西岡剛(大物、1984年7月27日-)とは、大阪府出身のプロ野球選手(内野手)である。現在は北九州下関フェニックスの選手兼任監督を務める。
北九州下関フェニックス #7 選手兼任監督 |
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西岡剛 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府 |
生年月日 | 1984年7月27日 |
身長 体重 |
185cm 79kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投両打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 2002年ドラフト1位 |
経歴 | |
選手歴
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国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
五輪 | 2008年 |
WBC | 2006年 |
プロ野球選手テンプレート |
大阪桐蔭高校から2002年にドラフト1位で千葉ロッテマリーンズに入団。背番号7。
2年目となる2004年から高橋慶彦コーチとスイッチヒッターに挑戦し一軍で63試合に出場する。
そしてプロ入り3年目にして一軍定着レギュラーへ、セカンド・ショート併用で122試合に出場する。
ショートが小坂誠の時はセカンドへ、セカンドが堀幸一の時はショートで出場して大活躍した結果、ベストナインをショートで、ゴールデングラブ賞をセカンドで獲得することになる。
また、この年に41盗塁で盗塁王も獲得した。
この年、2005年の31年ぶり日本一の立役者の一人として不動のレギュラーとなり、以後チームの主力選手となる。
2006年には第1回WBC日本代表に選ばれ初の国家代表入りを果たす。
大会では8試合で打率.355本塁打2打点8盗塁5と大活躍(※)し、優勝に貢献した。
※世紀の大誤審と言われたタッチアップでは問題の走者だった。グラウンドでは見苦しい抗議はしなかったが、ロッカールームでは(敗戦の怒りもあり)荒れていたようである。
2007年には新庄剛志に登録名について相談。結果、登録名を「TSUYOSHI」に変更するが、最終的には「TSUTAYA」などと呼ばれネタにされるなどあまり意味は無かった(それでも成績は自身初の打率3割をマークした)。
2008年は登録名を元に戻し、北京五輪や怪我で116試合ながら連続3割と初の2桁ホームラン。
またチームとしては不調だった北京オリンピックでも打率.455本塁打1打点4盗塁2と気を吐いた。
しかし北京で怪我を悪化させ帰国後もクライマックスシリーズを目指し怪我をおして出場した結果、2009年のWBCでは原辰徳監督からコンディションを不安視され、まさかの代表落選となった。
WBC日本代表に並々ならぬ決意を持っている選手の一人なので落選通知が来た時は部屋で荒れたようだ。
その後「この悔しさは絶対に忘れません、自分を選ばなかったことを後悔するくらいの活躍をしたい」とコメント。
2009年は気持ちが結果につながらず苦しいシーズンとなった。そんな中、監督の去就やフロントのお家騒動が起こる。
シーズン終盤、過激なサポーター団体「MVP」が球団幹部を名指しで「死ね」等の誹謗中傷の横断幕・ゲートフラッグを掲げた為、ヒーローインタビューで
「僕自身もそうなんですけど、選手全員も一生懸命プレーしようとしてるし、僕自身ロッテに入ってファンの応援を見てこのチームがすごい好きになりました。ライトスタンドで本当に批判があったり色々んな横断幕が出たり、非常に僕ら選手もそういう状況にさせてしまったという責任があります。今日も野球少年がいっぱい来てると思います。選手1人1人のプレーを見て夢を描く子供達もいると思うし、スタンドの歓声を聞いて大人になったらこういう所でプレーをしたいと思って頑張っている子供達もいます。その子達の夢を崩さないでください。僕自身も今年こういう成績でこういうことを言える立場ではないんですけど、1人の人間として間違ってるものはあると思うので、もう一度選手1人1人も考え直して、このチームをもっともっと強くしたいと思うし、そのためにはファンの皆さんの応援もすごい必要となるので、本当にロッテを愛してるのであれば明日から横断幕を下げてほしいと思います。明日からまた応援よろしくお願いします。」
と涙ぐみながら訴えた。
しかし、翌日の試合ではMVPから応援どころかブーイングを受け、西岡をターゲットにした誹謗中傷の横断幕・ゲートフラッグが掲げられた。そのような状況でも気持ちを乱すことなく試合で活躍し、試合後のブログで「自分への批判は覚悟しているので怒っていませんから協力してください」と呼びかけた。
この件については他球団のファンも関心を持ったようで、西岡の行動を賞賛する者も少なくなかった(なお、当のMVPはその後他のロッテファンから干され、最終的にシーズン終了後消滅した)。
2010年はキャプテンとなった。9月にはシーズン21回目の猛打賞を達成し、球団記録を更新。その後9月25日のオリックス・バファローズ戦でパ・リーグではイチロー以来、スイッチヒッターとして初のシーズン200本安打と、27回目の猛打賞(新記録)を達成。最終的にはスイッチヒッターとして4人目の首位打者、最多安打のタイトルを受賞した。
2010年シーズンオフにポスティングシステムによるメジャー移籍を申請し、ミネソタ・ツインズが交渉権を獲得。12月17日に契約を結んだ。背番号1。
2011年はスプリング・トレーニングで結果を残し、開幕スタメンの座を勝ち取ったが、二度の故障離脱により68試合の出場に終わった。しかも米国のメディアからLeast Valuable Player(最低の選手)、One Hitter from Each MLB Team Who Drives Fans Crazy(ファンを怒らせた選手)に選ばれるオマケ付き。
