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国鉄の救援車って大抵客車で、まあ車庫の脇にいました例がほとんどでしょうけど、私鉄の救援貨車っていろんな感じでいましたよ。片隅にいたのは弘南と新潟、蒲原もそうでしてね。三岐みたいに車両に挟まれていたのは上田交通と、上信かな。車庫とも全然関係ないところにいたのは秩父と十和田と野上あたりか。ね、結構ばらばらな感じでしょ。車庫の片隅だけじゃない。 私鉄それも中小は救援車って、移動倉庫なんですよ。私は若いころ国鉄の例でしたけど、出入り業者として溶接機なんかをその時はワム90000に乗っけてDD13のデッキにぶら下がって隅田川駅の奥に行ったことありますけど、要は電動工具なんかを使うための100V、車庫でも屋外だと、どこでもあるわけじゃないでしょ。車庫って車なんかはいらないから道具もって移動しづらい。三岐さんもそんな感じで事故救援用じゃなく保線や屋外の簡単な工事に使う道具や発電機なんかを乗っけてる、そういう使い方だったら、移動しやすいように機関車にくっつけていたもいいはずですよ。 機関車の休車については分かりませんけど、今D型の電気って、中古で出ないでしょ。三岐は東洋製だから、相模なんかと同じでしたけど相模はもう解体済みのはず。だから部品取りって感じじゃなく、車両として生かしてるんじゃないでしょうか。おんなじように電気機関車がいっぱいいる秩父鉄道、バブル期って朝の5時から真夜中まですごい数の貨物走っていましたけど、それに比べて今の秩父は半減どころかほとんど走ってないに等しい。でも機関車の廃車や休車ってほとんどしてない。 どこの私鉄も中古機関車の出物はない、でも高い金で新車作るほど貨物に将来性があるとも思えない。だから今いる機関車をできるだけ延命するために、休車にしないでいつでも調子の悪い奴と交換できるようにしてる可能性もあるから、塗装が痛んでいても休車扱いにしてない可能性もありますよ。
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質問者からのお礼コメント
ありがとうございます。 その後の経過観察では構内を移動しまくり、でした。 車籍のない控車のような扱いっぽいです。
お礼日時:10/11 14:49