回答(4件)

右から左への横書きというのは、文章ではなく 看板やタイトルの「一行一字の縦書き」です。 文章では左への横書きはありませんでした。 (ごく一部の例外はありましたが) 文章は、横書きの場合は、明治時代から今と同じ右への横書きでした。 画像は、明治四年の英和辞典の序文です。 この頃から、横書きの文章は今と同じように 左から右へ書かれています。 横書きの文章が増えたのが戦後からなので、 戦後に向きが変わったように見えるだけです。 英語関係や、英語や数式が多用される理科系の書物の文章は戦前から 右への横書きでしたが、そういう本は大学教授とかが見るもので、 一般庶民はそういうものを見ていませんでした。

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縦書き文化に変化が現れたのは幕末から明治の初期。 鎖国の終焉にともなって外国語が日本に流入し、外国語を理解する日本人の数も次第に増えていきました。 たった30文字足らずで何でも書き表せる欧米言語の合理性に衝撃を受けたインテリ層が横書きを推進していったという時代の流れがあります。 外国語と一緒に日本に渡ってきたタイプライターは当然、ローマ字しか打てません。 タイプライターが使えるカナ文字による横書きが押し進められていきました。 日本語にローマ字表記の単語や桁数の多いアラビア数字を交える時は、横書きの方が読み手にとって自然です。 <「日本語校正サポート」サイトより>←リンクエラー 【ご参考】 戦前の動きも含めて詳細な経緯は、下記をご参照ください。 ■wikipedia[公用文作成の要領] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E7%94%A8%E6%96%87%E4%BD%9C%E6%88%90%E3%81%AE%E8%A6%81%E9%A0%98 ■「公用文作成の要領」(内閣閣甲16号・昭和27年4月4日) (別紙)公用文改善の趣旨徹底について ∞∞∞∞∞∞∞∞∞ ………≪中略≫……… まえがき 公用文の新しい書き方については,昭和21年6月17日に「官庁用語を平易にする標準」が次官会議で申し合わせ事項となった。その後,次官会議および閣議では,公用文改善協議会の報告「公用文の改善」を了解事項とし,昭和24年4月5日にそれを「公用文作成の基準について」として内閣官房長官から各省大臣に依命通達した。この「公用文の改善」は,いうまでもなく,さきに出た「官庁用語を平易にする標準」の内容を拡充したものである。しかし,具体的な準則としては,なお,「官庁用語を平易にする標準」その他から採って参照すべき部分が少なくない。そこで,国語審議会では,これらを検討し,必要な修正を加え,「公用文の改善」の内容を本文とし,他から採ったものを補注の形式でまとめ,ここに「公用文作成の要領」として示すこととした。 公用文を,感じのよく意味のとおりやすいものとするとともに,執務能率の増進をはかるため,その用語用字・文体・書き方などについて,特に次のような点について改善を加えたい。 ………≪中略≫……… 第3 書き方について 執務能率を増進する目的をもって,書類の書き方について,次のことを実行する。 1 一定の猶予期間を定めて,なるべく広い範囲にわたって左横書きとする。 ………≪後略≫……… ∞∞∞∞∞∞∞∞∞ http://www5d.biglobe.ne.jp/Jusl/Bunsyo/BunSakusei.html 「ご参考」 日本語校正サポート TOP>日本語> 縦書きと横書き http://www.kiji-check.com/japanese/form/

もともと横書きは左から右に書きます。これは戦前からそうです。戦前の算数の教科書も左から書かれていました。 この写真を見てください。戦前の尋常小学校の算数の教科書ですが、表紙も左から右に書いてあるでしょう? 戦前から、横書きの時には左から書いていました。 看板などが右から書いてあるのは、あれは横書きではなく縦書きです。縦書きが一文字ずつ書いてあるだけです。

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明治時代には左横書きが始まったということなので、敗戦とは関係なく、開国によって欧米の言語が表立って入ってきたことが原因のようです。 ただ、新聞等に本格的に左横書きが取り入れられたのは1946年ということなので、第二次世界大戦後のようですね。 こちらのサイトをどうぞ https://ima.goo.ne.jp/column/article/14287.html