メジャーにおける日本人内野手の評価を更に下げた(尤も、福留孝介の不調などなどで元々低かったが)原因なのは言うまでもない(なお、このとばっちりを受けたのが、2012年にヤクルトからミルウォーキー・ブルワーズへメジャー移籍した青木宣親で、入団前に首脳陣からプレーチェック(入団テスト)をさせられるハメになった)。
ちなみにツインズは2010年は地区優勝しているが、2011年は最下位に終わっている。
更には3月のツインズの春期キャンプ中に元グラビアアイドルを呼び、お楽しみ行為をしていたことが発覚。
(妻の徳澤直子がこの時期に妊娠中であったのに。)
また徳澤直子自身は安定期に入ってから渡米する予定であった、英会話や料理を勉強するなど西岡を献身的に支えるつもりであったにも拘わらず、この西岡の背信行為が決め手となり離婚することが決定。
2012年は開幕をマイナーで迎え、3Aでも大した成績を残せず、8月に一週間だけ昇格したが3試合で12打数無安打。降格するとその後はマイナーでシーズンを終え、オフに契約解除を申し出てツインズを退団した。
2011年のオープン戦で活躍した頃、zakzakが「ツインズは金塊を探し当てたかも」と報じたが、その後の結果はこの通りだったため、ネット上では揶揄をもって「金塊」(俗にミネソタの金塊。ミネソタのアレとも)と呼ばれることになった。
ツインズを退団すると、まだ28歳と若いこともあって阪神タイガース、千葉ロッテマリーンズ、オリックス・バファローズが獲得に名乗りを上げ争奪戦となり、最終的に阪神に入団が決まった。背番号は7。
2013年は一番セカンドのレギュラーを獲得し、122試合に出場。ベストナイン(二塁手)を獲得した。
2014年3月30日の読売ジャイアンツ戦で、大竹寛の放った打球を追いかけ、福留孝介と衝突。後頭部から人工芝に落下してしまう。阪神ファンのみならず巨人ファンからも声援を送られ、救急車で球場を後にした。診断の結果幸い脳は無事だったが、左肩の脱臼、左右の肋骨の骨折、鼻骨骨折が判明。全治不明の中でリハビリを続け、6月27日の中日ドラゴンズ戦で復帰したが、その後痛みが再発し抹消。だがクライマックスシリーズには1番サードで出場。そしてそのまま日本シリーズにも出場するが・・・→サヨナラ守備妨害
2015年は三塁手として開幕を迎える。5月14日の東京ヤクルトスワローズ戦で通算1000試合出場を達成。しかし右肘の骨挫傷の発症で長期離脱し、50試合に終わった。
2016年は二塁手のレギュラーに定着していたが、7月20日の巨人戦で左アキレス腱断裂の重傷を負い、この年も55試合に終わる。オフに糸井嘉男がFA移籍することになり、背番号7を譲り、2017年からは5に変更することになった。
2017年7月17日の中日ドラゴンズ戦で戦線復帰。1番一塁手で先発出場し、第3打席で復帰後初安打を放った。守備においてはランディ・メッセンジャーを落ち着かせ、勝利に貢献した。
2018年は25試合に留まり、戦力外通告を受けた。しかし球団の発表よりも先にinstagramのアカウントで報告していた。その後12球団合同トライアウトを受けた。
2019年3月12日にベースボール・チャレンジ・リーグの栃木ゴールデンブレーブスに入団した。背番号は1。
2022年からは九州アジアリーグに参入する福岡北九州フェニックスの選手兼任監督を務める。背番号は7。
球団 | レス | No | プレイヤー |
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ロッテ | 応援歌のピコカキコ一覧#135 | 8728 | |
阪神 | 応援歌のピコカキコ一覧#274 | 9148 |
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
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2003年 | ロッテ | 7 | 11 | 9 | 3 | 3 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | .333 | .455 |
2004年 | 63 | 232 | 212 | 32 | 52 | 8 | 2 | 6 | 35 | 8 | 2 | 2 | 14 | 2 | 37 | 2 | .255 | .304 | |
2005年 | 122 | 493 | 447 | 80 | 120 | 22 | 11 | 4 | 48 | 41 | 6 | 4 | 31 | 5 | 51 | 6 | .268 | .320 | |
2006年 | 115 | 485 | 426 | 58 | 120 | 20 | 7 | 4 | 27 | 33 | 4 | 3 | 49 | 3 | 61 | 6 | .282 | .358 | |
2007年 | 130 | 559 | 494 | 76 | 148 | 31 | 3 | 3 | 40 | 27 | 7 | 4 | 50 | 4 | 73 | 3 | .300 | .366 | |
2008年 | 116 | 522 | 473 | 78 | 142 | 26 | 6 | 13 | 49 | 18 | 4 | 2 | 36 | 7 | 68 | 3 | .300 | .357 | |
2009年 | 120 | 531 | 454 | 70 | 118 | 24 | 5 | 14 | 41 | 26 | 3 | 2 | 67 | 5 | 76 | 6 | .260 | .361 | |
2010年 | 144 | 692 | 596 | 121 | 206 | 32 | 8 | 11 | 59 | 22 | 8 | 5 | 79 | 4 | 96 | 8 | .346 | .423 | |
2011年 | MIN | 68 | 240 | 221 | 14 | 50 | 5 | 0 | 0 | 19 | 2 | 3 | 0 | 15 | 1 | 43 | 1 | .226 | .278 |
