2006年 07月 13日
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)元首の金正日総書記はこの国家存亡の秋にどこに雲隠れしたのか?
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金正日が雲隠れして公式の場に姿を現さなくなるというのは今日に始まったことではない.North Korea Todayによると,1980年から2003年までの23年間に金正日が1ヶ月以上不在だった期間は62回もある.平均して1年のうち2.7回は雲隠れしていたことになる.最長は80年10月14日から81年5月18日までの217日間.80年10月の朝鮮労働党大会(この回を最後として以後開催されていない)で名実ともに金日成の後継者であると認められたはずの金正日はそれから217日間,新学期を恐れる不登校児のように姿を隠していた.
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6月23日付けの朝鮮日報は以下のように伝えている.
金正日総書記がロシア訪問か
(朝鮮日報,2006/06/23 11:22)
平壌を出発した特別列車が、北朝鮮の北東部で国境を越えるところが目撃されたと、北朝鮮関連の消息筋が22日伝えた。
消息筋は「金正日(キム・ジョンイル)総書記が利用するVIP用特別列車が国境を越えるところを見たという証言者が複数現れた」とし、「列車が通過した場所が新義州方面ではなく、北東方面であるところからして、金総書記がロシアを訪問するのではないかという観測が有力となっている。金総書記がロシアを訪問するとすれば、ミサイル発射問題などで深刻化している米朝関係などをめぐって協議するためではないか」と語った。
韓国政府のある関係者は、金総書記のロシア訪問説について「現時点では確認できる立場にないが、韓国政府でも情報を入手し確認作業を進めている」と語った。金総書記は2002年8月にロシアの極東地域を訪問した際にも特別列車を利用しており、また2001年にも特別列車でモスクワなどを訪問したことがある。 (イ・ハウォン記者)
ロシア当局者はこれらの報道を否定しているがどこにいるかは知らないと言明した.平壌からモスクワまで飛行機なら9時間で飛べる.キムは飛行機に乗らないことで知られているが,キムの2001年モスクワ訪問は往復24日間の長い長い汽車の旅になった.キムの乗った特別列車がどこかで消えてしまったという話もこれが始めてではない.今年の1月にキムが中国を訪れたときにも,一旦消息が途絶えたことがある※.このときは,世界中の報道機関が血眼で探し回り結局上海の電子街などをお忍びで視察しているということでチョンになったようだが,それより2年前,2004年の中国訪問は穏やかなものでは収まらなかった.
※この2006年1月の中国訪問はキムの大嫌いな飛行機が使われた模様だ.キムが飛行機が嫌いなのはもちろん高所恐怖症というより,飛行機テロを恐れたものと考えるのが素直だろう.実際1987年の大韓航空機機爆破事件は金正日無差別大量殺人者自身の指令による. キムの乗るお召し列車は時速40キロで走る防弾装甲の特別列車である.地雷排除用の先発列車が先行し,その後に警護兵の乗った車両で前後を防備された専用列車が走る.通過する各駅は厳重に警備され,事前に何段階ものしらみつぶしのチェックが行われる.このような厳重な警備に関わらず2004年4月22日午後1時平安北道龍川郡龍川駅で,金正日の乗る専用列車が通過した直後に161人が死亡,1300人余りが重軽傷を負うという大規模な爆発事故が発生した.北朝鮮当局の公式説明では「40トンの硝酸アンモニウム肥料を積んだ貨車と油類を積んだ貨車を交替連結する過程で事故が発生した」ということになっているが,明らかに金総書記をターゲットとする暗殺計画である.
この事件に関連して許チャンソクなど8名が逮捕され処刑された.許チャンソクは金正日の遠戚に当たり,金日成主席の核心側近であった許ダムの甥である.このときの中朝会談では,胡錦涛国家主席,江沢民中央軍事委員会主席、温家宝総理など指導部総出のもてなしを受けたが,金正日は中国側の期待を裏切って「核問題を譲歩しない」という立場を明確にし,中国最高指導部を失望させた.許チャンソクら親中国グループの体制転覆計画は中国最高指導部に伝達されその暗黙の支持ないし容認のもとに決行されたものと推定されている.
キムが姿を晦ましている理由については,『居場所が知られるとアメリカに「ピンポイント」で攻撃されるのを恐れて』とも言われている.6月25日に人民軍幹部らとともにロシア・モイセーエフ国立アカデミー民俗舞踊団の公演を鑑賞していたとの報道もあるが,一部にはミサイル乱射直前の3日と4日にロシア舞踏団を観覧し,平壌でタイヤ工場を現地指導したとするものもある.また別に,5日のテポドン2号発射前に北朝鮮高官の乗った特別列車が平壌から発射基地のある咸鏡北道花台郡舞水端里方面に向かっていたとする報道もある.
中には『金正日は現在約200名の軍関係者と地下要塞に退避している。この地下要塞は、厚さ2.5mのコンクリート壁で囲まれており、広島原爆の10倍のものでも耐えることができる。大型の長距離ヘリ3機が格納してあり、いつでも10分以内に発進できる。ヘリが発進する天井は、厚さ45cmの鋼鉄版で出来ていて、オペレーションは全てオート。200人が6ヶ月間生活できるだけの食料品が備蓄されている。』などという話もある.どこにいるにしても,今のところ金正日が軍をコントロールしていることは確かだろう.
