新井貴浩 単語

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新井貴浩(あらい たかひろ1977年1月30日-)とは、広島県出身の元プロ野球選手内野手)である。2023年からは広島東洋カープの一軍監督を務める。

広島二軍打撃コーチを務める新井良太は実である。

概要

生い立ちとプロ入り前

広島満の野球一家に生まれる。広島工業高校甲子園すも自分がレギュラーの年には出られなかった(1年の頃スタンド応援していた)。高校3年生の時には広陵高校に在籍していた福原忍二岡智宏らと対戦したことがある。その後駒澤大学に進学する。

大学通算本塁打はわずか2本で、守備も下手だったため、ドラフトにかかるレベルではなかったが、大学先輩である野村謙二郎の自宅に突撃しアピールしたのが野村に留まり、新井推薦したためドラフトにかかったらしい。1998年ドラフト6位で広島東洋カープに入団した。

広島時代

1999年から出場機会を掴むと、2001年から三塁手レギュラーに定着。

2005年には43本塁打を放ち本塁打王を獲得したが、一方でこの当時からネタ成分の非常に強い選手であり、守備の粗さから「粗ゐ」と山本浩二監督にすらネタにされていた。

2007年まで広島の中心選手として活躍していた。

阪神時代

2007年オフFA宣言し、兄貴と慕う金本知憲のいる阪神タイガースに移籍(阪神移籍時参照)。この時の迷言により、「辛いさん」と呼ばれるようになる。

2008年は前半好調だったが、後に骨折が発覚した。にも関わらずわしによって北京五輪の代表に召集されも悪化し、後半戦を棒に振る。移籍一年は8本塁打、56打点と期待に応えたとは言い難かったが、ゴールデングラブ賞を初めて受賞した。


2009年は、日本プロ野球選手会会長に就任するも、不振にあえぎフルイニング出場を続けるが、打撃成績は打率.260、15本塁打、82打点と期待を裏切り、Bクラス転落の戦犯の一人となった。


2010年チーム打線が全体的に大爆発。1番マット・マートン、2番平野恵一が共に残した3割5分近い打率に応える形で、打率.311100打点記録金本知憲フルイニング出場ストップ以降4番に座り続け結果を出した。


2011年東日本大震災発生後、選手会長として、開幕延期を訴え続けた。シーズンでは打点王を獲得。


2012年、リー兄弟以来の兄弟アベックホームランを達成。しかしこの年は打撃不振に陥り、「新井が悪い」といわれることが多くなった(人物・評価参照)。


2014年は新外国人マウロ・ゴメス一塁手レギュラーになり、新井は三塁を守ったりするなどするが、出場機会が大幅に減り、代打出場が多かった。オフに出場機会をもとめて自由契約になる。その後、古巣の広島への復帰が決まった。

広島復帰後

2015年は開幕から故障の代打での出場が続いていたが、次第に4番でのスタメン出場が増える。後半戦にはレギュラーに定着し、規定打数に到達し打率.275、7本塁打、57打点記録した。オフ背番号を25に変更した。通算2000本安打まであと29本、通算300本塁打まであと13本とした。


2016年4月26日東京ヤクルトスワローズ戦で史上47人の通算2000本安打を達成。8月2日東京ヤクルトスワローズ戦にて史上42人の通算300本塁打を達成。打撃好調を後半戦も維持し、広島の25年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献し、MVPベストナインを受賞した。


2017年は控えに回るも代打の切り札として100試合に出場。7月19日阪神戦で通算2284試合を達成し、山本浩二に並んだ。


2018年9月5日に現役引退を表明した。8月初頭に球団社長石原慶幸に伝え、球団から慰留をめられてはいたが、若手選手が育ってきていることや、今後のチーム事情を考慮して「引退するなら今がいい」と考えての決意だったという。日本シリーズまで代打として出場したが、日本シリーズでは福岡ソフトバンクホークスに1勝4敗1分で敗れ、日本一味わうことはないまま現役生活を終えた。25番は新井移籍前から背負っていた高橋大樹に返還されず「永久預かり」となり、新井がふさわしいとする後継者が出るまで欠番となる。

引退後

RCC野球解説者野球評論家を務める。なお2019年は現役選手ではなくなっていたが、薩摩行を行っていた。

広島監督時代

2022年10月7日広島東洋カープ監督に就任することが発表された。背番号永久預かりとなっていた25ちなみに永久欠番の15を要したらあっさり黒田本人から許可が取れたとか

2023年は74勝65敗でリーグ2位だった。クライマックスシリーズではDeNAを下したが、ファイナルステージでは阪神に3連敗して敗退した。

2024年9月まではリーグ首位に立っていたが、9月セ・リーグワーストタイ記録となる20敗を喫し、一気に4位に転落。復調することがないままシーズンを終えた。

阪神移籍時

2006年黒田博樹が生涯広島宣言。このとき新井もそれに関して発言したようだが、マスコミによって「生涯広島宣言」と解釈されてしまう。新井がこの時どう思っていたかは不明である(ファンからは「広島を出ることはない」と思われていたようである)。

そのため2007年オフ阪神タイガースに移籍する際、当然広島ファンから猛な反発があった(ちなみに、広島が提示した年俸は阪神より高かったとか…金に特にうるさい事に定評のある広島が他球団より高い年俸を提示するなんてことは余程の実績を持たない限り考えられないことである)。
また会見で「辛いです。カープが好きだから」「FAなんて(制度)なければよかったのに」などとを流しながら発言したことでむしろ広島ファンの心を逆撫で。

