角川春樹とは、日本の出版人、実業家、編集者、映画監督、俳人である。角川書店(現:KADOKAWA Future Publishing)第2代代表取締役社長、出版社『角川春樹事務所』代表取締役会長兼社長。
1942年富山県生まれ。父親の角川源義が出版社『角川書店』を創設し、後に春樹も角川書店に入社する。
父・源義が健在の頃は出版社社長かつ国文学者であった父の方針でポルノ、漫画、芸能関連の参入は禁止されており、春樹は海外文芸の翻訳『いちご白書』や『ある愛の詩』でヒットを生み出す。また父の信賞必罰のため、ヒットした場合は昇進させたり役職に就かせるが、大損した場合は即座に降格させられたという。紆余曲折もあったが専務に就任し後継者としての地位を固めた。
父の死後、角川書店の代表取締役社長となり、父親が手を出さなかった路線を突き進むことになる。角川文庫を映画にあわせ両輪で宣伝しメディアをジャックする映画メディアミックスを推し進め、半ば引退状態だった横溝正史を復活させることにもなった。映画の成功により、芸能事務所や映画興業のための拠点『角川春樹事務所』(旧社)を設立するなど1980年代にかけて大成功を収めている。代表的なヒット作品は『犬神家の一族』、『セーラー服と機関銃』、『時をかける少女』、『ねらわれた学園』、『戦国自衛隊』など。アニメ方面でも火の鳥のOVAや映画版の製作を務め手塚治虫と対談している。また1989年公開の『ファイブスター物語』のクレジットにも製作総指揮として名前を連ねている。
社長時代の出版方面の功労としては角川ホラー文庫や1980年代当時流行っていた伝奇小説を角川でも施行しようという指示から富士見ファンタジア文庫の創刊の功労者でもあった。
自身が映画監督を務めるなど映画に注力していたこともあり、本社を長期で空けることもあったとされ弟の歴彦に任せていたが、1980年代になるとTV局が映画メディアミックスを推し進めたため角川映画にも陰りが見え始める。大作『天と地と』では数十億という巨額の製作費と自身も脚本を務めるなど力の入れようであったが大赤字となってしまう。その他ハリウッド事業など、本人曰く海外ブローカーに騙されたとのことだが、巨額の赤字を抱え、映画・芸能プロ事業を担っていた角川春樹事務所の撤退する流れとなる。
角川書店では事業承継のこともあり、春樹自身の子息を入社させることが既定路線となっていたが、子息の入社後すぐに子息が歴彦派を糾弾し始めたためお家騒動が勃発してしまう。『最後の角川春樹』において、春樹曰く、映画事業の傾き後、書店や取次から歴彦からのクーデターの噂があったが副社長に据えたとの事だが、瀬島龍三の仲介依頼については述べたが追放の詳細は述べていない。
結果として、弟の歴彦をはじめ歴彦派の人間が角川グループから退社し、新会社『メディアワークス』を設立するが、春樹始め角川書店は退社組に敵対的な立場を取り続けた歴彦が立ち上げたザテレビジョン社は残留したが、ザテレビジョン社が発行していたニュータイプの編集長だった井上伸一郎曰く、春樹からは業務について口出しはされなかったとのことである。
1993年には突如部下が逮捕された。アメリカで購入していた猥褻ビデオが帰国時に空港で発見され、それを機に身体検査が行われたところ隠していたコカインが発見されたのである。そして部下の証言をもとに春樹の所有するマンションが捜索されたところ、大麻が発見されてしまう。そしてこれらのブツについて「春樹の指示で部下がアメリカで買い付けてきたもの」という証言が得られたため、麻薬及び向精神薬取締法違反・大麻取締法違反・関税法違反の罪で、そしてそれらのコカインや大麻などの購入資金を会社の金から出していたとして業務上横領の罪で、春樹は社長在任中に逮捕されてしまった。警察の捜査にて春樹の毛髪からはコカインの反応が検出されたため、自ら使用するための密輸であったと疑われた。『最後の角川春樹』での告白では使用の罪については認めているが、部下に命じたとされた事や横領については現在も否認している。
逮捕後、取締役会から社長を解任され、弟・歴彦に角川書店復帰を仲介者を挟んで依頼したとされる。
歴彦が出した条件により角川書店の株式を売却し、取締役からも退任し角川書店とは関係を解消した。
1994年に保釈後、裁判が続く中、角川書店の株式を売却した利益で出版社『角川春樹事務所』を設立する。角川書店時代の部下も数人合流している。発行コードが無かったため、出版部門を持つ紀伊國屋書店の協力を得て発行コードを取得し出版した。(紀伊國屋書店は歴彦のメディアワークスにも協力している。)
角川書店が他社に売却していた、ファッション誌『ポップティーン』を買い取り刊行、角川書店の文芸路線を引き継ぎ、『ハルキノベルス』、文庫レーベル『ハルキ文庫』『ハルキホラー文庫』なども刊行。『時をかける少女』の実写映画の監督・製作も1997年に務めている。
その後、検察のストーリーに不満を持ち弁護士の助言から否認を貫き通したため、裁判は長期化し2000年に最高裁判所で上告が棄却され、執行猶予なしの懲役4年の実刑が確定した。(法廷で検察と争わなければ執行猶予も取れたとのことである)
収監されるために同年に角川春樹事務所の代表取締役社長を退任し特別顧問に就任。その後2004年に仮出所する。(2009年に社長復帰)
出所後は会社としても映画事業を再開させ、2009年までにかけて『男たちの大和』、『神様のパズル』、『笑う警官』などを興行し製作総指揮を務め、『笑う警官』では監督脚本まで務めた。笑う警官で観客動員を一定数まで越えなければ映画を辞めると明言していたとされるが10年後の2020年に『みをつくし料理帖』において監督・脚本・製作に復帰している。
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最終更新:2024/12/23(月) 20:00
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