らされたあとも,何の行動変化も見せなかった→#183.教卓の隣に座る大統領に主席補佐官のアンドリュー・カードが近づき,2機目が突っ込んだことを耳打ちする.カードは「アメリカは攻撃されています」と言ったらしい.しかし,このときもブッシュは椅子から立ち上がらず,授業は何もなかったように継続した.大統領はテキストを広げて子どもたちに11分間も朗読のお手本を示し,授業後のスピーチもスケジュール通りこなした→#184,#185.ブッシュは9・11を「興味深い1日」と表現し,2001年はローラ夫人と彼にとって「すばらしい年」になるだろうと語ったという→#186.
絶句である.摩天楼の中に閉じ込められた何千という人々が崩れ落ちる建物の重量に押し潰されながら折り重なって落下してゆく地獄絵を想像するがよい.人間はここまで残忍になることができるのだろうか?私には到底信じ難い.BBCによるとブッシュは「私は神からアフガニスタンとイラクに侵攻せよとのミッションを受けた」と語ったそうである.「ブッシュの神」の別名がサタンであることについてこれ以上くだくだしい説明の必要があるだろうか?→参照
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9.11テロ捏造
日本と世界を騙し続ける独裁国家アメリカ
ベンジャミン・フルフォード著(株式会社徳間書店)
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【巻末資料編2】計画されていた9・11
――主要メディアに見られる200以上もの「決定的証拠」(3)
- 動機
- 1997年――外交問題評議会と日米欧三極委員会のメンバーであるズビグニュー・ブレジンスキーは,アメリカが地上支配を維持するために世界の天然資源をコントロールするよう強く勧める本を出版.しかし,アメリカが対外的な力を広めることに対して一般には懸念や警戒心があり,ますます多様化する社会では対外的に国民の同意を得ることはむずかしくなるだろうとも述べている.国民が外部から直接的に大きな脅威でも受けなければ無理だろうと(ブレジンスキー『世界はこう動く』).2001年9月14日――外交問題評議会のメンバーであるゲイリー・ハートによれば,9・11はブッシュが「新世界秩序」を作りだすチャンスだと述べている(外交問題評議会).
- 2001年9月10日――ドナルド・ラムズフェルド国防長官は,ペンタゴンが2兆3000億ドルの手がかりを失ったと報告(CBS,DoD).攻撃が会計年度の締め間近で,重要な予算情報は被害を受けたエリアにあったとしている(アーリントン郡).ペンタゴンで亡くなった大部分の者は民間の会計士,簿記係,予算分析官だった(ピットポスト・ガゼット).
- 2001年10月――9・11のわずか1ヵ月半後に,342ページものアメリカ愛国者法が法律になった(ホワイトハウス).
- 2001年10月――世界貿易センター4号棟に保管されていた大量の金の延べ棒が,世界貿易センター5号棟に通じる配達トンネルで発見された.9・11の朝に10輪トラックで運ばれていたものが他の数台の車両と共に瓦礫で押しつぶされたのである.しかし,遺体はひとりとして発見されていない(ニューヨーク・デイリー・ニュース,タイムズ・オンライン).
- 2002年11月――対国内テロの戦いを指導するために,国土安全保障省が創設された(CBS).
- 9・11以来,共和党の支持率はあがっている(ワシントン・ポスト).政府のテロ警戒がブッシュの支持率を押し上げている(コーネル大学),「9・11効果」はグラウンド・ゼロ近くの民主主義の屋根の下で,ブッシュ票をかき集めた(ニューヨーク・ポスト).
軍事予算の増額
- 軍事予算が増えた.
- 2000年9月――アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)はアメリカの防衛予算を増大する必要を訴えたが,「新・真珠湾攻撃」のような破滅的な出来事が起こるとは言おうとしなかった.(ABC,PNAC).
- 2001年9月5日――ラムズフェルドは上院に,80年代半ば以来となる大幅アップの新しい2002年度予算を認めるように要請(DoD).