この間、新井ユニホームを着ていたという歴史抹消された。またこの逸話により、彼のあだ名として「辛いさん / ツライ」が定着することとなった。

※なお、生涯広島宣言をしながら新井と同じ2007年オフメジャー移籍で渡した黒田が大きく非難されなかったのは、残留を願う横断幕を見た事(と黒田病気)で4年契約+メジャー挑戦権オプション付の形にて一応残留を決めた事と、の死去後メジャー挑戦権行使を表明した際にもFAで他球団に入ることはないと宣言、日本復帰するならカープしか考えていないと表明していた面があったからである。

2015年黒田ともども古巣の広島へ復帰することとなり、阪神移籍によって抹消されていた歴史復活した。
なおカープ側は新井の再復帰に前向きで、自由契約後から呼びかけがあったと新井の自著などに記されている。

プレースタイル

パワフルな打撃が持ち味で2000年2007年本塁打二桁を記録しており、特に2005年本塁打数43本を放ち、ホームラン王いた。

守備位置はサードファースト広島入団当初は外野を守ることもあった。2008年シーズンファーストメインで出場した結果一塁手としてゴールデングラブ賞を獲得している。本人はサードメインとしたいようであるがエラーの数はかなり多く、苗字と掛けて「粗い」「粗いさん」というニックネーム野球板などで付けられていた。
なお、広島在籍当時監督をしていた山本浩二もこのニックネームで呼んでいた。

人物・評価・エピソード

応援歌

球団 レス No プレイヤー
広島 応援歌のピコカキコ一覧#539 10082
10082
阪神 応援歌のピコカキコ一覧#187 8812
8812

余談だが、ここに載っている広島時代の応援歌2000年から使われ始めた2代目だったりする。

成績

年度別打撃成績









































1999年 広島 56 105 95 14 21 2 1 7 14 1 1 0 8 1 31 2 .221 .288
2000年 92 233 208 26 51 6 0 16 35 3 0 2 18 5 54 6 .245 .318
2001年 124 354 313 38 89 12 0 18 56 2 1 1 36 3 86 11 .284 .363
2002年 140 559 512 63 147 28 2 28 75 1 0 3 38 6 124 17 .287 .342
2003年 137 537 488 58 115 20 2 19 62 2 1 3 39 6 120 16 .236 .299
2004年 103 294 262 36 69 10 1 10 36 3 0 1 29 2 55 4 .263 .340
2005年 142 587 541 91 165 30 1 43 94 3 1 3 37 5 126 16 .305 .353
2006年 146 611 566 78 169 23 2 25 100 1 0 9 32 4 117 14 .299 .336
2007年 144 619 556 84 161 22 0 28 102 1 0 7 55 1 136 17 .290 .351
2008年 阪神 94 410 366 54 112 22 4 8 59 2 0 4 35 5 83 7 .306 .371
2009年 144 599 558 68 145 32 1 15 82 4 0 7 28 6 82 20 .260 .299
2010年 144 641 570 96 177 42 0 19 112 7 0 8 52 11 89 19 .311 .374
2011年 144 602 550 68 148 25 3 17 93 5 0 7 41 4 106 20 .269 .321
2012年 122 493 460 46 115 25 0 9 52 1 0 2 30 1 85 12 .250 .296
2013年 140 548 476 60 127 20 0 15 70 2 0 7 60 5 110 17 .267 .350
2014年 94 194 176 13 43 6 0 3 31 0 0 1 15 2 33 6 .244 .309
2015年 広島 124 476 426 52 117 22 2 7 57 3 0 4 48 2 73 15 .275 .349
2016年 132 513 454 66 136 23 2 19 101 0 0 4 54 1 101 12 .300 .372
2017年 100 288 243 36 71 14 0 9 48 2 0 4 40 1 56 7 .292 .389
2018年 63 132 114 7 25 3 1 4 24 0 0 4 14 0 26 4 .219 .295
NPB:20年 2383 8799 7934 1054 2203 387 22 319 1303 43 4 81 709 71 1693 242 .278 .339

国際大会での打撃成績

年度 代表 大会 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
2006年 日本 WBC 2 3 3 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .333 .333
2008年 五輪 9 38 35 4 9 1 2 1 7 0 0 1 1 1 7 1 .257 .289

通算守備成績

機構 守備位置 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
NPB 一塁手 1055 7807 662 35 619 .996
三塁手 1163 709 1948 139 132 .950
外野手 41 37 3 1 1 .976

タイトル・表彰・その他

タイトル
最多本塁打 1回 2005年
最多打点 1回 2011年
最優秀選手 1回 2016年
ベストナイン一塁手 2回 2005年2016年
MVP 1回 2005年6月
ゴールデングラブ賞一塁手 1回 2008年
オールスターゲームMVP 1回 2013年第2戦
その他
オールスターゲーム出場 8回 2002年2005年2007年2008年2013年2015年-2017年
全球団から本塁打 - 2008年5月14日

年度別監督成績

年度 球団 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 備考
2023年 広島 2位 143 74 65 4 .532 クライマックスシリーズ敗退
2024年 4位 143 68 70 5 .493
NPB:2年 286 142 135 9 .513 Aクラス:1回、Bクラス:1回

関連動画

広島時代(1999年~2007年)

阪神時代(2008年~2014年)

広島時代(2015年~2018年)

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