多摩丘陵、相模川、鶴見川等の地形に関する質問です。
多摩丘陵、相模川、鶴見川等の地形に関する質問です。 以前、 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13105608798 等の質問でお世話になった者です。 度々、類似する質問で恐縮なのですが、 現「境川」又は古「相模川」が、 現「鶴見川」の支流である現「山崎川」に 流れ込んでいた可能性はないでしょうか? 下記の地図は、東京都町田市根岸町付近です。 地図の左上部から南東方向に蛇行して流れる川が、 東京都町田市と神奈川県相模原市の 境界となっている「境川」です。 地図の右下部に、100mの等高線が 狭い範囲に平行状にありますが、 これが「山崎川」(「鶴見川」の支流)の源流部の谷です。 地図の中心部の少し右に 104mの標高点が確認できますが、 これは、「境川」とほぼ並行する「町田街道」と 「境川」を横切る「芝溝街道」との交差点 「根岸」にあります。 さて、上記のように考える理由を説明します。 「山崎川」の源流部の100mの等高線を 取り囲むようにして、 105mの等高線が確認できます。 この等高線は、 「山崎川」の源流部を過ぎた辺りから 徐々にその幅を細めて行き、 「町田街道」を横切る少し手前で、 最も細くなっています。 「山崎川」の現源流部の 北西側のエリアは現在では宅地化されていますが、 はっきりと谷状の地形になっています。 一方、 「境川」は、「矢部町」の文字を取り囲むように 大きく蛇行しているのが確認できます。 「矢部町」の文字の付近は、 全体的に小高い丘になっています。 「境川」がほぼ真東に流れている 地点を取り囲むように 100mの等高線が確認できます。 町田市側の100mの等高線の北側には 105mの等高線が確認できます。 「境川」がほぼ真東に流れている地点から 北側の105mの等高線までと、 「根岸町」の文字の左側の神社の記号の 少し北西を通り境川と垂直に交わる線で 囲まれたエリアは、氾濫原のように 平らで低い土地です。 一方、「町田街道」は、地図の「忠生一丁目」の 文字付近よりも南東側では、 ほぼ全域で、境川と鶴見川水系の分水嶺と なっているのに対し、 「町田街道」が南東方向から 105mの等高線と交わる少し手前から、 標高を下げて行き、 境川と鶴見川水系の分水嶺ではなくなります。 (その後、境川と鶴見川水系の分水嶺は、 尾根緑道へと移って行きます。) つまり、「境川」がほぼ真東に流れている地点から、 「山崎川」の現源流部の北西エリアには、 地形の連続性があると考えられるため、 上記の仮説を立てました。 忌憚のないご意見をお寄せ下さい。
kihoihoiさん、ありがとうございます。 ただ、ご提示頂いた地図は、私が指摘した「根岸町」の氾濫原等の様子を詳細に示してはいません。 質問にも書いた通り、私は、指摘した部分においてだけ尾根が消滅していることを問題視しているのです。境川-鶴見川分水嶺において、このような箇所はここにしかありません。私は、実際にこの場所を歩いて確認もしております。
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