- 2002年度予算の要請は378億ドル,2001年度の要請より11.5%増(DoD).
- 2003年度予算の要請は401億ドル,2002年度の要請より10.9%増(DoD).
アフガニスタンとアヘン
- 2000年9月――アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)はアメリカの防衛予算を増大する必要を訴えたが,「新・真珠湾攻撃」のような破滅的な出来事が起こるとは言おうとしなかった.(ABC,PNAC).
- 2001年7月――米国は10月までにアフガニスタンに侵攻する計画(BBC,ガーディアン),9月4日――ホワイトハウス,アフガニスタン侵攻計画を承認(CBS,USAトゥデイ),9月10日――計画,ブッシュの承認待ち(MSNBC),10月――アメリカ,アフガニスタンに侵攻(DoD).アフガニスタンでの戦争は9・11以前は政治的に不可能だっただろう(USAトゥデイ).
- 2000年7月――タリバン,アフガニスタンでのアヘン用ケシ栽培を禁止(BBC).2005年5月,アフガニスタンはケシ栽培を奨励(USAトゥデイ).
天然ガスと石油パイプライン
- 天然ガスと石油パイプラインに関しては以下のとおり.
- 1997年――タリバン,テキサスでアフガニスタンのパイプラインについてユノカル社と協議(BBC).
- 1998年2月――ユノカル代表,議会で,アフガニスタンのパイプライン計画は唯一の強固なアフガニスタン政府が樹立されなければ成立しないと議会で証言,アフガニスタンの内紛をアメリカの影響力で終結させるように要請(米下院).
- 1998年8月――ユノカル,現地の破壊的な政治状況のために,アフガニスタンのパイプライン建設を一時中断(ユノカル).
- 1998年12月――ユノカル,アフガニスタンのパイプライン建設を断念(ユノカル).
- 1999年――アメリカ,タリバン政権に丸々1年分の給与を支払い,強固なアフガニスタン政府を樹立.アメリカの会社がアフガニスタンでカスピ海に通じるパイプラインの建設が可能になるよう期待(サンフランシスコ・クロニクル).
- 2001年5月,アメリカがアフガニスタンに4300万ドルを供与.アメリカ,2年連続でアフガニスタンに対する最大の援助国(CNN).
- 現在のアフガニスタンにおける軍事作戦には隠れた目的があるという者もいる.すなわちパイプラインを開通させ,アメリカの会社の中央アジアの石油に対する関与をさらに深めることだというのだ(BBC).
- 2002年12月――アフガニスタンの石油パイプライン計画に署名(BBC,サンフランシスコ・クロニクル).
- 2005年5月――アフガニスタンのパイプラインが実現間近,アフガニスタン大統領はこのプロジェクトが「最優先」だと語った(クリスチャン・サイエンス・モニター).
サダム・フセインと石油
- 1997年――タリバン,テキサスでアフガニスタンのパイプラインについてユノカル社と協議(BBC).
- サダム・フセインと石油については以下のとおり.
- 1998年――PNAC,イスラエルと世界の石油供給を脅(おびや)かしているサダム・フセインを追い出すためのイラクでの戦争を要請(ABC,PNAC).
- 2001年1月――ブッシュは9・11以前に財務省のメモに基づいた対イラク戦争計画をもっていた(CNN).
- ブッシュは9・11以前にサダムを追い出し,イラクの石油を手に入れる計画を作成した(BBC).
- 2001年9月11日――ペンタゴン攻撃のわずか5時間後,ラムズフェルドはイラクを攻撃する計画を開始した(CBS).
- 2002年2月――イラクはアルカイダに武装訓練を行っているというでっち上げの声明をブッシュ政権が出して警告したが,これは後にブッシュ政権がイラクでの軍事行動の基礎として用いた声明と同じものである(ニューヨーク・タイムズ,AFP).
