寿桂尼(じゅけいに ? ~ 1568)とは、戦国時代の女性。駿河の守護大名・今川氏親の妻で、夫亡き後は若年の息子を補佐して今川家を支えた女戦国大名であり戦国最強BBA(内政部門)である。
夫・今川氏親が死去した後、出家して瑞光院寿桂尼と号する。以降、まだ10代と若い息子・氏輝の後見役として今川家の政治を執る。氏輝が早世した後は、後継者を巡る内紛「花倉の乱」が起こるがこれを制し、以後は太原雪斎と並んで今川義元の政治を補佐した。
義元が桶狭間の戦いで散った後は、領国が大混乱に陥る中で孫の今川氏真を補佐した。今川家の全盛時代を陰に日向に支え続けた女傑であり、「女戦国大名」「尼御台」の異名をとる偉大なるカーチャン。
「死しても今川の守護たらん…」
父は権大納言・中御門宣胤(なかのみかど・のぶたね 1442~1525)。大学者として名声高き一条兼良に学ぶなど、才知あふれる人物だった。彼女もそんな父の遺伝子を見事に継いでいる。なお、寿桂尼自身の実名は伝わっていない。
1505年頃、駿河の守護大名・今川氏親と結婚し、三男一女を産んだ。今川家は元々足利一門として幕府中央と密接に結びついており、公卿の娘である彼女を正室に迎え入れた事で、京都とのつながりは更に強くなっていく。
氏親は西の遠江・三河へと積極的に遠征を行って領国を拡大する。一方の関東では氏親の叔父である北条早雲が伊豆・相模を奪うなど、本格化する戦国乱世の中、今川家の勢力は着々と大きくなっていった。が、1526年に氏親は死去した。
晩年の氏親は中風にかかり動けなくなっていたといい、死の目前に作られた分国法「今川仮名目録」の作成などには、寿桂尼らが補佐して当たっていたと言われる。
実子・今川氏輝が14歳で跡を継ぐが、未だ元服前の身であったので、出家した寿桂尼が2年間は大名代行として政治を行った。実際に寿桂尼名義で文書の発給を行っている。氏輝の成人後も後見役として補佐し、引き続き今川家は順調に勢力を拡大しつつあった。
ところが、氏輝は1536年に24歳で急死してしまう(弟の彦五郎も何故か同じ日に死去している)。
氏輝に子がいなかったため、寿桂尼の子である栴岳承芳(のちの今川義元)と、福島氏の子である玄広恵探が後継の座を巡って争う「花倉の乱」が勃発した。この争いは後北条氏の支持も得た義元の勝利に終わる。
ちなみに同じく1536年、今川家が斡旋する形で、名門公家・三条家の娘(三条の方)が武田晴信(のちの信玄)の妻に迎えられており、これには寿桂尼の人脈も強く関わっているのでは、との考えもある。
更に同じく1536年頃に、実娘の瑞渓院が北条氏康に嫁いだ。二人の間には北条氏政、北条氏照、北条氏邦、北条氏規、早川殿らが生まれたとされ、後の後北条氏全盛時代へと繋がっていく。
若き今川義元を、彼が僧侶だったころの師である太原雪斎と、実の母である寿桂尼の二人が補佐する体制が完成。今川家はいよいよ黄金時代を迎えた。三河の松平氏も従属下に収め、甲相駿三国同盟も成立し、後顧の憂いなく西へと勢力を拡大していく…はずが……。
1560年、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長の奇襲を受けて敗死する。今川領国は大混乱に陥った。
義元の子で、寿桂尼から見て孫にあたるファンタジスタ今川氏真が23歳で跡を継ぐ。寿桂尼は三度若き当主の補佐を務める事になったが、既に雪斎も亡く、領内の混乱・反乱を抑えるので手一杯という状態であった。
そのような状況下で、1565年、武田家で対今川の方針を巡る争いから、親今川派の嫡男・武田義信が幽閉される「義信事件」が発生。義信に嫁いでいた嶺松院(義元の娘、寿桂尼の実孫)は氏真が嶺松院を駿河へ帰国させる様に要請した。信玄は帰らせる事に難色を示したとされる。氏真が色々手続きを済ませ、最終的に駿河に戻った嶺松院は、出家して貞春尼と称した。江戸時代に、貞春尼は嫡男の教育を取り仕切る役職を貰い(御介錯上臈)徳川秀忠の教育をして徳川家に仕えていた史料が見つかっている。
既に三河では松平元康改め徳川家康が独立し、徳川と同盟した織田信長は美濃へと進出。後北条氏との同盟関係こそ維持されていたが、今川氏は風前の灯となりつつあった。そうした中、1568年に寿桂尼は病死。当人の生前の希望により、駿府館の北東=鬼門の方角に埋葬された。死してなお今川を守ろうという意志であったが…彼女の死の9ヶ月後、いよいよ武田信玄による駿河侵攻が本格化する。
60年に渡って今川家を支え続け、その黄金時代から崩壊までを見つめ続けた人生であった。翌1569年、掛川城で氏真は降伏し、戦国大名・今川氏は滅亡した。
その圧倒的知名度とスペックから、多くのユーザーより登場を期待されていた。そして「創造」で満を持して登場。代わりに夫がリストラされてしまった。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||||
戦国群雄伝 | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||||
武将風雲録 | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||||
覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||
天翔記 | 戦才 | - | 智才 | - | 政才 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||||
烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
嵐世記 | 采配 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||||
蒼天録 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||||
天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||||
革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
天道 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||||
創造 | 統率 | 80 | 武勇 | 35 | 知略 | 81 | 政治 | 88 | ||||||||
大志 | 統率 | 77 | 武勇 | 36 | 知略 | 82 | 内政 | 85 | 外政 | 82 |
永井路子の長編小説「姫の戦国」は寿桂尼を主人公としており、作中では「悠姫」という名前を与えられている。必ずしも史実通りに話が展開するわけではなく、適度に脚色が加えられている。何故か絶版扱いされておりあまり流通していないため、どうしても読んでみたいと言う人は古本屋での購入をおすすめする。
掲示板
20 ななしのよっしん
2023/01/14(土) 00:20:02 ID: VrHiB7fAtu
最近になって義元の生母じゃないのでは論出たの知ってビックリした…
21 ななしのよっしん
2024/02/02(金) 17:24:50 ID: EpxL+DLaGv
>>19
謎もクソも無いだろ。
単純に知名度が全然違う。
今川、織田、武田、北条という日本史の勉強してなくても知ってるレベルの有名人と関わってた人の方がドラマでの出番も話題になることも多いのは当たり前。
わざわざ言わなきゃわからないか?
22 ななしのよっしん
2024/10/19(土) 17:07:24 ID: pPFcA53EJT
>>20
義元は幼少時に寺に入れられるなど嫡出の割には扱いが悪いし、兄死後の後継争いの時も本来なら嫡出vs庶子で勝負にならないはずが花倉の乱にまで発展するしね。
どっちも実は義元が寿桂尼の子ではなく庶子であったとすればしっくりくる。
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/23(月) 19:00
最終更新:2024/12/23(月) 19:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。