中御門(なかみかど、なかのみかど)とは、平安京大内裏外郭十二門の一つ、待賢門の別称。
苗字としては公家の苗字として知られ、藤原北家中御門流と、藤原北家勧修寺流の二つの家が中御門を称した。中御門流嫡流の中御門家は家名が重複することを避け、後に松木家を称した。
勧修寺流の中御門家は甘露寺家(吉田家)の分家。鎌倉時代後期、吉田経俊の四男、経継が中御門を称した。8代当主中御門宣胤の娘、寿桂尼は今川氏親の正室となり、今川氏輝、今川義元を産んだ。氏親の没後今川氏の政務を司ったことが知られる。また、27代当主経之は幕末の国事に奔走した。維新後は伯爵となる。
なお、吉田経俊の弟である吉田為経の子、経任も中御門を称したが、こちらの中御門家は南北朝時代初期頃に断絶した。
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最終更新:2024/12/23(月) 11:00
最終更新:2024/12/23(月) 10:00
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