一つだけ確実に言えることは,7月8日の金日成国家主席の12回忌に金正日が錦繻山記念宮殿を参拝しなかったという事実である.いや,一部には参拝はしているが身辺の安全のために公表しなかったのだとする向きもあるので訂正しておこう.少なくとも1994年の金主席逝去以来,北朝鮮のメディアが金総書記の錦繻山記念宮殿参拝を報じなかったのはこれが初めてである.ところで,金日成国家主席は1994年82歳で亡くなっているが,つい最近その死因についての驚くべきレポートのあることを初めて知った.
To be continued...
【追加リンク】
‘20 Days of Hiding’… Kim Jong Il Seeking Attention Again(The Daily NK)
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6月23日付けの朝鮮日報は以下のように伝えている.
金正日総書記がロシア訪問か
(朝鮮日報,2006/06/23 11:22)
平壌を出発した特別列車が、北朝鮮の北東部で国境を越えるところが目撃されたと、北朝鮮関連の消息筋が22日伝えた。
消息筋は「金正日(キム・ジョンイル)総書記が利用するVIP用特別列車が国境を越えるところを見たという証言者が複数現れた」とし、「列車が通過した場所が新義州方面ではなく、北東方面であるところからして、金総書記がロシアを訪問するのではないかという観測が有力となっている。金総書記がロシアを訪問するとすれば、ミサイル発射問題などで深刻化している米朝関係などをめぐって協議するためではないか」と語った。
韓国政府のある関係者は、金総書記のロシア訪問説について「現時点では確認できる立場にないが、韓国政府でも情報を入手し確認作業を進めている」と語った。金総書記は2002年8月にロシアの極東地域を訪問した際にも特別列車を利用しており、また2001年にも特別列車でモスクワなどを訪問したことがある。 (イ・ハウォン記者)
ロシア当局者はこれらの報道を否定しているがどこにいるかは知らないと言明した.平壌からモスクワまで飛行機なら9時間で飛べる.キムは飛行機に乗らないことで知られているが,キムの2001年モスクワ訪問は往復24日間の長い長い汽車の旅になった.キムの乗った特別列車がどこかで消えてしまったという話もこれが始めてではない.今年の1月にキムが中国を訪れたときにも,一旦消息が途絶えたことがある※.このときは,世界中の報道機関が血眼で探し回り結局上海の電子街などをお忍びで視察しているということでチョンになったようだが,それより2年前,2004年の中国訪問は穏やかなものでは収まらなかった.
※この2006年1月の中国訪問はキムの大嫌いな飛行機が使われた模様だ.キムが飛行機が嫌いなのはもちろん高所恐怖症というより,飛行機テロを恐れたものと考えるのが素直だろう.実際1987年の大韓航空機機爆破事件は金正日無差別大量殺人者自身の指令による.
この事件に関連して許チャンソクなど8名が逮捕され処刑された.許チャンソクは金正日の遠戚に当たり,金日成主席の核心側近であった許ダムの甥である.このときの中朝会談では,胡錦涛国家主席,江沢民中央軍事委員会主席、温家宝総理など指導部総出のもてなしを受けたが,金正日は中国側の期待を裏切って「核問題を譲歩しない」という立場を明確にし,中国最高指導部を失望させた.許チャンソクら親中国グループの体制転覆計画は中国最高指導部に伝達されその暗黙の支持ないし容認のもとに決行されたものと推定されている.
キムが姿を晦ましている理由については,『居場所が知られるとアメリカに「ピンポイント」で攻撃されるのを恐れて』とも言われている.6月25日に人民軍幹部らとともにロシア・モイセーエフ国立アカデミー民俗舞踊団の公演を鑑賞していたとの報道もあるが,一部にはミサイル乱射直前の3日と4日にロシア舞踏団を観覧し,平壌でタイヤ工場を現地指導したとするものもある.また別に,5日のテポドン2号発射前に北朝鮮高官の乗った特別列車が平壌から発射基地のある咸鏡北道花台郡舞水端里方面に向かっていたとする報道もある.
中には『金正日は現在約200名の軍関係者と地下要塞に退避している。この地下要塞は、厚さ2.5mのコンクリート壁で囲まれており、広島原爆の10倍のものでも耐えることができる。大型の長距離ヘリ3機が格納してあり、いつでも10分以内に発進できる。ヘリが発進する天井は、厚さ45cmの鋼鉄版で出来ていて、オペレーションは全てオート。200人が6ヶ月間生活できるだけの食料品が備蓄されている。』などという話もある.どこにいるにしても,今のところ金正日が軍をコントロールしていることは確かだろう.
一つだけ確実に言えることは,7月8日の金日成国家主席の12回忌に金正日が錦繻山記念宮殿を参拝しなかったという事実である.いや,一部には参拝はしているが身辺の安全のために公表しなかったのだとする向きもあるので訂正しておこう.少なくとも1994年の金主席逝去以来,北朝鮮のメディアが金総書記の錦繻山記念宮殿参拝を報じなかったのはこれが初めてである.ところで,金日成国家主席は1994年82歳で亡くなっているが,つい最近その死因についての驚くべきレポートのあることを初めて知った.
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by exod-US
| 2006-07-13 15:12
| 金正日ミサイル乱射事件