源為朝(鎮西八郎)とは日本の源平時代の武将(1139 - 1170)、ジャパニーズ呂布、FFTのオルランドゥクラスのバランスブレイカー、平安時代のモビルスーツである。
源為義の子として生まれる。兄の義朝とは違い母は遊女で、いわゆる庶子だったという。
性格は勇猛で傍若無人、協調性ゼロの荒くれ者で親兄弟に対してもその姿勢は変わらなかったという。
武者らしい体つきで身長は七尺(約2m7cm)、弓の名手で長きにわたって弓を引き続けた結果、左腕だけ右腕より4寸(12cm)も長いという異形と伝えられる。
その荒くれ者が大人しくする訳もなく幼少期より暴れまわり、13歳の時、ついに父・為義から勘当され九州は鎮西に追放される。
が、追放されても荒くれ者は荒くれ者。「鎮西惣追捕使」「鎮西八郎」と勝手に名乗り九州で大暴れ。
わずか3年後には九州の諸豪族を従える一大勢力になってしまった。
とばっちりを受けたのは九州地元民だけではない。父・為義も朝廷に息子の狼藉を責められ、官位剥奪の憂き目に遭う。
大人しくさせるはずが逆によそに迷惑をかけてしまう息子に為義は頭を抱えたことだろう。
大丈夫、あなたは悪くない。息子さんが規格外なだけです。
一度目(久寿元年・1154年)の朝廷の出頭命令には従わなかった為朝だが、翌年に父が解官されると流石に悪いと感じたのか九州の強者を率いて出頭することにした。
当時の京都は崇徳上皇と後白河天皇の勢力争いの最中。為朝上京の翌年(保元元年・1156年)に治天の君(当時の最高権力者みたいなもの)の鳥羽法皇が崩御すると両者の対立は決定的となり為朝ら源氏もその勢力争いに巻き込まれることとなる。
上皇方に父・為義と為朝、天皇方に兄・義朝と源氏が真っ二つに割れたのである。(保元の乱)
上記の通り為朝は豪勇で有名であり、保元の乱は彼がらみの武勇伝のオンパレードである。以下にいくつかの逸話を挙げる。
為朝の奮戦もむなしく保元の乱は上皇方の敗北に終わった。
父・為義は出頭するも斬首。為朝は1か月もの間逃亡したが、途中で病にかかり更には密告されたことで捕えられてしまう。
捕えられたものの、その武勇を惜しまれた為朝は助命されることとなる。
ただし二度と弓が引けぬよう腕の腱は切られ伊豆大島へと流罪となった。
しかし腕の傷が治ると5人張りの弓は引けないものの3人張りの弓は引けるまでに回復。
しかももともと長かった腕が更に伸び、命中精度が更に上がった。二度と弓を引けないようにしたら更に強くなってしまっていた。な・・・何をいっているk(ry というポルナレフ状態になってしまう。
そんな化け物が弓を引けるようになって何も起こさないわけがない。
鬼の子孫の住む島を攻め落としたり、島の代官の婿になり年貢を滞納。代官が勝手に年貢を納めれば指を切り落とす。最終的に伊豆七島を統一する等の傍若無人さを見せつけた。
結局為朝の乱暴狼藉に耐えかねた伊豆のもともとの領主の訴えにより嘉応2年(1170年)、為朝追討軍が派遣された。その数は船20艘、兵500余騎にも及んだという。
討伐軍が海を渡るのを見た為朝は観念して息子を殺害。自身も死のうとしたが、せめて死ぬ前に一矢と渡海してくる軍船に向かって矢を放った。するとその矢は見事命中。兵300人を乗せた船はたちまち沈没した。
その結果に「矢一本で大勢殺したか」と満足した為朝は日本史上初のHARAKIRIによって自害した。
ぶっちゃけそのまま抵抗してたら勝ってたんじゃないだろうか
同じ源氏の源義経に生存してチンギス・ハーンになったという伝説があるように、為朝にも琉球に渡ってその子が琉球王(舜天)となったという説がある。
これは琉球正史『中山世鑑』や琉球の歌謡集『おもろさうし』に記されているもので、真偽はともかく大正時代には為朝上陸の石碑が建てられた。なお、伊豆大島に流される途中の出来事とされており、生存説というわけではない。琉球で得た妻子を伴って琉球を離れようとすると海が荒れてしまうため、泣く泣く琉球に妻子を残して一人旅立った、ということになっている。
この説は滝沢馬琴の為朝を主人公とした読本『椿説弓張月』にも採用され今に伝えられている。
御覧の通り源為朝の逸話には化け物じみたものが多い。
無論、その全てが史実とは言い難く、後世の『保元物語』や『椿説弓張月』によって脚色されたものがほとんどである。
例えば「保元の乱」の項で述べた夜襲の話は源為朝を源義平に、藤原頼長を藤原信頼に変えた形で『平冶物語』にも収録されている。
しかし逸話のほとんどが嘘であっても決して為朝が凡将であったということには結びつかず、むしろ史実の為朝が猛将であったからこそフィクションが生まれやすいと考えるべきである。
掲示板
132 ななしのよっしん
2022/07/04(月) 21:16:04 ID: pFp7gaAm+O
普通に初見で読めるが
初見で読めない名前と言ったら十河存保さんに勝るものはないだろ
133 ななしのよっしん
2022/07/04(月) 22:49:58 ID: OXUD7OyjnF
日本史で知名度上位の頼朝からあさじゃなくともと読むのは分かるし為も難しくないからむしろ読める人多い方だよね
134 ななしのよっしん
2023/01/14(土) 08:02:58 ID: LxoYy3826j
攻撃面だけでなく、信西からの挑戦で滝口の武士2人相手に至近距離で計4射をかわした椿説弓張月の挿話も興味深い。先の2射は両手で一矢づつ掴み、後の2射は一矢は衣の裾を射抜かせて止め、もう一矢は口で矢柄を咬んで止めた。
「弓の名人は敵の矢を避けることも名人」と言われるが、かわした挿話はほとんど聞かない。
聞いたほかの例は、物語になるが、水滸伝の花栄と三国志演義の姜維がいずれも撃たれた矢をつかみ取って射返して相手を倒している。
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最終更新:2025/01/01(水) 08:00
最終更新:2025/01/01(水) 08:00
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