2012年 | 3 | 14 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | .000 | .071 | |
2013年 | 阪神 | 122 | 549 | 497 | 57 | 144 | 28 | 3 | 4 | 44 | 11 | 0 | 6 | 45 | 1 | 65 | 6 | .290 | .346 |
2014年 | 24 | 46 | 38 | 6 | 9 | 3 | 1 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 7 | 0 | 6 | 0 | .237 | .356 | |
2015年 | 50 | 196 | 172 | 20 | 45 | 8 | 0 | 2 | 14 | 1 | 0 | 1 | 22 | 1 | 21 | 5 | .262 | .347 | |
2016年 | 55 | 205 | 190 | 16 | 56 | 7 | 1 | 0 | 15 | 6 | 0 | 0 | 13 | 2 | 25 | 5 | .295 | .346 | |
2017年 | 32 | 100 | 92 | 6 | 21 | 4 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | 0 | 7 | 1 | 17 | 0 | .228 | .290 | |
2018年 | 25 | 43 | 40 | 4 | 5 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 10 | 0 | .125 | .186 | |
NPB:14年 | 1125 | 4664 | 4140 | 627 | 1191 | 218 | 47 | 61 | 383 | 196 | 35 | 29 | 425 | 35 | 607 | 50 | .288 | .357 | |
MLB:2年 | 71 | 254 | 233 | 14 | 50 | 5 | 0 | 0 | 20 | 2 | 3 | 1 | 16 | 1 | 44 | 1 | .215 | .267 |
年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2019年 | 栃木 | 59 | 298 | 186 | 49 | 63 | 16 | 2 | 7 | 41 | 7 | 0 | 1 | 49 | 2 | 29 | 4 | .339 | .479 |
2020年 | 13 | 45 | 33 | 10 | 10 | 2 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | 3 | 0 | .303 | .467 | |
2021年 | 43 | 123 | 107 | 17 | 35 | 4 | 0 | 0 | 8 | 6 | 0 | 0 | 16 | 0 | 11 | 1 | .327 | .415 | |
2022年 | 北九州 | 25 | 56 | 54 | 10 | 16 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | .296 | .321 |
BCL:3年 | 115 | 406 | 326 | 76 | 108 | 22 | 2 | 8 | 54 | 13 | 0 | 2 | 72 | 2 | 43 | 5 | .331 | .453 | |
KAL:1年 | 25 | 56 | 54 | 10 | 16 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | .296 | .321 |
年度 | 代表 | 大会 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006年 | 日本 | WBC | 8 | 38 | 31 | 7 | 11 | 0 | 1 | 2 | 8 | 5 | 0 | 1 | 6 | 0 | 4 | 0 | .355 | .613 |
2008年 | 五輪 | 8 | 27 | 22 | 6 | 10 | 1 | 0 | 1 | 4 | 2 | 0 | 0 | 6 | 1 | 2 | 2 | .455 | .636 |
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 一塁手 | 1 | 9 | 3 | 0 | 0 | 1.000 |
二塁手 | 266 | 471 | 706 | 15 | 118 | .985 | |
三塁手 | 57 | 28 | 82 | 8 | 6 | .932 | |
遊撃手 | 733 | 1066 | 2182 | 76 | 413 | .977 | |
外野手 | 11 | 18 | 0 | 2 | 0 | .900 | |
MLB | 二塁手 | 9 | 16 | 25 | 4 | 13 | .911 |
遊撃手 | 60 | 96 | 172 | 10 | 33 | .964 |
タイトル | ||
---|---|---|
首位打者 | 1回 | 2010年 |
最多安打 | 1回 | 2010年 |
盗塁王 | 2回 | 2005年、2006年 |
表彰 | ||
ベストナイン | 4回 | 2005年、2007年、2010年、2013年 |
ゴールデングラブ賞 | 3回 | 2005年、2007年、2010年 |
月間MVP | 3回 | 2005年3・4月、2010年5月・9月 |
掲示板
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最終更新:2024/12/23(月) 10:00
最終更新:2024/12/23(月) 10:00
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