- ホワイトハウスの職員は,9・11はイラクでの戦争を主たる目的としていたと内々に語っている(ABC),ブッシュは9・11があったからアメリカはイラクにいると言っている(CNN,ホワイトハウス).
- 2003年1月――ブッシュが国連の支持なしでもイラクに侵攻することにし,サダムを挑発して対決に持ち込む方法を論じたメモが明らかになった(ニューヨーク・タイムズ,BBC).
- 2003年9月――後に70%のアメリカ人がサダムと9・11はリンクしていると信じている世論調査の結果が出た(USAトゥデイ).
- ダウニング街のメモは,サダムは脅威ではない,米国は戦争政策に諜報機関を貼り付けていると警告(ロンドン・タイムズ).
- 9・11調査委員会はイラクとアルカイダのつながりを示す証拠は何もないと語る(ワシントン・ポスト).
- 2004年10月――イラクの大量破壊兵器(WMD)疑惑は,ブッシュが戦争を正当化するために用いたが,後にCIAの報告書でも,イラクには大量破壊兵器はないと結論づけた(CNN,BBC).
- 2004年12月――元CIA工作員は,イラクの大量破壊兵器の報告書をでっち上げないという理由で解雇されたと言っている(ワシントン・タイムズ).
矛盾する出来事の連続
- 1998年――PNAC,イスラエルと世界の石油供給を脅(おびや)かしているサダム・フセインを追い出すためのイラクでの戦争を要請(ABC,PNAC).
- 18名のPNACメンバーが1998年にサダムを取りのぞくようクリントンに迫ったが,そのうち10名が新しいブッシュ政権に参加するだろう(ABC).
- PNACのメンバーであるディック・チェイニーはブッシュ・シニア政権のもとで国防長官をつとめたハリバートン社の元最高経営責任者である(CNN).チェイニーは今でもハリバートン社から支払いを受けており(ガーディアン),彼の所有するストックオプションは2004年に3281%も上昇した(ロー・ストーリー).ハリバートンはブッシュ/チェイニー選挙戦の大口献金者で,そのトップはイラク戦争の契約請負業者であり(ニュースデイ),ペンタゴンとは無入札で契約を結んできており(CBS),2005年度の第2四半期は284%の増益と発表している(ハリバートン).
- 2001年5月PNACメンバーのドヴ・ザックハイムは国防次官(監査役),国防総省のCFOに宣誓して就任した.彼は元防衛請け負い業者の副社長.この業者は遠隔操作や飛行停止装置を作っていた(DoD,SPC).
- 2001年9月6日――ユナイテッド航空,アメリカン航空,ボーイング社に大量のプットオプションが出される.その一部はCIA高官バジー・クロンガードの口座を通じて行われた(サンフランシスコ・クロニクル).
- 2001年9月10日――元大統領で元CIA長官のブッシュ・シニアがワシントンDCでカーライル・グループとのミーティングでオサマの兄と会った(ワシントン・ポスト),さらに攻撃の朝ホワイトハウスでも(CBS).
- 2001年9月11日――ビン・ラディン一家の公式サイトのドメインは有効のままである(ヤフー,フィリー・シティ・ペーパー).
- 2001年9月11日――グレアム上院議員,ゴス下院議員,ほかアメリカ・インテル委員会のメンバーは午前中にパキスタンISIの長官とミーティングを開き,モハメド・アタに10万ドルを電信送金するよう許可を与えた(ウォール・ストリート・ジャーナル,ワシントン・ポスト).
- 2001年9月11日――イスラエル軍部のエリート司令官で,アラビア語を解する人物が,11便のハイジャック犯の近くに座っていた(ワールドネットデイリー).
- 2001年9月11日――ブッシュはライスから民間機が世界貿易センターに衝突したと聞いたあとも,予定通り朗読の行事を続けた(9・11調査委員会).
- 2001年9月11日――カード大統領主席補佐官は,世界貿易センターに2度目の衝突があったとブッシュにささやき,「アメリカは攻撃されています」と言い,ブッシュの反応を見ることなしにすぐさまその場を去った(ボストン・ヘラルド).
