寿桂尼 単語

80件

ジュケイニ

2.5千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

寿桂尼(じゅけいに ? 1568)とは、戦国時代女性駿河守護大名今川氏親の妻で、夫亡き後は若年の息子を補佐して今川を支えた戦国大名であり戦国最強BBA(内政部門)である。

概要

今川今川義元、瑞渓院(北条氏康の妻)の実

夫・今川氏親が死去した後、出して院寿桂尼と号する。以降、まだ10代と若い息子・氏の後見役として今川政治を執る。氏世した後は、後継者を巡る内紛倉の乱」が起こるがこれを制し、以後は太原雪斎と並んで今川義元政治を補佐した。

義元が桶狭間の戦いで散った後は、領が大混乱に陥る中で孫の今川氏真を補佐した。今川の全盛時代を陰に日向に支え続けた女傑であり、「女戦国大名」「尼御台」異名をとる偉大なるカーチャン

「死しても今川の守護たらん…」

生涯

氏親時代

は権大納言・中御門宣胤(なかのみかど・のぶたね 14421525)。大学者として名高き一条兼良に学ぶなど、才知あふれる人物だった。彼女もそんな遺伝子を見事に継いでいる。なお、寿桂尼自身の実名は伝わっていない。

1505年頃、駿河守護大名今川氏親結婚し、三男一女を産んだ。今川は元々足利一門として幕府中央と密接に結びついており、卿のである彼女を正室に迎え入れた事で、京都とのつながりは更に強くなっていく。

は西の遠江・三河へと積極的に遠征を行って領を拡大する。一方の関東では氏叔父である北条早雲伊豆相模を奪うなど、本格化する戦国乱世の中、今川の勢力は着々と大きくなっていった。が、1526年に氏は死去した。

晩年の氏は中にかかり動けなくなっていたといい、死の前に作られた分今川仮名録」の作成などには、寿桂尼らが補佐して当たっていたと言われる。

氏輝時代

実子・今川14歳で跡を継ぐが、未だ元前の身であったので、出した寿桂尼が2年間は大名代行として政治を行った。実際に寿桂尼名義で文書の発給を行っている。氏の成人後も後見役として補佐し、引き続き今川は順調に勢力を拡大しつつあった。

ところが、氏1536年に24歳で急死してしまう(五郎も何故か同じ日に死去している)。

に子がいなかったため、寿桂尼の子である栴岳承芳(のちの今川義元)と、福島氏の子である玄広恵探が後継の座を巡って争う倉の乱」が勃発した。この争いは後北条氏の支持も得た義元の勝利に終わる。

ちなみに同じく1536年、今川旋する形で、名門公家三条三条の方)が武田晴信(のちの信玄)の妻に迎えられており、これには寿桂尼の人脈も強く関わっているのでは、との考えもある。

更に同じく1536年頃に、実の瑞渓院が北条氏康いだ。二人の間には北条氏政北条氏照北条氏邦北条氏規早川殿らが生まれたとされ、後の後北条氏全盛時代へと繋がっていく。

義元時代

若き今川義元を、彼が僧侶だったころの師である太原雪斎と、実のである寿桂尼の二人が補佐する体制が完成今川はいよいよ黄金時代を迎えた。三河の平氏も従属下に収め、甲相駿三国同盟も成立し、後顧の憂いなく西へと勢力を拡大していく…はずが……。

1560年、桶狭間の戦い今川義元織田信長の奇襲を受けて敗死する。今川は大混乱に陥った。

氏真時代

義元の子で、寿桂尼から見て孫にあたるファンタジスタ今川氏真が23歳で跡を継ぐ。寿桂尼は三度若き当の補佐を務める事になったが、既に斎も亡く、領内の混乱・反乱を抑えるので手一杯という状態であった。

そのような状況下で、1565年、武田で対今川の方針を巡る争いから、今川の嫡男・武田義信閉される「義信事件」が発生。義信にいでいた嶺院(義元の、寿桂尼の実孫)は院を駿河へ帰させる様に要請した。信玄は帰らせる事に難色を示したとされる。氏が色々手続きを済ませ、最終的に駿河に戻った院は、して尼と称した。江戸時代に、尼は嫡男の教育を取り仕切る役職を貰い(介錯上臈)徳川秀忠教育をして徳に仕えていた史料が見つかっている。

既に三河では松平元康改め徳川家康独立し、徳と同盟した織田信長美濃へと進出。後北条氏との同盟関係こそ維持されていたが、今川氏は前のとなりつつあった。そうした中、1568年に寿桂尼は病死。当人の生前の希望により、駿府館の北東=門の方角埋葬された。死してなお今川を守ろうという意志であったが…彼女の死の9ヶ後、いよいよ武田信玄による駿河侵攻が本格化する。

60年に渡って今川を支え続け、その黄金時代から崩壊までを見つめ続けた人生であった。翌1569年、掛川で氏は降し、戦国大名今川氏は滅亡した。

関連動画

補足

信長の野望」(PCシリーズにおける寿桂尼の力一覧。

その圧倒的知名度とスペックから、多くのユーザーより登場を期待されていた​。そして「創造」で満を持して登場。代わりに夫がリストラされてしまった。

軍事 内政
戦国群雄伝 戦闘 政治 魅力 野望
武将風雲 戦闘 政治 魅力 野望 教養
覇王 采配 戦闘 智謀 政治 野望
天翔記 戦才 智才 政才 魅力 野望
将星 戦闘 智謀 政治
烈風 采配 戦闘 智謀 政治
世記 采配 智謀 政治 野望
蒼天録 統率 知略 政治
下創世 統率 知略 政治 教養
革新 統率 武勇 知略 政治
統率 武勇 知略 政治
創造 統率 80 武勇 35 知略 81 政治 88
大志 統率 77 武勇 36 知略 82 内政 85 外政 82

 

関連商品

永井路子の長編小説戦国」は寿桂尼を主人公としており、作中では「」という名前を与えられている。必ずしも史実通りに話が展開するわけではなく、適度に脚色が加えられている。何故か絶版扱いされておりあまり流通していないため、どうしても読んでみたいと言う人は古本屋での購入をおすすめする。

関連コミュニティ

関連項目

この記事を編集する

掲示板

  • 20 ななしのよっしん

    2023/01/14(土) 00:20:02 ID: VrHiB7fAtu

    最近になって義元の生じゃないのでは論出たの知ってビックリした…

  • 👍
    0
    👎
    0
  • 21 ななしのよっしん

    2024/02/02(金) 17:24:50 ID: EpxL+DLaGv

    >>19
    クソいだろ。
    単純に知名度が全然違う。
    今川織田武田北条という日本史の勉強してなくても知ってるレベルの有名人と関わってた人の方がドラマでの出番も話題になることも多いのは当たり前。
    わざわざ言わなきゃわからないか?

  • 👍
    0
    👎
    0
  • 22 ななしのよっしん

    2024/10/19(土) 17:07:24 ID: pPFcA53EJT

    >>20
    義元は幼少時に寺に入れられるなど嫡出の割には扱いが悪いし、死後の後継争いの時も本来なら嫡出vs庶子で勝負にならないはずが倉の乱にまで発展するしね。
    どっちも実は義元が寿桂尼の子ではなく庶子であったとすればしっくりくる。

  • 👍
    0
    👎
    0

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
むらまこ[生放送]

提供: ぱーくん

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/12/23(月) 19:00

ほめられた記事

最終更新:2024/12/23(月) 19:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP