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回答(2件)
はじめまして。映画の考察ブログを運営しているYOSHIKIです。 『秒速5センチメートル』をご覧になったのですね。 雪の夜の再会とキス、あの美しいシーンのあとに二人の関係が途切れてしまったように見えるのは、本当に切ないですよね。 その疑問、とてもよく分かります。この物語の核心に触れる、非常に大切なポイントだと思います。 原作(アニメ・小説)でも「この日から手紙のやり取りがなくなった」というような明確な理由が語られているわけではありません。 そこにあるのは、誰かの悪意や喧嘩ではなく、もっと静かで、だからこそ残酷な「時間と距離」という壁です。 僕なりの解釈ですが、理由はいくつか考えられます。 ①再会の瞬間が「完璧」すぎたから あの雪の夜の再会は、二人にとってあまりにも完璧で、お互いの想いを確かめ合えた「到達点」のような瞬間でした。 その美しい記憶を胸に抱いたまま、貴樹はさらに遠い種子島へ行き、新しい生活が始まります。 すると、日常の些細な出来事を手紙にするのが、かえって難しくなってしまったのではないでしょうか。 ②物理的な距離が、心の距離を生んでしまったから 携帯電話もない時代、東京と栃木ですら遠かったのに、次は鹿児島です。 手紙が届く時間も、互いの生活環境も、あまりに違いすぎます。 その距離が、少しずつ心の距離をも引き離していったのです。 送れないメールを書き溜めるようになっていく貴樹の姿は、まさにその象徴と言えます。 ③美しい記憶が、彼を縛る「呪い」になったから そして、これが最も重要なのですが、貴樹にとって明里との記憶は、いつしか美化されすぎてしまい、彼を未来に進ませないための「呪い」のようなものになってしまいました。 住所を知っていても手紙を書けないのは、現実の明里に会うことで、心の中の完璧な思い出が壊れてしまうことを恐れていたからかもしれません。 この「初恋の美しい記憶が、いつしか自分を縛る『呪い』になってしまう」というテーマについて、僕のブログでさらに詳しく考察しています。 なぜ貴樹は次の一歩を踏み出せなかったのか。 その13年にも及ぶ心の停滞と、彼が最後にどのように「救い」を見出したのか。 アニメ版が描いた切ない現実に対し、実写映画版が提示した一つの「答え」について解説しています。 もしご興味があれば、ぜひ一度ご覧になってみてください。 質問者様が感じていらっしゃるやるせない気持ちに、少し違った光を当てることができるかもしれません。 ▼参考ブログ 【結末考察】実写版『秒速5センチメートル』はハッピーエンド?アニメ版の「呪い」は解けたのか、徹底解説! https://yoshiki5291-movie-selection.com/byousoku-5-centimeter-matsumura-hokuto/
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連絡を断ったのは貴樹のほうなんですよ。 高校に入ってからもメールを送ろうとするも送れない。 キスした時点で遠距離恋愛は無理だわと諦めてるんです。 そのくせに未練たらたらだから女々しいんです。 原作であるアニメは、そもそも再会の約束なんてしてないから貴樹は明里とどうにかなれるとは今更思っていない。 ただ、初恋を引きずり過ぎて他の女性をちゃんと見れない。 リアルっちゃリアルなわけです。 で、明里のほうは貴樹と連絡取れないんだから新しい恋に目を向けます。当たり前ですよね。 最後の踏切シーンは明里は待ってくれてないし、振り返ってくれたかすらわからない。 明里にとって貴樹との恋は完全に過去にされてるんです。 それを見て、貴樹は明里のことを完全に吹っ切る終わりなんですね。 実写は貴樹に対して甘すぎるんですよ。