- 2001年9月11日――攻撃のことを聞いたのち,ブッシュは本を手にとり,11分間にわたって子どもたちに本を読み,それが終わると子どもたちからいくつか質問を受けてから去った(FOX,セント・ピーターズバーグ・タイムズ).
- 2001年9月11日――ブッシュは前日にスピーチをすると予定されていたまったく同じ時刻に,学校でスピーチを行った(フェデラル・ニュース・サービス).
- 2001年9月11日――テッド・オルソン訴訟長官は,アメリカ政府が嘘をついており,ブッシュの2000年の勝利を動かぬものにするため,フロリダの再集計を止めることに手を貸したと告白しているが,妻のバーバラがアメリカン航空77便から電話を2度かけてきて,ハイジャック犯がボックス・カッターを使ったと話している.これが唯一の目撃証言だ(9・11調査委員会,MSNBC,USAトゥデイ).
- 2001年9月11日――イスラエルのスパイが,燃える世界貿易センターを背景に祝う様子を撮影しているところを見つかり,逮捕された.ボックス・カッター,複数の外国のパスポート,攻撃と彼らを結びつける地図,爆薬,大金が白いバンから発見された(ABC,ザ・フォワード,ベルゲン・レコード).
- 2001年9月11日――ブッシュは学校から決してシークレット・サービスを撤退させなかった(グローブ&メール).
- 空軍のマイヤーズ将軍は,世界貿易センターへの第2の攻撃について報告を受けておらず,ペンタゴンへの攻撃と同じ頃にようやく気づいたと主張している(DoD).
- 2001年9月11日――元イスラエル首相のネタニヤフは,9・11攻撃がイスラエルとアメリカとの関係にどう影響するかと訊ねられ,「とてもいい」と答えた(ニューヨーク・タイムズ).
- 2001年9月13日――ブッシュ政権は,ビン・ラディン一家とサウジ高官が航空機離陸禁止令が発令される前にアメリカから退去することを許可した(ニューヨーク・タイムズ,タンパ・トリビューン).
- 2001年10月――ドナルド・ラムズフェルド国防長官は雑誌のインタビューで,ペンタゴンは「ミサイル」にやられたと話している(DoD).[111番参照]
- ブッシュはブッカー小学校のテレビで世界貿易センター攻撃の生放送を見たと2度話している(ボストン・ヘラルド,ホワイトハウス).しかし第1の攻撃は午前8時46分に起こり(9・11調査委員会),ブッシュが学校に到着したのは午前8時52分だった(ABC).
- ブッシュは9・11を「興味深い1日」と表現し(ホワイトハウス),2001年はローラ夫人と彼にとって「すばらしい年」になるだろうと語っている(ホワイトハウス).
- 世界貿易センターの賃貸人は,世界貿易センター7号棟崩壊の調停金として8億6100万ドルを受け取った.7号棟の債務は3億8300万ドルに過ぎなかったのだが(インシュアランス・ジャーナル),2004年5月――シルバースタインは世界貿易センターに対する支払いとして,35億ドルを受け取った(CNN).2004年12月――シルバースタインは,攻撃は「2度の個別の出来事だった」とした裁判所の決定により,追加で11億ドルを勝ちとった(USAトゥデイ).
- 2004年3月――マドリードの爆破事件は,9・11のちょうど911日後に起こった(ニュース24,Snopes.com).
- オサマ・ビン・ラディンはCIAとつながりがあった(MSNBC).2001年7月――オサマ・ビン・ラディンは1998年以来アメリカに指名手配されていたが,ドバイにあるアメリカの病院で治療を受け,CIA現地局長と会っていた(ガーディアン).9月10日――オサマ・ビン・ラディンはパキスタンの軍事病院で腎透析を受けていた.この病院は「秘密のチーム」が通常の病院スタッフとすり替わっていた(CBS).
ハイジャック犯たちの奇行
- 9・11のハイジャック犯とされるうちの5名は,アメリカの軍事基地の保護のもと,訓練を受けていた(MSNBC).
- CIAはアメリカン航空77便ハイジャック犯と思われる2人を以前から追跡していた(BBC).
- 2001年7月――9・11の創案者とされるハリド・シェイク・モハメドは当局に1994年以来追われていたが,1996年のテロ行為があったにもかかわらず,アメリカのビザを取得することができた(ABC,ロサンゼルス・タイムズ).2004年10月――ハリド・シェイク・モハメドはアメリカに拘束されて「行方不明」に(SJマーキュリー).
- CIAは世界貿易センターの第1の衝突(北棟)は攻撃であり,テネット局長は第2の衝突(南棟)が起こる前から,この攻撃はオサマ・ビン・ラディンの仕業だと非難していたと語っており(ABC),さらにアメリカは1日が終わる前から,この攻撃はオサマ・ビン・ラディンの仕業だと語っていた(ABC,ザ・ポスト).
- タリバンの支配者は,世界貿易センターへの攻撃を非難し,ビン・ラディンはこのような大がかりな攻撃を指揮する手段をもっていなかったと語っている(TCMニュース).9月16日――オサマ・ビン・ラディンはプレスリリースで9・11との関与を否定(ガーディアン).9月28日――オサマ・ビン・ラディンはパキスタンの新聞「Ummat」で9・11との関与を否定,攻撃の裏にはユダヤかアメリカのシークレット・サービスが潜んでいると示唆(Khilafah).11月7日――オサマ・ビン・ラディンはパキスタンの新聞「The Dawn」で9・11との関与を否定(イスラム・オンライン).
- 2001年9月13日――ハイジャックされた4機の乗客リストには,アラブ人の名前はひとりも記載されていなかった(ガーディアン――11,175,77,93).
- ハイジャック犯とされた19名のうち7名は生存していると報告され,FBI長官は数名の身元確認について疑わしいと認めている(BBC,ロサンゼルス・タイムズ).
- 77便と93便のハイジャック犯の遺体は同じ軍事基地で「消去法」によって身元確認された(CBS).
- 秘密のFBI報告によると,アルカイダがまた9・11のようなタイプの攻撃を計画できるかどうかは疑わしく,アメリカには今後の危険分子となりそうな一味はいないという(ABC).
- アタの父は,アタから9月12日に電話があったと話している(ガーディアン,ピッツバーグ・ライブ).
- 2001年9月9日――175便のハイジャック犯パイロットとされたマルワン・アル・シェーヒは,ボーイング757のマニュアル,東海岸のフライトマップ,航空機の燃料検査機,分度器をホテルの部屋に残したと伝えられている(オーガスタ・クロニクル).175便はボーイング767だった(9・11コミッション).
イスラム原理主義者とは思えぬ派手な行動
- 2001年9月10日――93便のハイジャック犯ジアド・ジャラーは,5年つきあったドイツの恋人に別れの手紙と航空訓練用の書類を送ったと伝えられているが,おそらく住所が違っていたらしく手紙は返送されて,FBIの手に渡った.ジャラーの身内は,手紙はジャラーに罪をなすりつけるために捏造されたものだと語っている(BBC).
- 2001年9月10日――アタと2名のアラブ人は,反米を激しく唱え,コーランと名刺を残したと伝えられている(USAトゥデイ).
- 2001年9月11日――11便のハイジャック犯とされたアタとアルオマリはポートランドの空港防犯カメラの映像に捉えられている(ABC-AU,USAトゥデイ).父親は防犯カメラに映っているのはアタではないと語っている(ピッツバーグ・ライブ).
- 2001年9月11日――アタは11便の乗客81人中,ただひとり手荷物が飛行機に積み込まれなかった人物で,その荷物がただちに有罪の証拠とされた(USAトゥデイ,ワールドネットデイリー).
- 2001年9月11日――メディアは攻撃に責任があると主張する「パレスチナ」のグループがいると報じており(CNNビデオ),世界貿易センターが炎上する様子を撮影して「俺たちがお前たちの問題ではない,パレスチナが問題だ」と言うイスラエルのスパイを逮捕した(ABC),さらにパレスチナ人たちが攻撃のニュース映像を見て歓喜しているビデオがある(CNNビデオ,イスラエル・インサイダー,ロサンゼルス・タイムズ).パレスチナ人が祝っていた様子は捏造(シュピーゲル),2002年――パレスチナ人は,モサドがガザで偽のアルカイダ工作を行い,さまざまな爆破は自分の仕業だと主張していたと語っている(アラビア・オンライン).
- 2001年9月13日――77便のハイジャック犯マジェッド・モケドの学生証がペンタゴンで発見されたと報じられている.はっきり名前が読める状態で(9・11調査委員会).
- 2001年9月17日――世界貿易センターに突っ込んだ機体のハイジャック犯とされる人物のパスポートが発見された(CNN).
- 2001年9月28日――FBIはアラビア語で書かれた手紙がアタのスーツケースで発見され,93便の墜落現場や,ダレスの駐車場で発見されたアメリカン航空77便ハイジャック犯の名で登録された車両からも,追加で手紙が見つかっていると語っている(FBI,PBS).
- 2001年12月――ペンタゴンは,オサマ・ビン・ラディンが攻撃について長々としゃべり,イスラムでは禁止されているはずの金の指輪と時計をはめている様子を捉えた画質の悪いビデオを発表.ブッシュ政権はこのビデオをアメリカがアフガニスタンへ侵入する口実に使った(USAトゥデイ).2001年12月――オサマ・ビン・ラディンは死んだと報じられた(FOX,ニューヨーク・タイムズ).2004年10月――オサマ・ビン・ラディンと思われる人物が攻撃を認めるビデオが選挙の4日前に公開され,ブッシュへの票を集めることになった(ABC,ニューヨーク・デイリー・ニュース).
- 多くの捜査官は,証拠のいくつかはハイジャック犯が「見つかることを意図して」残したものであり,残された手がかりは「故意にFBIに追わせることを狙っている」と信じている(ニューヨーカー).
- 2001年5月――ハイジャック犯とされる数名が,ラスベガスのストリップクラブで目撃されている(サンフランシスコ・クロニクル).数名はナドーンのゴーゴー・バーでも目撃され(ウォール・ストリート・ジャーナル),アメリカン航空77便ハイジャック犯のカリード・アルミドハーとナワフ・ナルハズミがチーターのヌード・バーにも姿を見せた(ロサンゼルス・タイムズ).9月10日――アタと2名のアラブ人は,フロリダのストリップ・クラブのピンク・ポニーで浴びるように酒を飲み,ダンサーを膝に載せて騒いでいたという(USAトゥデイ).
- 2001年7~8月――ハイジャック犯とされるマジェッド・モケトが,メリーランドの2つの店でアダルトビデオと本を見ているところを目撃されている(ニュースデイ,MSNBC).9月10日――ハイジャック犯とされるハムザ・アルガムディがホテルでポルノ映画を見ていた(ウォール・ストリート・ジャーナル).
- 2001年9月5日――ハイジャック犯とされる2~3名が,サンクルーズ・カジノのボートでギャンブルをしていた(セント・ピーターズバーグ・タイムズ,USAトゥデイ).
- 2001年9月7日――アタとマルワン・アルシェーヒはシャックスマンというフロリダのバーで「泥酔」しているところを目撃されている(セント・ピーターズバーグ・タイムズ).
- 2001年9月9日――11便のハイジャック犯とされる人物が,高級コールガールと寝ている(ボストン・ヘラルド).9月10日――ハイジャック犯とされる4名がボストンでひと晩の売春婦を探していた(ボストン・グローブ).
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by exod-US
| 2006-09-04 14:24
| BBC炎上:WTC7解体予告編事件